何されても許すのは、何しても許されたいから。
このようなドブ川より汚い根底がもしかしたら自分にはあるのかもしれない。
初めまして。
厳密に言えば「初めまして」ではないかも。
以前noteで音楽系の記事を気ままに書いていたのだが、訳あって全削除した。
我ながら良い記事もあったんだけど、諸事情で。
しかし「諸事情」という言葉は便利だと思います。
「何かあったんだろうけど、きっと良くない事だろうな」というニュアンスを含ませることが出来るから。
こういうところが良くない、本当に良くない。
そんなこんなで心機一転リスタート!
…という一発目でこんなクソみたいな見出しをつけてホントすみません。
音楽を筆頭に自分には趣味が多い。
読書、マンガ、ファッション、飯…
好きなものが多いことはいいことだと思うと我ながら思うが、それらを「好きな人」と仲良くなった経験がない。
それはそもそも自分がひねくれにひねくれた性格で友人の絶対数がlowという問題もあるけれども、にしても...ね。
つまり「趣味を誰かと共有せず一人で完結させて来た人間」というわけです。
言わば好きなものを誰にも見せず、共感も求めずに楽しんできた。
一見すると求道者かの様に聞こえる俺ツエー発言っぽいが、根底には
否定が怖いから共感を求めない。
という思いがあるんじゃないかと最近思いました。
自分の実力を試したくない。
好きだから何やってもいい。
そもそも好きに勝ちも負けもない。
だからほっておいてくれ。
「好きに勝ちも負けもない」という言葉は正しいと思う。
けど、他者評価から逃げなかった人間がその結論に至るのと無知極まりない井の中の蛙がそう言うのとではまるっきり意味が違う。
今まで沢山のいいモノを知った上で洗練さてていくミニマリストと初手から無駄だと選択肢を捨てていくミニマリストでは意味合いが全然違う。
無駄を知らないのに無駄を切り捨てることはできない。
そしてよく「優しい人ですね」と言われる。
それを聞いて優しくない自分は「褒めるところのない人間を無理くり褒める常套句」と毒付くけれども、人が自分に向けていう「優しい」は「無害」にニュアンスが近いかもと思いました。
そうなると対義語の「有害」にはなりたくないと思う反面、無害って実は一番危険かもしれないと思った。
相手に「殴っても殴り返さないよね?」って思われてる可能性が高い。
思えば昔から人に舐められてる。後輩から話しかけられるけれども度が過ぎる時にも怒れなくハハハと笑って許してた。
でもその根底の思いは、自分は怒られるのが怖いから怒ってなかっただけだった。
つまりナイフを持った相手に裸一貫で向かって「俺は手ぶらだ、だから刺すなよ」と主張していた。
しかし、自分にも家族ができた。
守るものができた。
そんな心持ちのままでええんか、と。
手ぶらで向かおうが刺して来るもんは容赦なく刺す。相手からしたら裸一貫で向かって来るバカなんて絶好のチャンスだろう。そんな時の死ぬ間際に、
「なんで俺は手ぶらなのに刺すんだよ!」
ってみっともない戯言を吐きながら息絶えるのだろうか。自由は死せずとも自分の尊厳が死ぬ。
それで解決するなら不倫も解散も事件も戦争も起きない。
もういい加減やめよう。
許せないモノがあるならプライド持って許さない。その代わり自分の身勝手な行動にはちゃんと責任を持とう。
そう決意した27歳既婚男性の自己紹介代わりの独白でした。
これ以降はクッッッッッッソライトな音楽だったりファッションだったり好きなことを書いていきたいと思います。
構想中の記事は「ドキッ⁉︎ ファンが困惑するフロントマンソロデビューの罠‼︎」というクソオブクソです。
もし読んでくださった方、ありがとうございました。
良い日でもそうでもない日でも、読めたことが生きている証拠です。
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