ひとり
海辺一人になった夕方、とてつもなく心寂しい気持ちになった。いつもの悪い癖で、「どうせ私はひとり」という風にひねくれた気持ちに陥ってしまった。
でも、実際は、今日から大好きな友達に会いに行くはずだった予定があったのを、コロナの緊急事態宣言発令のために、急遽キャンセルする事になったのだった。
そんな理由でやっぱり海には行きたいと思う理由から近場の海辺に一人で来た。
どこかで、ここで出会いなんかあったらちょっとオモロいなと思いながら、でも、そんなん10代の時の自分と考えてる事変わってないなと思って自分に引いた。
日に焼けた若い元気のいい女の子達をみて、この子達も、適齢になると、いい感じの人と結婚して、子供も何人ももうけるんやろうなぁ、、まぁ、それが女性にとって一番の幸せを感じられる生き方なのかな、、、。
なんで、自分はそうならなかったんだろう。。
自分は、そもそもそうなりたかったのか。
自分はどうなりたかったのか。。。
そんな事を考えた。
10代の自分は、めっちゃ弾けてた。
何も怖くないって、とりあえずチャンスが来れば、何でもかんでもトライしてみたかった。
人見知りの真逆で、交友の輪は、すごく広かった。
その時は、早く大人になりたくってしょうがなかった。高校生の時は、バイトをたくさんして、出来るだけ暇な時間はお金に変えて、休みには出来るだけいろんな人と遊びにいった。
年上の男性と付き合って、学校の同級生が経験できないような、旅行に行ったり、クラブに行ったりして、少し優越感すら感じていたかも。
早く「大人」になりたくってしょうがなかった。
その時の私の「大人」の定義は何だったんだろう。
少なからず、お金を稼いで、自分の事はもちろん、周りにいる大切な人達を財力で幸せにする事は前提にあった気がする。
もしかしたら、それだけしかなかったかも。
子供を育てるとか、家族を始めるみたいなことは私の「大人」のビジョンには含まれていなかったかも。
ただ、大学に入る理由が「より良いお母さんになるため」やった。
その「お母さん」というのは、自分の子供に対しての母というよりかは、「マザーテレサ」みたい像を何となく想像してた。
自分の子供を産むことは当然の事で、絶対いつかは自分にもその時が来ると思ってた。
大学ではめっちゃ勉強した。めっちゃ楽しかった。
心理学と文化人類学を同時で専攻していた。
「人」っていう最も身近、ましては、自分もそうだし、その「人」についていろんな方面から研究された事を知る事は本当に、私の見える世界がどんどん広がって行って、めっちゃ面白かった。とりあえず、4年間はめっちゃ勉強した。
私の学部のクラスメートたちは大体、大学院へ進んで行った。もっと、「人」についての勉強をして、自らさらに深堀したいトピックを選んで、それを研究するために。
でも、私は「お金」を稼がないとダメだって思って、就職する事にフォーカスした。しかも、金融関係の会社に。
就活も全然簡単なものではなく、50社以上受けたけど、どこも受からず、最後の方はホームレスになるのではないか、、って本当に不安だった。
だから、就職できた時は、想像以上に嬉しかった。仕事が楽しくてしょうがなかった。
「お母さんになる」っていう事なんて、忘れていた。
こうやって、自分は「お金大好き」なお金の亡者になってしまった。(?)
大学卒業後ぶっ続けで15年企業勤めをしていたが、先月、思い切って仕事を辞めた。田舎にも引っ越す事に決めて、ここで自分で何かを作り出す事できないかなぁ?って模索を始めた。すごいお金にならなくても。
「より良いお母さんになりたい」
これは結局どういう事だったんだろう?
高校生の時に、周りの大人達が自分の事を理解してくれず、自分勝手で周りの大人を困らせるどうしようもない子という風に思われていたのが、とても辛かった。
私はそんなに頭のいい子ではなかったので、その状況からの上手な脱出方法を見つけられず。
とりあえず、親から逃げる事を選んだ。
それと同時に大人がもっと多様な人間を理解できるようになったら、無駄な誤解がなくなって、もっと効率が良い世の中、、もっと一人一人が生きやすく、幸せに、活躍しやすい世の中になるのではと思った。
だから、私は多様なバックグラウンドが集まるアメリカのニューヨークの大学に留学したんだった、、。
つづく