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一泊三日と3時間!悪縁をぶった斬って良縁を掴め!旅 12

推し美術館に通える距離に住みたい。

出発
姫路でモーニング!
岡山駅でおやつ、福山で靴を調達
ふくやま美術館でテンション爆上げ!
友人と合流、18きっぷを使い倒せ!
鈍行乗り継ぎ6時間移動、山越えは圏外との戦い。
デイリークエストは効率的に。
宝物殿はトキメキがいっぱい。
再びのソロ。松江満喫!
旅先が温泉地って最高
4度目の正直、姫路城!
・推し美術館に通える距離に住みたい
推し美術館と、旅の終わり

今回の旅、最後の目的地は愛知県名古屋市、尾張徳川の宝物を保存、管理、展示する徳川美術館である。

夜行バスで東京から姫路へ、18きっぷで福山、倉敷を経由して出雲へ。
翌日は出雲大社と松江城。
そして夜行バスで大阪まで移動して、18きっぷで姫路に寄って、東京に帰る前に名古屋をねじ込んだ。

なんで無理くり捻じ込んだかって?
推し美術館だからです。

隙あらば行く。
見たい展示があれば、夜行バス往復4,000円で徳美だけ行って帰ってくる。
嘘を吐きました。
夜行バスで名古屋行って、熱田神宮お参りして、徳美行って、スーパー銭湯で時間潰して、夜行バスで帰ってくる。
なので、今後も度々出てくると思うが、私の珍道中noteのサビだと思って付き合ってほしい。

と、言うわけで大曽根駅で降りる。
駅前の郵便局で切手を買って、絵葉書を出す準備もOKだ。
もはや通い慣れた道を歩いて、美術館へ向かう。

隣接する徳川園沿いの道は美術館の裏手に繋がっている。
正面の門ももちろんいいが、徳川園沿いのあの小道も木々の下を通っていくのがとても気持ちいいのだ。

チケットを買って、ロッカーに荷物を預けてから最初に向かうのは喫茶室だ。
時間があれば、まず喫茶室、展示を2〜3時間見てからもう一回喫茶室に寄らせてもらうのがパターンになりつつある。
だってお腹が空くんだ、3時間もうろうろしてると。

そしてお昼をしっかり食べられてないこの時の私はお腹が空いていたし、ギリギリまで展示を見るなら喫茶室が閉まってしまう前に寄らせてもらわねばならない。
徳美の喫茶室は特別展に合わせた期間限定スイーツを出してくれるので、この日は「竹千代」をいただいた。

今年の大河ドラマの主役は徳川家康。
尾張徳川家とも切っても切れない縁がある。
竹を斜めに輪切りにした器に、可愛らしく盛られた和スイーツ。美味。
日によっては、限定スイーツどころか普通のサンドイッチも売り切れてしまう喫茶室だ。
お立ち寄りの際は是非楽しんでほしい。

喫茶室のスタッフさんは差し入れを受け取ってくれるので、会計の時に出雲のお土産も渡してから展示室へ向かう。
これからも美味しいスイーツをよろしくお願いいたします。

2023年春の特別展で私が行った時のものは2種。
「尾張徳川家の雛まつり(2023年)」と、「読み解き 近世の書状」だ。

入り口のエントランスには立派な雛壇があって、撮影もできる。
もうこの時点で立派なのだが、こんなの全然序の口だと気づくのは一時間くらい後だ。

展示室は常設展から始まる。
常設展とはいえ、こまめに展示替えされているので毎回楽しい場所だ。
そして最初の衝撃。

第1室には刀コーナーがあるのだが、残雪とあけぼのと裕乗がいた。
推しの一振りの拵えの一部である。
ハイ徳美さんそういうとこー!好きー!でももっと宣伝してくれていいよー!!!

さっきも買いたが、今年の大河は徳川家康の物語だ。
常設展は家康関連のものも多かった。
まぁ、ど頭の残雪たちでだいたい脳内からは吹っ飛んだが。

とまぁそんな感じで、時折はわわ……となりながら展示室を進んでいく。
いつもの建物の中に再現された茶室と能舞台に展示される品々、毎回のように小出しにしてくれている初音の調度(国宝)。
通っているレベルなのでなんとなくの流れは分かるけれど、毎回新鮮に楽しい鑑賞タイムだ。

そして、場所は蓬左文庫へ移る。
渡り廊下の先、蓬左文庫では「読み解き 近世の書状」が開催されていた。
戦国時代〜江戸初期くらいの各種書状や手紙なんかがメインの企画展だ。

そしてやっぱりど頭に殴られた。
森くんの遺書である。

森長可。
織田信長の小姓、森蘭丸のお兄ちゃんである。はちゃめちゃに強かったらしい。
ゲームで知ったその人の書状がある、とは事前に噂を聞いていたので、確かめようと楽しみにしていた。

だが、展示室入って目の前の一番最初に仁王立ちしてるとは聞いてない。
しかも遺書かよ。

内容は実直で、家族思いのお父さん。
手(筆跡)は、しっかりと磨った墨で黒々と明瞭。
鬼武蔵のバーサーカーなイメージ強過ぎて、忠義厚い武人なのは知ってたけど勝手にギャップ萌えする。

手紙一枚でここまで楽しめるのだから、オタクは本当に燃費がいい。
他にも、有名な三英傑に始まり、たくさんの書状が並ぶ。
内容も、その手も、一人一人の生き様が滲んで、ここまで並ぶと本当に壮観だ。

いつ、誰が何をしたのか、どういう人間関係があったのか。
どんな思いで、生きていたのか。
道具や芸術品とは、情報量が違う。
専門に学んでいるわけではないから全てを読み解くことはできないけれど、キャプションと見比べて読める文字を拾い、今までで一番興味深く書状の鑑賞をした気がする。

昔の手紙を、私は初見ですらすら読むことはできない。
けれど、古くなっても、ところどころ虫食いがあっても、日に焼けてしまっても、遺っている。
何百年も前の、情報でしか知らない人々が本当に生きていたんだと。
私が一番実感するのは、誰かが書いたこの文字たちなのだ。

千年残り続けるような和紙を、美しいと思う。
手紙を、心を、残して受け継いできた人々の努力と心に感謝する。
変わったところも、変わらないところもある人の心に安堵する。

云百年後に自分が書いた手紙が博物館で展示されるなんてことになったら憤死するが、それはそれ。
そもそも自筆でなくとも小説を書いてネットに上げるなり本にしている時点で、もうその辺は開き直る他ない。
偉人たちもそう思って諦めてほしい。
楽しく拝見させていただきました。

次回、推し美術館と、旅の終わり。お楽しみに。

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