閉館時間ギリギリの美術館に行ってみた

研究がひと段落ついて研究室の窓を見ると、空はまだ明るいが青に暖色が少しだけ混ざり始めて日が暮れている事を教えてくれる。

美術館に行きたい。

思い立ったらすぐ行動が信条なので、前に友人から聞いていた美術館へ行くことにした。

ホキ美術館。


珍しく自然光が館内に差し込むように設計されている美術館だ。写実絵画をメインに展示を行っており、期間によっては様々なテーマでまとめられている。

事前に来館予約が必要とのことなので、ホキ美術館のホームページから予約することにした。

どうやら時間ごとに予約ができるらしく、今の時間から予約できるのは最後の16時半からの来館になった。閉館時間が17時なのを考えるとかなり駆け足に館内を見て歩くことになりそうだ。

すぐに研究室を出ないと予約した来館時間にそもそも間に合わなくなってしまうので、すぐに支度をして駅へと向かった。

ホキ美術館の最寄駅は、外房線土気駅になる。徒歩およそ15分から20分ほどかかる。

アクセスはかなり悪いんじゃないか。

美術館用の駐車場はあるので車での来館が楽かもしれない。また隣には昭和の森という大規模な公園があるため、そこの駐車場に車を停めて公園で遊んでから美術館へ行くというのも良いかもしれない。

ちょっと待って、昭和の森で焚き火もできるじゃん。
えー、行きたい。

けど今回の目的はホキ美術館なのでスルーします。

土気駅に16時10分ほどに到着すると、思ったよりも時間が無かったので小走りでホキ美術館へと向かう。

研究室を出た頃にはまだ夕暮れ時というか、オレンジ色が強く広がっていたのだが土気駅到着時にはあたりは薄暗く、深い青色の空へと移り変わっていた。

はっきり言ってしまうと、土気は田舎だ。

整備されていたり、住宅街が広がっていたりするが、都市部に住む人間からすると田舎だ。

その為、街灯がなく駅から離れれば離れるほど暗すぎて物の輪郭がはっきり見えなかったりする場所を通る。

しかも寒い。

東京都との気温差は平均5℃マイナスだ。

自然豊かなせいか、澄んだ空気が冷えて呼吸するたびに肺がチクチクと痛む気がする。

しかも若干遠い。土気駅周辺は勾配がうねる様に何度も続いていて、普通に歩いていても疲れる。

暫く歩いても一向に明るくならないし、そもそもこんな所に美術館なんてないんじゃないかと思っていると、ひらけた道路の先にホキ美術館の看板を見つけた。

ようやく辿り着いた。

看板の前までくると、目の前には巨大な長細い直方体が不安定に積み上げられている建物が目に入った。

様々な美術館に行ってみてはいるが、ここまで建物からおかしな美術館は今までに行ったことがなかったので期待感が高まる。

既に日は落ちかけて、見晴らしの良いホキ美術館だからまだ日の光が薄く届いていた。

積み上げられた直方体の脇に通路があり、痛そうな柵?というか鳥避け?の様な物に沿って進むと建物の入り口が見えた。

入口は左右に分かれていて、右手に進むとレストランへと入れるらしい。お値段は少しお高めだ。

左手に進むと、ようやく美術館の受付に辿り着いた。

「予約していた者です」と言って受付を済まし、検温の後に学生証を提示して会計を行った。

寒い外から入ってきたために、検温機が永遠にエラーを吐き続けるという問題はあったが、無事に入館できたことに一先ず息をついた。

受付のすぐそばに椅子があったので、そこで鞄を下ろしチケットやらを整理する。

受付の先の通路の突き当たりには大きな窓があってそこから先程までいた美術館の看板の辺りを見渡せる。

どうやら館内の構造は長細い直方体を折り返す様に見て回るらしい。

突き当たりを折り返し次の部屋へ向かうと、奥まで続く広めの通路の左右に一定の間隔を持って様々なサイズの絵画が掛けられている光景が目に入った。

ギャラリー1、期間によって展示される物のテーマが変わるギャラリーでこの時は「永遠の瞬間」という静物の一瞬を捉えた絵画が飾られていた。

奥まで見通せる廊下に誰もおらず後ろから他の客が入ってくることもないため、恐らくこの美術館を回るのは自分1人なのではないかとここで気がついた。

一歩進むと一番奥から反響した靴音が半歩遅れて聞こえて来る。

美術館を見て回るのにこれだけ恵まれた瞬間はないでしょう。誰にも邪魔されずに静かに作品を鑑賞でき、この美術館は自分が独占しているんだという愉悦感が半端ない。

改めて、美術館を楽しむことにした。

展示されている静物の絵画たちは、写真のように精巧なものばかりで、平面であるはずなのに絵の奥から実在感を強く放っている。

背景の黒が強くて、置いてあるものがやけに明るいからそう感じるのかもしれない。

美術館に来ていつも楽しみにしているのは、絵画に入れられた作者の名前を見つけることだ。作者によって名前を作品に入れる際に様々なこだわりがあって割と面白かったりする。

主張の激しい金のインクで印が押されていたり、絵の雰囲気を損なわない様にテーブルの木目に合わせて目立たない様に書かれていたり、また塗った絵の具を削っていたりと、デザインが面白かったり探すのに躍起になって暫く同じ絵を見る。

メインのモチーフを見るのはもちろんだが、そう言ったあんまり気にしないかもしれない場所を見るのは美術館のおすすめの楽しみ方の一つだ。

壁にかけられた絵画に近づいて気がついたが、飾られた絵画の真下の床に隙間がある。恐らくこの隙間から自然光を間接的に館内に入れるのだろう。

美術館に行った時間帯が日暮れだったために、その様子はハッキリとは分からなかったが是非とももう一度、日が昇っている内に来てみたい。

人が3人は入りそうな大きさのキャンバスから、ランチ用マットくらいの大きさのキャンバスまで、大小様々な箱の中に写真と見間違うほど精巧な物体どもが描かれている。

誰もおらず静かだから、聞こえてくる自分の息を吸う音と足音さえ止めてしまえばとうとう絵画と一対一の空間になる。

この空間というのが、今日ギリギリになってでも来てよかったと思う体験だった。

置いてある作品はどれも見応えがあり、絵の歴史とか作者の背景に興味がなくても十分楽しめる美術館だ。

通路を突き当たりまで進むと、また折り返す様にして下へ進む階段があった。この建物、見た目よりもかなりの大きさかもしれない。

かなり長く階段を降りていくと、同じ様に通路の両サイドに絵画が掛けられているギャラリーへと辿り着いた。先ほどとは違って外の明かりを感じず、通路の中央に丸い椅子が一定間隔で置いてある。

この丸い椅子は本当に丸い。

座ったら、ふぅってなるくらいには丸い。

このギャラリーは私のよく知っている美術館特有の雰囲気が漂い、さっきのギャラリーとはまた違った空気感になった。

ここで展示されている絵画は、静物から打って変わり人物画になっている。

人物画の大半は女性で大体が薄い布切れ1枚の絵画だ。ドレスアップしている方もいるが、しっとりとしたシルクのドレスを身に纏い、布を掴んだ部分から発生する皺が色気を増している気がする。

しかもどれも写真と違わない精巧さを保っていて、両サイドに掛けられている女達から監視されている気分にもなる。

中にはガスマスクをつけた制服の女子高生の絵が掛けられていて、誰もいない美術館の中で見ると少しだけ背筋をなぞられた様になってしまう。

次のギャラリーへ移動すると、今までよりもかなり広い空間となっていた。掛けられている絵も風景画をメインに展示している様だった。

ギャラリーに入るとすぐに、恐らくこの美術館で一番大きいであろう絵画が目に入る。

人が3人ほどの高さのキャンバスを横に3つ連ねて一つの作品となっているその絵は湖を描いていて、例えモチーフに興味がなかったとしてもその絵の前では威圧感というか大きさの前に圧倒されてしまうかもしれない。

今までの静物、人物の一瞬とは違い風景の一瞬を描いている絵画が好みなのでこのギャラリーでゆったりと過ごしたい気分もあるが、閉館時間が迫っているので少し急ぎ気味で見てまわる。

絵だからできる嘘を見るのが好きだ。

もちろん絵を描ける人達は尊敬するし、あっという間に物を特徴を捉えて紙の上に描くなんて魔法を使っているんだろうって信じてる。

その中で、写実絵画っていうのはどこか芸術というものから違った場所にある気がしてならない。

職人の仕事みたいに見えてしまう。

怪奇な空間を精巧に写し描くことができたって、これって写真で代用できないか。

漫画家は学んできたアナログ道具の使い方を捨てて、デジタルへと移行した人もいると思うんだけど、この場合アナログの道具達ってどうなるんだろう。

詳しくはないけど実際、写実主義だった人達の中にも写真というものが登場してから筆を折る人とか写真家になる人だっていたわけだと思う。

だから少しだけ写実画という物が、少し前のものの印象が消えないのか。

まあ、写実主義っていうあり方が芸術なのだって言われたら納得するしかないよな。

だから風景画でも、本来はあり得ない光を加えている物とかは好き。

話を戻すと、規模感の大きい絵が幾つもあったギャラリーだった。

少し進むと、また下へ向かう階段がギャラリーの途中から広がっている。移動のための通路とかではなくギャラリーがそのまま下に広がっているので、そこだけ異様に縦にポッカリと空いた空間がある。

その左右正面それぞれに一枚ずつ絵画が飾ってあり、特に正面の絵画は大きなキャンバスの中、黒い背景に白髪の老人が足を組んで座っているという物だ。本来ならその老人の絵画が掛けられている壁の隙間から外明かりが入り込むのだろう。

このホキ美術館、基本的に館内を照らしている照明が少し特徴的で天井に多く不規則に空いた穴の中に照明が埋め込まれている。天井は波打ちながら奥まで続いていて、それに沿って不規則に並んでいるものだから、照明が奥へ奥へと投げ出されている様に見えて面白い。

しかし、そんか開放的な空間に私1人だけしかいないので人物の写実絵画の影響も相まって多くの目に見つめられている気分になり、かなり不安が煽られる。

また階段か、と思いつつどんどんと下へ降りていく。既に建物5階分は降りたのではないだろうか。

ふと後ろを振り向くと階段が視界を埋め尽くす。

が、よく見てみると段の間が隙間になっていて向こう側が見える様になっている。

人がいる。

かなり浮かれて美術館を歩いていたから恥ずかしくなったが、様子がおかしい。

全くもって微動だにしないのだ。

かなり暗い部屋の中でじっと立っている。暗いせいでどんな顔なのかどんな表情をしているのか分からず、階段によって遮られ性別さえわからない。

身長は170センチほど、かなりガタイが良く全体的に白っぽいのだ。向こうの部屋の、端のほうにずっといる。

後にも先にも動く人は見当たらず、少しだけ睨み合いの様な状態が続く。何が不気味かって、動きもしないし音も何一つ立てないのだ。

緊張でありもしない足音が聞こえてきそうになったので、足を組む老人の隅からさっさと次のギャラリーへと向かう。

今までの明るい雰囲気とは違い、暗く細長い通路に沿って小さな明かりが着き、壁沿いには絵画ではなく陶器や彫刻の様な物が並べられている。作品の真上を見ると外の隙間明かりが見え、今いるここは地下なのかもしれないと思った。

照明に照らされた作品の影が白い壁に伸びて、何気ない綺麗な器も怪しさを増している。人がいないから多分バイアスみたいなのが自分にかかっているのかも。

秘密の通路の様な楽しさが少しだけあった。

次のギャラリーは先ほど階段から透けて見えていた部屋になる。

床、壁、天井の全てが黒色で、照明も作品を照らすためだけに着けられており真っ黒な空間の中に作品が浮かび上がっている様な部屋だった。そして入ってすぐに先程の人影が目に入る。

人形だ。

恐らく作品の一部だろうが、宇宙服の様な物を身につけた老人の人形が照明に当たるわけでもなく部屋の隅に立ちほうけていた。

これが本当に怖い。

ただでさえ薄暗く今までにない黒の部屋の中、真っ白な宇宙服を着たおじさんがずっとこちらを見ているのだ。

妙に精巧なのもあり、いつ動き出してもおかしくないくらいの存在感がある。

その近くに休憩用の椅子が置いてあるが、誰が座るんだよこれ。ミスだろ。

人形の動向に気を遣いつつギャラリーを進んでいく。

暗い部屋、浮かび上がっている絵画は美しい自然を描いているものや、色彩のハッキリとしたどこか抽象的にも見えるもの、そしてホキ美術館の館長と思われる人物画が展示されている。

どの作品も見応えのある物だが、全体的にこのギャラリーは怖い。それこそ絵の中からいつ何が飛び出してきてもおかしくない様な、むしろ絵の中に迷い込んでしまいそうな不安感が常に隣にある。

子供の頃に妄想してた、得体の知れない怪物に連れていかれるかもしれない恐怖をまさか成人した後に体験することになるとは思わなかった。

飾られている作品を横目に見つつ、足速にこのギャラリーを去ると明るく小さな空間に出た。

テーブルの上には小物やペンなどの文具、いわゆるグッズが並べられており、回転棚には美術館に飾られていた作品のポストカードが置かれている。

どうやらこの美術館の最終地点らしい。

さっきまでの雰囲気から解放され、少しだけ安心する。

しかしそんなお土産がたくさん置かれているにもかかわらず美術館のスタッフが周りにおらず、というか本当に美術館を歩いていて人の気配を感じない。

美術館が閉まる時間だからといっても、ここには人がいてもいいじゃないか。

ここから上に戻るらしいがその手段がエレベーターのみで、ボタンを押して待っている間も薄暗いあの部屋では何か得体の知れない物が動き出しているんじゃないか、あの宇宙服を着た人形がこちらに歩き出しているんじゃないかと想像してしまい、エレベーターが到着し乗り込んだ後も窓の無いエレベーターの中で1人で勝手に怖がっていた。

エレベーター1階に戻ると最初の受付へと出た。

ようやくここで受付の人と顔を合わせ一安心すると、長々と居残っても悪いと思いさっさと美術館を後にした。

外は完全に日が落ちて、美術館の気配のない暗さとは違った騒がしい夜が広がっている。

土気駅までの間、もう少しだけ怖い時間が続きそうだった。


総評

閉館時間ギリギリの美術館に行くと運が良いと、非日常な異空間を体験することができて楽しい。

飾ってある絵も見応えがあって楽しいし、美術館特有の雰囲気をより強く感じることができたのでみんな程々にやってみてほしい。

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