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孤高かつ謎の歌い手【腹話】語ってみた__

おはようございます。

久々過ぎて文が書けない。

それはここ最近の猛暑で頭が沸いているからもあるけどね、スマホの入力をフリック入力に移行したからだ。

スマホを所持し始めた大学からQWERTY配列のキーボードでしか入力してきたが、いい加減自分自身もアップデートしようと思い10年慣れ親しんだ方式を変え、フリック入力を一から学び直している。

はい、むり。

今ここ。
文字入力はまあいい。ガラケーいじってたしある程度のカンはある。
問題は記号。句読点や鍵括弧などを打つのが億劫でしゃーねえ。
右下2キーで数多の記号を何とかしようってのが人間の傲慢の権化。
バベルの塔はこの2キーで建設されている。

そんなバベルの塔ニキの戯言はさておき、最近中学高校で聴いていたボカロや歌い手を漁るのにはまっている。

そこで色々エモい気持ちがせりあがってきた。
中学時代の友人にCD借りたなあ。
未だに家にある。
早よ返せ。

ニコニコ動画全盛の時、ボカロや歌い手が尋常じゃないぐらいの盛り上がりを見せて音楽界の暗黒大陸を担っていた。

今でこそ市民権を得て世間にも浸透した両ネームだけど、当時は本当に陰キャや日陰者が聴くようなコンテンツという認識があったためボカロ歌い手が好きなことを公言することはイコールでナード認定されることと同義だった。

だから好きなアーティストは?と聞かれたら当時から好きなミスチルB'zでもボカロ歌い手でもなく

「オウッフ、、、オレンジレンジですぅ、、、以心電信イイッスヨネヘェ、、、」

と回答していた。オレンジレンジも好きなので嘘ではないけど以心電信は嘘。本当は『yumekaze』

そこで「うわこの人めちゃくちゃ好きだったなあ」って思って聴いていたのが『腹話』という歌い手である。

歌い手の中では割と有名だけど赤飯とかピコみたいなビッグネームではなく知る人ぞ知る感が当時の厨二心にギャンハマリ。


↑ビッグネームの現在地な

そんな彼、今でも現役で歌を上げ続けていて恐ろしいことにクオリティが上がりまくっている。当時でもヤバかったのに未だにヤバ上がり。

そんな彼がなぜここまでに私の心を動かすのか、他の歌い手とは何が違うのか、少しエモ成分多めで語っていきたいと思います。




当時の『歌い手』とは


ボカロはまあ解説不要として、『歌い手』は少し解説が要る気がする。
まず『歌い手』って聞いて想像するものが今と当時では乖離があるように思える。

まず『歌い手』についてはこちらを参照頂きたい。

この記事をざっとまとめると、
①『歌い手』とは「歌ってみた」カテゴリで動画投稿や生放送をするユーザーの総称
②プロが「歌手」でアマチュアが「歌い手」という区分けの文化がある
③仲良くしろ

である。記事後半である③を死ぬほど雑にまとめたけどこれはすべての商業芸術に言えることなのでぜひ読んでほしい。
ここに捕捉するなら2000年代当時の歌い手は

・ニコニコ動画投稿が基本
・ボーカロイド曲カバーがメイン
・語尾に「歌ってみた」をつける

事が特徴として挙げられる。最後の文章は何気ないことかもしれないが全部つながっている。
「カバーではない」ということだ。
ボーカロイドという機械音で構成された旋律に人間の声を当てアップグレードすることで曲の魅力を表現できるとともに自身の歌唱力もアピールできる。ボーカロイドってだけで曲聴かない人は昔も今も多いですからね。

つまりボーカロイドの発展失くして産まれなかったのがこの『歌い手』という文化である。

しかし今、境界線があやふやになってきた。
まずYouTubeの台頭でニコニコ動画自体の衰退があり動画投稿をニコニコで行わくなったこと、人間の肉声に限りなく近いボーカロイドの発明で歌い手によるアップグレードの必要がなくなったこと。

そして何より『歌い手』が『歌手』になったこと。

歌い手→歌手の最大の成功例がAdo。
元々歌ってみた動画のいち投稿者だった彼女が今やワンピースの主題歌を歌い椎名林檎やB'zなど音楽関係者が垂涎するようなメンツから見初められたりと途方もない活躍を見せている。
他にも赤飯やピコ、さらにはVaundyなども活躍している。

歌い手でも歌手になれる新時代になったことでいよいよ歌ってみたを投稿するメリットはなくなった。

それはボーカロイド製作者も同様で、米津玄師やEveや須田景凪など元々ボカロPだった彼らも今やリアルの音楽業界で第一線張っている。

そんな業界の中、かくいう『腹話』はどういう投稿をしているのだろう。




腹話の特徴

最新作。
色気のある低音からつんざくような高音、さらにはDirばりのシャウトやデスボイスもでき、それらをすべて駆使した多重コーラスが特徴である。
Bメロのオペラのような揺らぎのある高音も素晴らしいしサビの『ヴァニタス』のクトゥルフ神話のような重低音もかっけえ。

ハチ(米津玄師)作の楽曲の歌ってみた動画。
当時の彼の尖りっぷりは異常だけどその中でも最狂曲。
その不気味さを増幅させる彼の歌声と表現とミックスには舌を巻く。
メロのスクラッチ風の声ミックスやラスサビの敢えてハモる側のメロを主旋律で歌うセンスはどっから出てくるんだ?

彼って起伏を多用した歌声がピックされがちだけど、そんな飛び道具使わずともめちゃくちゃ上手いんですよね。
序盤ほど低音なのに微差で起伏をつけているし、サビの浪曲のようなコブシはモロ技量出ているし根底のミックスがやばいし。

しかし彼の凄いところって技術やミックスだけじゃなくて、それらを楽曲に全奉仕しているところだと思う。
歌唱力もミックスも途轍もないのにそれを楽曲という舞台を用いて大発表会みたいなことしない。
あくまで原曲の良さを引き出すための腹話という装置に徹している。
そう考えると特徴的な起伏の激しい歌声も楽曲の良さを表現するために後天的に身に着けたのではとも思う。

「『裏表ラバーズ』にはもっと裏声や起伏が必要だな、よし練習すっか」

とか思ってそう。想像だけど。


好きなのは彼の『歌い手』としてのアティチュード

彼は歌い手としてはかなり寡作の部類に入ると思う。
間に1年とか空くこともザラにある。
しかも歌う曲は有名ボカロPとかの作品ではなく著名ではない方たちばかり。
それは別にサボっているわけではなく、

いい曲と出会えたら歌う

というスタンスだからである。

これ、『歌手』にはできないことだと思う。
仕事として歌を生業にするには歌いたくない時にリリースしないなんてわがままは通らない。楽曲にも締め切りがあってライブもしなきゃならない。何より稼がなきゃいけない。

さらには『歌い手』にもできないことだと思う。
ニコニコ動画が全盛だったころ、歌い手もボカロも乗りに乗っている時代。ある有名ボカロPが新曲をアップしたらこぞって歌い手は歌ってみた動画をカバーした。
再生数欲しさにとりあえず上げる。
ショタボが売りならより高く。
妊娠ボイスが売りならよりねっとり。
みんながわーきゃー盛り上がる。
やっぱりこの人の「声」いいなあー。
声。
声。
声。
別に悪いことじゃないとは思うよ。
誰も承認欲求には勝てない。
私が同じ立場だったら間違いなくそうしている。
でも、原曲の良さを知ってもらう本分とはもう違うよね。
信念のない歌ってみたはカラオケだよね。
『歌ってみた』って便利なニュアンスだと思う。
下手でも信念無くても予防線張れるし。
ただ彼はそこから逃げなかっただけ。
自分の声と技術を道具にして原曲の良さを引き立たせるための【腹話】という装置。
歌手になることもなくあくまで『歌い手』として。
いい曲と出会っていい曲を伝えるための自分。

そこが私は大好きなのだ。

彼は表現者として徹底的に創作者に敬意を払っている。
ただ最高の曲を最良の方法で表現するだけ。
そこに路銀も名声も要らない。

私は常々「好きを追い求めるのにその職に就くのは最良とは言えない」と思っているのはこういうかっけえ人たちがいちゃうからなんですよ。

27歳の今、当時より歌い手やボカロを聴く回数は減りましたが彼の作品はずっと大好きで今でも聴いてしまいます。
いい曲と出会えたらいつでもいいのでまた投稿お願いします。
















あとnoteやってるって知らなかったのでフォローさせていただきました。
すみません。


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