初めての就職
私は疲れ果てていた。
就職の希望はマスコミ関係だった。
もう半世紀以上前の話である。
いろんな手を使って放送局や新聞社の入社試験を受けた。
たったひとつ、地方の新聞社の試験に合格した。
でも、どうしても納得がいかなかった。
地方の新聞社でさらに地方の駐在記者などになったとしたら。
私はその生活が見えなかった。
で、4回生の秋、それを断った。
以後、私に幸運は訪れなかった。
同時に、大学の封鎖が始まった。
私はその封鎖の中へ出入りをするようになった。
一方で野心を尖らせた。
といっても就職をしなければならない環境であった。
法学部の学生だったのに、ただただ映画を観て過ごした4年間。
日本映画や演劇のシナリオを読んで過ごした日々。
最後の手段として映画会社の門を叩いた。
しかし、映画不況でどの映画会社も新規採用はなかった。
その中で、日活だけは様相が違った。
日活は路線をロマンポルノに変更していた。
「社員としては採用しませんが、各監督の組で助監督での採用はあります。
サードあるいはフォース以下の助監督で、給料は日当制です」
確かこんな感じの返事があった。
ロマンポルノの監督は曽根中正、小沼勝、西村昭五郎、田中登・・・
後で聞いたが相米慎二、根岸吉太郎、森田芳光などもいたらしい。
私には勇気がなかった。
普通の就職は諦めた。
もう一度、大学へ入り直そう、できれば学士入学を。
ということで、給料の高い、いつ退職しても
他への影響の少ない会社を捜した。
4月、新入社員として和服の帯を販売する会社へ就職をした。
これが私の最初の就職である。