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結婚前の「あしぶみ」

おはようございます。
毎日編み物をしながら暮らしたいアランアミです。

長かった子どもたちの夏休みが終わった!
今年は長かった…。
先週は実家に帰省しており私にとっても「休暇」と感じられる時間だった。
今回は初めて子どもと3人で新幹線で帰省したけれど、子どもたちに手がかからなくなったので楽しい旅だった。

船に乗って母の実家にも行った。
祖父は施設に入っているが祖母は山の中の一軒家で一人暮らしをしている。

今まで聞いたことがなかった祖母の結婚前の話が興味深かった。

「足踏み」という習慣

なんとなく祖母に祖父との馴れ初めを聞いてみた。

「じーちゃんとはお見合い結婚だったの?」

「お見合いというか“あそこに嫁げ!”みたいな感じだったんでしょ?」と母が言う。

「そうだね。でもじーちゃんと結婚する前に結婚する予定だった人がいたんだよ。」と祖母は答える。

「お付き合いしている彼氏がいたの?」と私が問う。

「違う。彼氏はそれじゃなくて他にいっぱいいた。それじゃなくて結婚前に『足踏み』といって籍はいれないけれど、相手の実家で暮らすお試しの期間があったの。」

今でいう結婚前の同棲期間みたいなものを『足踏み』と言ったらしい。どこの家で『足踏み』をするかは父親が決めていたらしい。

「なんでその人とは結婚しなかったの?」とさらに問う。

「その人が“旅に出る(上京する)”って言ったからだよ。私は両親の世話をしたかったから島から出るのは嫌だった。そこの家にはその人の兄もいたけど結婚する人が決まっていたから、そこの家との結婚はなくなったんだ。」

自由なようで全然自由じゃない

形式だけのものではなくて『足踏み』をしてお互いの意向に沿わないのであれば結婚まで進まないというのは個人の意思が尊重された良いシステムだと思う。

でもそもそも娘の婚姻は父親が全部決めるというのは人権侵害なのではと思う。

祖母が結婚したのは戦後少し経った1950年代。

家父長制の色は強く、娘は家の『モノ』として扱われていたんだなと思うエピソードをいくつか聞いた。ここでいう『娘』は私の祖母で、『父親』は私の曾祖父になる。

4姉妹だったけれど、女学校に通わせたのは1人だけ。それも勉強が好きとかよく出来るといった基準ではなく父親の気に入っている娘が通うことができた。

父親に行けと言われて大阪に住んでいる父親の妹の手伝いに行った子もいる。

きっと当時の父親と娘の関係ってそういうものだったんだ、と思う。

人生の分かれ道

私はずっと「もし祖母が島から出て暮らしていたらどんな人生になっていたんだろう」と空想していた。なんとなく都会に出て生活した方が活躍した人なんじゃないかと思っている。根拠はあまりないんだけれど、直感力が高い人だから刺激のある環境の方が合っていたのではと。

実際のところ独身時代に島から出て一時的に新潟市内(当時市内だったかは分からないけれど)で暮らしていたこともあるらしい。

そんな祖母だけれど、島で両親の世話ができる距離で暮らすという決断を自分でしている。ちなみに祖母の実家はお姉さんが残っていて、祖母は嫁に出ている。

私は今の今まで知らなかった。
なし崩し的にずっと島にいたのかと思ったけれど、思っていたよりも強い意志で島に残っていた。

身近な人の昔の話。
とっても面白いし、聞いておかないと「私が妄想した祖母の人生」を周りに伝えてしまいそうだ。


ではでは、良い1日を〜

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