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目黒鹿鳴館と私

大人になったらオールナイトメタルパーティーに行きたい

ロッキンfを熟読する京都の中学生だった私は夢見ていました。
目黒鹿鳴館でヘヴィメタルに塗れた年越しをすることを。


東京の大学生になった私はしかし、その夢を叶えることができませんでした。
なぜなら冬休みには実家に帰らなければならなかったからです。
年越しライブなんて不良よ!
うちの親はそう言うタイプでした。


初めて目黒鹿鳴館に行ったのはもうだいぶ大人になってから。
98年でしたか


TERRA ROSAが再集結ライブを行うイベントがあるってよ!
(それこそロクfで見たことある人達がたくさん出演されていた)
(確か翌年も同じようなイベントがあったような??記憶が混同している可能性あります。詳細ご存知の方、教えてください)


恐らくロクfのニュース欄で見たのだろうと思いますが
「これは絶対に行かねばならぬ」と色めき立ち
バンドメイトZUMAちゃんを誘い意気揚々と初めての権之助坂を降りていきました。


看板を見て「おお〜っ」
入場を待つ長蛇の列を目にして「おお〜っ」
出演者が目の前を通り過ぎて「おお〜っ」

入場して、映画館のごとく椅子がある光景に「おおおおおおおおお」


興奮しましたねえ。
これが、これが、あのロッキンfによく載ってた鹿鳴館。


そして眼前で繰り広げられたステージ
TERRA ROSAを解散前に見ることがついぞできなかった私にとってはもう神々の宴


バンドメイトZUMAちゃんと
「皆さん、いい歳の取り方しておられるね」
と話しながら帰ったことを覚えています。

(二十代の若者が三十代の岡垣さん達を見ての感想)


その後何度か観客として足を運びました。
一番後ろの柵に寄りかかって観るのが自分的定位置でした。


しかし演者として自分が鹿鳴館に出演することは
実は全くイメージできなかったです。
何か別世界というか、先輩達が出るところ、という感じで。

SIEGFRIEDに入ってからは吉祥寺クレッシェンドがホームで
私にとって目黒はやっぱり遠いところでした。


Starlessに至っては関西拠点
東京では恵比寿とか渋谷になっていました。


初めての目黒鹿鳴館体験から十数年後ですよ

APHRODITEで出演者として楽屋に入る日がやってきたわけですが
それもまた「おおおおおおおおおおおおおおお」しかない体験でした。


本当にお陰様で、今日まで約10年の中で何度も出演させていただき
楽しいことも悔しい思いも、たくさん体験しました。
中学生の頃から愛聴してきたバンドの方々との共演や
素晴らしい出会いもたくさんありました。

APHRODITEのレコ発が疫病禍で中止になったこともありましたね…


オープニングSEを聞きながら1人、ステージ入り口の暗闇で鹿鳴館の神様かなにかそういった存在に感謝と祈りを捧げる時間は大切なものでした。


スタッフの女性が素晴らしくて、いつも大変お世話になっているのですが
一度、私が誤ってアニかつさんの足元のスイッチを踏んでしまいベースの音が途切れ、
咄嗟にその方がスイッチを押してくださり元に戻った、ということがありました。
惚れたナァ〜。


そしてここでTERRA ROSAを歌わせていただくという機会も二度ありました。
それはもう本当に、特大のおおおおおおおおおおおおおおおしか出てこない体験でした。


私の目黒鹿鳴館物語
長文の割には諸先輩がたの鹿鳴館物語とは比べものにならない薄い話ですみません。

でもこんなペーペーにも溢れる思いがある
目黒鹿鳴館はやはり聖地でした。


閉館、移転されるとのことで
今週末のライブが私にとっても目黒鹿鳴館での最後のステージになるのですなあ。


心からの感謝と共に頑張りたいと思います。

新しい鹿鳴館も楽しみですね。







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荒木真為 ARAKI Mai
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