弁が立つ人(の一部)が苦手な件
僕は話し、伝えるのが得意ではない。
文才もない。
なので、内容が分かりづらかったらごめんなさい。また不快でしたらごめんなさい。
上記の通り、僕は弁が立たない?タイプだ。うまく言葉が出ず、説明下手で仕事も結構苦労している。だから弁が立つ人はすごく、羨ましく思う。でも、それを相手にも求める人(これがタイトル記載の「一部」)が、すごく苦手だ。
「弁が立つ」ことを自負している知り合いがいる。
その人は「口喧嘩は負けない」「すぐ言葉が出る」そして更に「受験では現代文が1番強かった」「本もよく読む」「今まで書いた文章はよく褒められてきた」と豪語する。そして、今は「ライター」をしているとのこと。
この人の記事を読んで、今まで思ってきたこと、してきたことを知り、距離を置きたくなった。
簡単にいうと、語彙力ない、理解力ない、会話成り立たない、君とは友達になれない等々、言うのである。
この人にも色々な背景がある。でも、それを踏まえても、弁が立たない相手を蔑み、それを直接相手に言葉としてぶつけ、最終的にその一連の出来事であるを文字に起こしている意味が分からない。
ただ人を馬鹿にして「皆さんの周りにもこういう人いますよね。わかりますよね。苦労しますよね。」と言ってるだけで、馬鹿側の僕としては申し訳なさもあるが、なぜそこまで言われなくちゃいけないんだろう…という思いである。
また、こういう弁が立つ人に限って(この人だけである事を願う)、口論に負かされた時は、その後負かされた相手との接点を0にし、自分の行動や考えを都度調整しながら(してないことをしたことに、したことをしてないことにする)、吹聴して歩くのだ。弁が立ち、文才があると自負しているだけあって、調整版は当事者しか、嘘だと分からないようになっている。
こうして時が経って、その人が思い出話をする際は、調整版が事実となっているのだ。
いつまでこの人は、自分の思い描く世界を生きていくんだろう。
現実をありのまま、受け止める時はくるんだろうか。
いや、無理だろう。
とにかく僕はこういう人が苦手なのです。
本当に弁の立つ人は、相手に合わせた話し方ができる。そんな人に、僕はなりたい。
最後、暴言でまとめます。
仕事じゃないんだから、何事も相手に自分と同じレベルを求めるな。そして自分史を改竄するような、自分の行動に責任を持たないような人間になるな。そして記事としと書くなら※この話はフィクションという注意書きして。改竄しないで。
以上。
※この登場人物はノンフィクションです。