心のどこか、比較的中心に近いところ③
続きです。
また長々と回りくどく、女々しくなります。
女性Hに振られ、心が不安定となった僕を、息抜きとして利用していたものが救ってくれた。
それはあるSNSである。
もともと受験のストレスの捌け口として、利用していたアカウント。
ただ、模試の結果とか、予備校の授業とか、時々私生活について、誰にも見られないだろうという気持ちで書いていたと思う。(だいぶ記憶が曖昧であるが…。)
そこに今回の一連のこと、その後の自分のことを書いた。
悲しい、辛い、なんでこうなったんだろう、そんなどうしようもない気持ちを、自傷行為を含めて書いていた。
自傷行為は自分の中で消化しきれない、辛い思いを紛らわすための手段であり、現在も、当時の僕にとっても、到底、人に言えることではなかった。
しかし、匿名性のあるSNSには何でも書くことができた。
当時の本音、素の、ありのままの自分がそのアカウントには存在していた。
日々の辛さを書きなぐっていた時、一通のメッセージが届いた。
それが女性Aとの初めてのコンタクトである。
正直、どんなことを話していたのかは、覚えていない。
でもいつも心配してくれていたことは、覚えている。
回数は少ないものの、SNSを通して連絡を取り続けた。
自傷行為に対しても「止めて」ではなく、「大丈夫?」で返してくれる、決して僕を否定せず、心配ばかりしてくれた。
正直、当時の心の安定のためには自傷行為で気持ちを紛らわすことが必要だったと思う。これをしていたから、他人に当たることなく、被害を自分だけ(女性Aもかな…)に留めることができた。
浪人終盤、度々話を聞いてくれた女性A。
結局、国公立は不合格、私立大学へ進学することとなったが、女性Aのおかげで、早い段階で以前の自分に近い落ち着きを取り戻せた。2次試験終了後には、素直に自分に「お疲れ様」、両親にも「ご心配、ご迷惑おかけしましたが、なんとか受験を終えました。ありがとう。」と伝えることもできた。
もし、女性Aから、メッセージが送られていなかったとしたら、どんな形で浪人を終えていただろう。もしかすると、今も女性Hを恨んでいたかもしれないな、と今でも思う。
受験が終わってからも女性Aとの連絡は続いた。そして、関係に進展があった。
続く