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FF7リバース ストーリー感想 "キャラクターの歪んでしまった人生"と向き合う話
※記事にはオリジナル版、FF7リメイク、FF7リバースの核心的なネタバレが含まれます。
全体の感想
FF7リメイクプロジェクトのストーリー体験に最も近い作品は「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」だと思いました。
1996年に始まったTVシリーズ、それに連なる劇場版を再解釈、再構築して新しい技術で作り上げる。
前半の2作"序"と"破"は、原作のストーリーをかなり忠実になぞりつつ、要所要所で知らない要素が入ってくるという体験になっています。
「あのシーンを今作るとこんな事に!?」という感動と興奮。
「これは全然知らない!」という混乱と高揚感に満ちていました。
2020年発売の一作目FF7リメイク、そして二作目であるFF7リバースもそういった体験をこれでもかと味わわせてくれました。
この「知っているけど知らない。知らないけど知っている。」体験は"原作を知っている事"が大前提なので、新規の人がどれくらいいるのか気になる所です。
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この作品におけるストーリーの前半部分は、ある種の"ゆるさ"があります。
セフィロスの手がかりになる黒マントを追う。
この一点でストーリーが進行していくので、その間、クラウド達は星の命運どうこうよりも割と遊んでいます。
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船の中でカードバトル大会、コスタ・デル・ソルというリゾート地でバカンス、そもそもゴールドソーサーが遊園地!!
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もはやクラウド達が楽しい旅をする為のガイド役と言ったところ。
FF7リバースは"クラウドと愉快な仲間達といっしょに楽しい旅をするゲーム"として余りにも贅沢な体験でした。
フィールドの美しさ、街の圧倒的密度、楽しすぎるバトル、あの時のあのミニゲーム、豪華なカットシーンのクオリティも相まって理想的なFF7体験になっています。
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基本的にはコミカルなストーリーですが、後半に差し掛かるあたりでシリアスな話が増えてきます。
バレットの過去編や、ナナキと父セトの関係など、原作の印象的なエピソードはしっかりと忠実にスケールアップしているのが素晴らしかったです。
そしてなんといっても、FF7を知ってる人なら誰もが気になっているのは最後の"あのシーン"でしょう。
私はそれがFF7リバースでどう描かれたかを目撃した時、興奮と困惑と疑問と、そんな感情の波で脳が揺れました。
しかし、いざ全体を振り返ると、最終盤に詰め込み過ぎなバランスの悪さや、そうならざるを得なかった理由など、考えることも多いです。
このゲームは徹底的に"FF7のキャラクターゲーム"だと感じます。
それがゲームとしても滅茶苦茶面白いんだからこんなに贅沢な事はありません。
この作品のストーリーで重要視しているのは、論理的整合性などではなく"FF7のキャラクターの魅力がプレイヤーに伝わるか"だと思ったので、それはとても達成されていると感じました。
そしてこのFF7リバースのストーリーでは、「キャラクター達のもしもの可能性を願う事による歪みと、それを作る葛藤」が見えたのが、個人的に気に入っている点です。
あの感動をもう一度と願ってしまう
近年多くのゲーム作品のリメイク、リマスターが発売されています。
子供の頃にプレイしたあのゲームを最新ハードで遊びたいという気持ちは、ゲームファンであれば誰しもが持ち得る感情です。
少子化の影響やゲームユーザーの高齢化が進んでいるのもあり、その傾向は強くなっている様に見えます。
これはゲーム業界に限った話では無いでしょう。
2010年代後半以降の映画業界の80年代リバイバルブームは、映画を熱心に追いかけていない私のような人間も知っている程です。
子供の頃、名作たちに感動した人達が、クリエイターになっているというのも大きいかもしれません。
「あのキャラクターの活躍をもっと見たい」
「あの世界の続きをもっと知りたい」
巨大なIPであるほどその"風"は強いのではないでしょうか。
私が好きなスターウォーズシリーズも、近年なかなか大変そうですが、それでもドラマシリーズ等のスピンオフ作品は沢山作られ続けています。
"終わらないコンテンツ"であるスターウォーズは多くの人気キャラと、エピソードの間に幾らでも作品を生み出せるような膨大なロアがあり、新作を作れる可能性が潰えることは無いでしょう。
しかしシリーズが続くことによって"死"が描かれたキャラクターが、様々なスピンオフ作品に登場することには常に議論があります。
"死んでも死ねないキャラクター"にも明確に"人生"があります。
主人公としてシリーズを牽引してきたルーク・スカイウォーカーは、"死"が描かれたとしても(多くファンが納得できない形とはだったとはいえ)、デジタル技術で若返りながら、今も何処かで仕事をしているのかもしれません。
その現象を"長く愛されている"と捉えるのか、"擦り続けられている"と捉えるのか。
その境目が何処にあるのか、そんな事を考える事が多くなりました。
⚠この先、オリジナル版FF7と前作FF7リメイクのネタバレが含まれます
"原作を変えるという共犯関係"を作るメタフィクション
前作FF7リメイクでは"運命の番人 フィーラー"という新しい要素が登場しました。
クラウド達が原作の展開から外れそうになった時、原作と同じ流れに補正してくるという謎の存在です。
物語のラスト、そのフィーラーを従えているセフィロスを倒す事によって、運命の壁を超えます。
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"原作を変える事"をセフィロスを倒すことでプレイヤーにもやってもらうという構造です。
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それにより、既に死んでいるキャラクターであるクラウドの親友ザックスが生き残った別の世界線、可能性が生まれた、というストーリーになっていました。
「我々はこれから原作と違う事もやっていきます」
「それはキャラクターの生死すら歪めます」
「プレイヤーの皆さんと共に、未知の旅をしましょう」
という決意表明をメインストーリーにしてしまうという中々の力技です。
それは同時に、死んでも死ねないキャラクターを生み出してしまったという事です。
FF7リバースではメインストーリーの最中に生き残ったザックスのパートが時々挟まります。
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そんなザックスは、死ぬと思った瞬間に強い風が吹いていたと語り、
「誰が"風"を吹かせたんだろうな。」
というビッグスとの会話。
それはFF7のリメイクが出て欲しいと願った私であり、それが巨大なリメイクプロジェクトという商品として成立し得ると判断し、もう一度FF7という作品に向き合うと覚悟を決めた作り手達です。
キャラクター達の新しい物語が見れると同時に、彼らはまた戦い続けなければなりません。
一度描ききったキャラクターにもう一度仕事をしてもらう事には、作り手にも覚悟が必要だったと感じます。
人生が歪められ、新たに何かを見つけなくてはならない彼らは何処へ向かうのか。
原作では命を落とすはずのエアリスがどうなるのか。
それがFF7リバースの最終盤で明かされていくのですが…
それを見たとき私は「このゲーム、色んな意味で正気ではない!」と思いました。
⚠ここからFF7リバースにおける核心的なネタバレが含まれます。
「両方やる」
"シュレーディンガーの猫"という何故かインターネットで有名な言葉があります。
これは量子論の思考実験の一つで、ミクロの世界で起こっている現象の不思議さを説明しています。
私も詳しくないので、ものすごく簡潔に説明すると、
箱の中に猫と、その猫が50%の確率で死ぬ仕掛けを一緒に入れる。(かわいそう)
その中身では猫が生きている状態と死んでいる状態が"重ね合わせ"で存在している。
という話です。
どういうこと?となりますが、この話は"人間が観測する事(箱を開ける事)で初めて事象が確定する"という、ミクロの世界の不確定さを表しています。
勿論それに対して、そんな事は無いだろうというツッコミも出るわけです。
まだ人類が、箱の中の猫の生死を知る方程式を知らないだけで、それさえ分かれば中身をを確定出来るはずだと。
しかし量子論の研究が進んでいくと、ミクロの世界では"人間が観測するという行為"そのものが結果を確定させてしまうという"ゆらぎ"があるらしい事が分かっていきます。
箱を開けて観測する事で、初めて現実が確定する。
そんな現象を最も都合良く説明するにはどうしたらいいか。
それは「猫が生きている宇宙と、死んでいる宇宙、複数あれば良い。」という多元宇宙という発想に繋がっていきます。
FF7リバースでは、箱に入れられた猫がエアリス。死ぬ仕掛けがセフィロスでした。
シュレーディンガーのエアリスです。
両方やったのです。
生まれては消える無数の世界
FF7リバースの世界はザックスが生存した別の世界線、だけでなく、キャラクターの選択によって無数に世界が生まれては消えるを繰り返していると語られました。
それは作品を受け取った人の数だけ解釈が存在し、その数だけ世界があるという話にも見えます。
そして別の可能性、"もしもザックスが生き残っていたら"という世界では、星の精神エネルギーであるライフストリームが尽きて世界が終わる寸前なのです。
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リメイク一作目で生き残ったザックスの命も結局長くは続かず、命運尽きてしまうシーンすら描かれます。
これはいわば二次創作的な"もしも"を幾ら夢想しても、精神エネルギー(承認力とでも言えば良いのでしょうか)が足りず、"原作FF7の物語"という余りにも強い引力に収束していき、その世界は続いてくれないと言う話だと解釈しました。
"原作"という"運命"を超える。
原作という運命の壁を超え、FF7という世界そのものをリメイクし、別の世界の可能性が生まれたのが一作目でした。
完全なメタフィクションとして描かれる"運命の壁"。
エアリスの死という原作、運命が余りにも強いため、クラウドがその壁を超えるには仲間の力が必要でした。
仲間の協力により僅かに通れる壁。
そして最も重要なのが、"FF7リバースで壁を超えたのはクラウドだけだった"という点です。
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これによりクラウドは、セフィロスコピーによって殺されるエアリスの運命を変えました。
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エアリスが生き残った世界を"観測"出来たのです。
しかし、壁を超えなかった仲間は…?
そう、原作通りエアリスが死んだ世界を観測しました。
その光景がまさに"重ね合わせ"の状態で描写されたのです。
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正直これ自体は想像していた事です。
エアリスが死んでも生き残っても文句が出るなら両方やるしかないんじゃないか?
想像通りだったこと自体が驚きでしたが、更に驚いたのが、生き残った世界のエアリスを認知できるのがクラウドだけという描写です。
これにより、この時点でただでさえ精神的に疲弊し、セフィロスに操られもするクラウドが「他の仲間には全く見えない、死んだエアリスと会話さえする」という、いよいよヤバい人になったのです。
まさに孤独の観測者。
多次元世界を観測出来る存在になってしまったクラウド。
その空にはザックスがいた世界と同じ亀裂。
その亀裂を観測できるのはクラウドだけ。
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色々な意味で、正気ではないです。
リメイク3部作全体で、間違いなく数百億円は投じられているであろう巨大プロジェクトで、こんな攻めたことするの!?という驚き。
もっと、
「エアリス助けた!やった!!」
「ついでにザックスも仲間になった!!」
「完結作で待ってろよセフィロス!!」
くらいの感じにベタでもプレイヤーは許してくれたんじゃないかと思います。
カットシーンの説得力がすごいので。
とくに終盤は古代種の神殿が長いというゲーム部分のバランスの悪さから、そのまま複雑すぎる場面に続くという構成上の問題を感じます。
理解が追いつかない状態でエアリスとのデートシーンが長めにあること、情報を詰め込み過ぎている難解さ。
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そこからのラスボス戦もかなりの連戦で、ザックスとの共闘など熱い描写こそあれど、色々な事が起こりすぎています。
この形は余りにも危険だと感じました。
この可処分時間の奪い合いの時代に「分からなかったら調べて」「分かる人はついてきて」を選んでしまったリスクの高さは語るまでもありません。
実際キングダムハーツシリーズが"作品を最大限楽しむ為の必修科目"を増やしすぎる沼にハマったように、FF7リバースでその沼に片足を突っ込んでいます。
ディズニーが所有しているスターウォーズやMCUもその沼から抜け出そうと必死に見えます。
白マテリアの交換や忠犬スタンプのデザインが違うといったギミックなども、拾っている暇はそんなにありませんでした。
そもそもギミックを拾ってくれる本気度のあるプレイヤーがどれほどいるのかという話です。
今後発売される攻略本、アルティマニアにもスタッフインタビューがあることでしょう。
そこでストーリーの謎に関する情報を小出しにするのもどうなの?と思ってしまいます。
私のようなファンは嬉しいけど、それはちゃんとプレイヤーが分かるようにゲーム内に入れるほうが健全では?と思ってしまうわけです。
なにより、人によっては100時間近くかかるゲームの最後に、主人公が一番おかしくなるという終わり方。
攻め過ぎです。色んな意味で凄い。
全体のストーリーを振り返ってみると、バレットとダインのエピソードや、ナナキと父の話といった"ベタだけど地に足のついた話"が一番上手く描けていると思いました。
これが、世界の姿や星の運命と言ったスケールの大きい話になっていくと、途端にストーリー体験がふわついていったような感覚がありました。
ここまで風呂敷を広げてしまったので、完結編で"多くのプレイヤーが分かる形"で"納得させたうえで"で着地するのは、ホントに大変になるだろうと思います。
ポジティブな意味でもネガティブな意味でも、正気ではないと思いました。
すげぇよこのゲーム。
勿論難解な自体が事が悪いことではありません。
分かりにくい事で考察動画などのユーザー生成コンテンツも生まれるでしょう。
この文章を書いている私も、野村さんや野島さん達の掌の上で転がされてる訳です。
不安の方が大きいですが、完結編のストーリーが上手くいく可能性もあるような気がします。
それはザックスのセリフと、セフィロスの目的に感じた"ちゃんと終わらせる話"をしてくれそうという感覚です。
(完結編なので終わらないと困る)
歪められた人生を取り戻す
死んだはずのキャラクター、ザックスが無数に分かれる世界の一つで言ったセリフ。
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2007年に発売されたクライシスコアFF7で多くのファンを獲得したキャラクターであり、後のスピンオフ作品にも一番良いところで登場しているザックス。
私も大好きなキャラクターです。
人気があるのでリメイクでは生死を変えてでも仕事をしなければなりませんでした。
しかしそれはザックスの人生を歪める事です。
彼にとっての人生を取り戻すとは"死なせてあげる事"ではないでしょうか。
それはエアリスも同様です。
重ね合わせで描かれた彼女の可能性も、歪みであり、あの場面で死ぬ事が彼女の人生でした。
リバースで語られたセフィロスの目的は「多次元世界をリユニオンし、そのエネルギーで永遠を手に入れる」でした。
この目的を考えると完結作では"永遠"を作ろうとするセフィロスを倒し、FF7というコンテンツそのものに完全な決着をつける為の戦いをやるのではないかと感じます。
いや、ここまで広げたら全部やるしか無いでしょう。
完結編の予想
ここからは完結編の予想という名の与太話を書きます。
アベンジャーズ エンドゲームで、タイムスリップしてインフィニティストーンを集めたように、多次元世界に飛んでいけるようになったクラウドが、生き残った世界のエアリスやザックスを一つの次元に連れこむ!!
そしていくつも可能性があるなら、まともなままのセフィロスすら連れてきて仲間にし、本当の母であるルクレツィアに合わせる!!
シドとヴィンセントが加わった計11人パーティで、ゴールドソーサーで遊ぶ!!
ここまでやっても良いと思います。
セフィロスとクイーンズブラッドをやりたいし、画面に映っているだけで面白いはず。
それこそストーリーの盛り上がりで、善のセフィロスから白い翼が出てきたらテンション爆上がりでしょう。
バトル面もゲーム冒頭のニブルヘイムの回想ではセフィロスが、ラストバトルではザックスがプレイアブルキャラとして用意されていました。
イベントバトル的な作りではなく、固有アビリティ等もしっかり作ってあったので、あの素材を使わないのは単純に勿体ないですし、完結編のメインパーティに加わればゲーム的な拡張にもなります。
原作FF7の後半にクラウドがライフストリームに落下し魔晄中毒になる流れがあるので、あの場面を使えば正気を取り戻したクラウドが多次元世界にアクセスすることが可能な気がします。
しかしそれだけでは説得力が弱い気も。
リバースで登場した新たなキーアイテムである"無垢なるマテリア"も他の世界にアクセスする為に使うのでしょうか。
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黒マテリアのメテオ、白マテリアのホーリーのような、何か大規模な魔法を使う為に使用するはずです。
ナナキの先祖が戦っていた"ギ族"に関するストーリーがかなり拡張されており、ギ族の願いが黒マテリアを作ったという原作には無かった話になっています。
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なぜそんな物を作ったのか。
それはギ族が"この星由来の生物では無く、更にはライフストリームに還る事が出来ない不死の存在"というのです。
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不死の亡霊と化しているギ族が、"死ぬ"という願いを込めて黒マテリア作った。
完結編ではクラウド達も何らかの願いを込めて新しいマテリアを作る話をやりそうです。
例えば、次元を超えるために超強力なデジョンを使えるマテリアとか。
例えば、マテリアの中に別世界を"投影"して"箱の中の箱"みたいな状態にするとか。
幾らでも想像が広がります。
最後は何やかんやあって、永遠を手に入れようとするセフィロスを倒し、世界があるべき姿に戻り、居るはずではないエアリス、ザックス、セフィロスが星に還っていく別れを描く。
いっしょに旅が出来た彼らが「この可能性を見せてくれてありがとう」と言いながら消えていったら、それで満足出来る気がします。
ただこのルートだと、野村さんの芸風的に、ここでクラウドも消えるでしょう。
多次元世界を超えたことにより別次元の存在となって星に還る的なやつです。
とまぁ与太話はこの辺にして…
大穴の予想はこれです。
セフィロスが永遠を手に入れることに成功し…
「新たなる永遠が始まる。17番目だ。」
FINAL FANTASY XⅦ
になる。これですね。
これが一番ヤバい。
こんな予想すら「ギリあるかも…」の思えてしまうのがFFの凄さであり怖さですね。
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とにかく楽しみですね。
ストーリーに思うことはプレイヤーそれぞれあるでしょうが、ゲームとしての完成度は凄まじいものがあります。
2024年間違いなく語られるべきゲームです。
この前代未聞の巨大プロジェクトが、無事に走りきれることを祈っています。
開発の皆さん応援してます。