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今や幻のレストランの幻の出来事<美味しいものが大好き⑥>

僕が1984年パリに赴任した頃は一昨年他界したジョエル・ロビュション(Joël Robuchon)がパリ16区にジャマン(Jamin)という店を出したちまちMichelin三ツ星を獲得し料理業界の寵児として一世を風靡していた。

その翌年には鬼才アラン・サンドランス(Alain Senderens)がヌーベルキュイジーヌの数々の創作料理を生み出した三ツ星ラルケストラートを閉め、マドレーヌ寺院のすぐそばの「ルキャ・キャルトン(Lucas Carton)」に移ってきてまたすぐに三ツ星を取った。

南フランスにはカンヌから少し離れたところにあるラ・ナプル(La Napoule)の「ロワジス(L'oasis)」ではルイ・ウティエ(Louis Outhier)がその才能を遺憾なく発揮していた。(1988年に奥さんとトラブってレストランを追い出されたとか当時聞いた気がする)ここで1985年の夏に食べたフォアグラ料理がいまだに忘れられない。本格的なフランス料理を日本に体系的に伝えた辻調理師学校創設者の辻静雄さんと初めてお会いできたのもこのレストランだった。

思いだすだけでもゾクゾクするような当時の感動の食体験は今でも僕の宝物だが、もう一つ忘れられないレストランがこの時期スイスのローザンヌ近くのクリシエという小さな村にあった。

そのレストランこそフレディ・ジラルデFrédy Girardetが1971年にオープンした「ジラルデ(Girardet)」だ。ポール・ボキューズとジョエル・ロビュションと共に世紀のシェフと称賛されていた。当時ヌーベル・キュイジーヌ(新料理)と言われたフランス料理の革命の旗手たち。エルブジを中心とする分子ガストロノミーが世界を席巻するのはこの後だ。ジラルデは予約至難のレストランだった。まだFOODIESと言われる人たちはいなかったが、とにかく世界中から食べにくる。日本で当時最も成長していた企業のオーナー社長なんかも毎年来ていた。

僕の印象としては、そんなに見た目にはヌーベル(新しい)感はなかったが、寧ろ伝統的な食材を最大限調理方法を工夫して美味しく料理したというもので、でも味は驚くほど美味しかった。ある冬の日、親しい人たちと一緒に遅めのディナーをジラルデでとっていたら、遂に最後の客になってしまっていた。これはいけないとお勘定を済ませ出口でコートを持ってきてもらったら、それがぼくのではない。というか、こんな高価なコートは僕は持ってないよ。幸いネームが入っていたので見てみると「Davidof」とある。ダヴィドフ?ん?葉巻?「ムッシュ ダヴィドフは確かに今日来てらっしゃいました!」と店の人。なんと世界一の葉巻メーカーのオーナーにコートを取り違えられたということだ。

翌日、ジュネーブのDavidof本店にコートを持って伺った。ご本人が、僕の普通のコートとお礼だといって高そうな葉巻セットをもって登場した。確かに、僕と同じ体形をしている。でも、似ているところは体形ぐらいなもので、なんでこのコートとそのコートを間違えるかな(笑)これがきっかけで、葉巻デビューを果たし、一時はシガーをカッコよくくわえるウィンストン・チャーチルに憧れたものだ。

さて、ジラルデに話を戻す。フランスに2年半、そして4年半のスイス滞在を終え日本に帰国することになった、最後の食事は嫁さんと二人でやっぱりジラルデに行こうということになった。夜はさすがに予約が取れなかったが、最高のランチをいただいた。お勘定をしようと気が付いたら16時を回っていた。お昼から4時間以上も、それも全く長いとも思わず、気が付かず食べてたんだ。ジラルデおそるべし。

ジラルデは1996年にレストランを閉めた。最後の弟子と言われる日本人シェフが、東京芝公園にある日本を代表するグラン・メゾン「クレッセント」の磯谷シェフだ。いまでも時々「ムニュ・ドゥ・ジラルデ」という再現コースをオマージュとしてやられる時がある。また無性に行きたくなってきた。


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