星の時計にくるまれて🌠(825文字)
今度の木曜日は朝まで寝ない。
パーティーなんである。
窓際にコーヒーテーブルを設えて、灯りを消して、妻と横並びで、赤ワインやベルギービールを片手に、チョコレートやチーズなんかを摘まみながらバータイムなフリして夜空を眺め続ける。
なんとなれば、双子座流星群の夜だから。
15日の深夜には、1時間あたり70個くらいの星が流れるのだとか。
まあ、都市部じゃそんなに見えないだろうけど。
でも、街の光害があっても、あるいは多少の曇り空であったとしても、流れ星は明るいから、光や雲を透過して、いくらかはちゃんと見えちゃうだろうと思われる。
双子座流星群を初めて見たのは種子島でだった。ロケット打ち上げの前日だったか、翌日だったかに、ホテルの、海に面したバルコニーで見た。機械式のカメラで写真も撮った。あとから焼くと、オリオン座の四角が円弧を描いているのを斜めに割るように、軌跡が数本写っていた。
あれは何歳の冬であったか。まだ30代の、たぶん前半だな。
妻とは出会ってもいなかった。
ロケットの打ち上げ取材で島に渡っていたのだから、気持ちはもう存分に銀河に溶け込んでいて、すなわち変に高いテンションで、そして無駄にロマンティックな気分で、しんしんと冷える空気を吸い込みながら宇宙戦艦ヤマトの主題歌なんて口ずさんでいた。お気楽なバカだった。
今でも僕はバカだけど、還暦手前のおっさんとしては、バカはバカなりにバカラのグラスをワインで満たしつつ妻の気持ちも満たしてやる所存なんである。
毎年やって来る流星群であるが、なぜだろう、懐かしき友人と久しぶりに出会うときのような高揚感が今年はある。
宇宙は巨大な時計である、って誰かが歌っていたっけ。正確無比にやって来た過去を見つめ、正確無比にやって来る未来に思いを馳せよう。
冬銀河を走る光は、刹那にして永遠なのであるな。
寝ずの番を張るだけの価値がある。
見届けられたらいいな。僕らの幸多きベクトルを。
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