師匠に一度も会ったことがない僕の師弟観【創価学会3世のブログ#2】
創価学会の活動をするようになる前、「師弟」というと、どこかお堅い気がしていた。
僕は芸者ではないし、普段生きていく上で、師匠は必要なのか?とも思っていた。ましてや、僕が発心した時は、池田先生は学会の公式行事に参加されていなかった。今日に至るまで僕は、「池田先生に一度もお会いしたことがない」のだ。
直接の出会いや語らいなしで、師弟の精神をどう自分の中に築くか。学会活動に励めば励むほど、仏法を学べば学ぶほど、師弟がわからなくなる。だいぶん葛藤したし、諦めかけた時もあった。でも今は、師弟に生きる人生を選んでよかったと心から思っている。
正しい人生とは・・・
僕は要領がいい方だと思う。壁にぶつかっても、今の時代は調べれば、だいたいは「解決策」が分かる。実際、それで何とかなってきた。一人で生きていけると思ってた。でも19歳の秋、同級生の死が、「師弟の人生」を歩む大きなきっかけになった。
生きとし生けるものに最期があるのは当然だ。
いつ、どのようにして最期を迎えるのか。自分で終止符を打たない限りは、誰にもわからないし、選択の余地もない。
僕は死が怖くなったわけじゃない。ただ、これまではどこか遠くに思っていた最期(死)が、実は遠くない可能性もあるのだと知った。同時に何を思いながら死ぬのかなとも思った。僕たちに唯一与えられた権利ーー自分の限りある命を何に使うかは、十人十色だ。
考えに考えていた時、先輩に紹介された小説『人間革命』第2巻の戸田先生に池田先生が3つの質問をされる場面を読んだ。「正しい人生とは・・・」との池田先生の問い掛けに、戸田先生は言われる。「大聖人の仏法を実践してごらんなさい」
それまでの僕は、人様に誇れる生き方はしていなかったし、しようとも思ってなかった。周囲に迷惑を散々かけ、悪事もした。”このままでいいのかな”と思いつつも、変わるきっかけがなくズルズルと時が流れていた。「産んでくれと頼んだわけじゃない」と周囲を突き放したこともあった。それでも、いざ「死」を考えると亡くなった友人への申し訳なさが募る。最低限、人として生きたいと思うようになった。僕は「生きる理由」「正しい人生」を求めて学会活動を始めた。
周囲との差
学会活動を始め、池田先生の書籍を読み漁った。今までは知らなかった先生の姿、言葉に触れ、感動もした。だが僕の中で、「池田先生はすごい人」止まりだった。師弟とは。師弟不二とは。先生のためにとは。周りはいう。「先生のために頑張ろう」「師匠にお応えしていこう」。でも僕はそうはならなかった。語弊を恐れずに言えば、先生は異世界の人のように思えた。語り継がれる広布の歴史は、到底自分にはできそうにない。先生だからできたこと。この壁がどうしても乗り越えられなかった。
そして、池田先生のことを教えてくれる先輩や幹部の話もどこか腑に落ちなかった。「師弟は会ったかどうかじゃない。心の距離だ」と口をそろえていう。でもそれを語っている人の原点は、ほとんどが先生にお会いした原点だ。”そんな人に言われても・・・”と思ってしまう。発心してから「先生と同じ戦いをしよう」と何度も言われた。具体的に聞いても、唱題、折伏、教学研さんとかだった。「それは自分なりにやってる」と思っていても、わかってもらえないと思い、口を閉じた。やっぱり、先生にお会いしたいなと感情が押し寄せては、引き返す。ずっと悶々として毎日を過ごしていた頃、ある書籍に出合った。「若き日の日記」だ。青年時代の先生の日常だったり、その時の思索や感情が綴られているのは、僕にとっては新鮮だった。
創価学会の会長の池田先生というよりは、人間としての池田先生を知ったというか。「あ、僕と同じようなことを感じていらしたんだな」と思うとすごく親近感がわいた。
師匠も人である
若き日の日記は、学生時代何度も読んだ。『人間革命』『新・人間革命』『法華経の智慧』も数回読んだが、それ以上に読んだと思う。そして、ふと若き日の日記を参考にしながら、池田先生の1週間の戦いをノートに書いてスケジュールっぽくしてみた。そして、それを僕も実践してみた。全く質も状況も先生とは比にならないと思うけど、結構大変だった。でも、妙に納得もした。思想、振る舞い、努力、忍耐、継続など全てが「僕はこの人には勝てない」(勝つ勝たないの次元ではないと思うし、当時の僕は傲慢だったので気を悪くされた方いたらすみません)と思えた初めての人が池田先生だった。「先生も人だ」「僕も先生のような人になりたい」と常に自分の心の中に先生を思い続けた。
ただ、先生への思いを強くすればするほど、違う悩みもあった。それは僕の師匠像と周囲の師匠像というか、僕が知っている先生の姿と周囲が知っている先生の姿が違うんじゃないかという点だ。
自分がいいように「先生」を作り上げているんじゃないかとも思ったり、周りからすれば「池田先生はそんな人じゃない」と言われるんじゃないかと思ったり。でも、僕はそれでいいと思っている。もちろん、我流に走るのではなく、先生への求道心を燃やして、先生の見えてる世界だったり、精神を自分の血肉にできるような研さんや実践は欠かせないと思う。ただ、「池田先生」と「自分」の師弟関係だ。その間に、誰人も介入してはいけないと思うし、させてもいけないとも思う。これが正しいのかどうかはわからない。でも、僕は僕なりに師弟の心で、池田先生と同じ思いで、学会活動に励み、仏法を弘めていきたいと思う。僕は「信者」ではなく「行者」だ。
師弟の人生を歩むようになってから、僕の人生観、振る舞いなどなど、180度変わった(笑)。一人じゃない人生が、こんなにも豊かだとは思わなかった。何より、僕は強くなった。
おそらくこれからの学会は、僕と同じようなことを考える人、悩む人が多くなるかもしれない。師弟のあり方や師弟の原点をいかに築くかは、その時代、時代で変わると思う。ただ、創価学会は永遠に広布に生きる師弟の団体だ。これだけは、変わってはいけないと心から思う。
まとまりがなく、読みづらかったり、
分かりにくいところもあったかと思います。
それでも、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
600度の法則--桜と人生と、時々未熟な僕【創価学会3世のブログ#3】はこちら
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