ここ、あひろ場で、
占い師の真似事みたいなことをさせていただいているのに、『占い、信じるべからず』とはなんたるタイトルであるか――!
と、呆れられちゃったかもしれませんね💦
思うところを述べます。
星占い、について。
ホロスコープって、真ん中に太陽があるんじゃないんですよね。
そうです。太陽も、水星や金星や火星や木星や土星や天王星や海王星や冥王星とおんなじように、中心点の周りを回っている図式となっているのであります。
ついでに月。これもやっぱり水星や金星や火星や木星や土星や天王星や海王星や冥王星なんかとおんなじように、中心点の周りを回っている。
実際の太陽系は、太陽が真ん中にあって、地球も含めた惑星がそれを回っていて、でもって月は地球を回っている――だなんてことは小学生さんでも知っているのに。
そう。天動説なんですよ、ホロスコープって。
地球が真ん中だという思い込みに基づいての見かけ上の天空――、これがホロスコープなわけです(だから天体が逆行したりもするんですよね)。
なんてこったい。
でも、ま、いいのです。ホロスコープは自然科学じゃないんですから。
実際の太陽系を象していなくたって問題ありません。
コペルニクスの大どんでん返し以前の宇宙――、すなわち、視点主中心主義(ジコチューじゃなくて、シテチュー、としときますか。なんか、キスミー💓みたいだけど💦)に基づく見かけ上の太陽系、これをホロスコープは象している――、
ってことはどういうことかっていうと、すなわち、ホロスコープが象しているのは、「主観的に捉えられるところの」私であり、彼であり、彼女であり、世界である――。
これ、すなわち内的配置。
僕はね、驚いているのですよ。この内的な配置が、なにゆえか、その人のありさまや、その人を取り巻くありさまを、わりとピタリと象している――ように思えるってことに。
ん?
気がつきましたか?
そぉーなんです!
「ように思える」って書きました。
そう。
思えるんですが、思えるだけなんです。
主観なんですよ。私やあなたの。
客観じゃないんです。
コペルニクス以前の主観的な自然観に似たなにかなんだって思うんですよ、星占いって。
だから、占いの結果を、客観的真理だなんて思わなくていいんですよ、たぶん。
占いの結果は、抗えない絶対――なんかではぜんぜんなくて、主観的にそう思えるところの、いわば思い込みなんです、きっと。
でもね、そもそもからして、そういうもんですよね、僕らの人格って、さらには、この世の諸々って。
視点主が認識するところの対象。
外から見渡した客観ではない。そう思います。
つまり、占いの結果ってのは、客観的な真理じゃなくて、主観的な心理なんだと思うわけです。
心理占星学だなんて言葉があるけど、まさにそれ。
星占いは、心理分析に似ている。
要は、その人が、自分の内的な配置を意識化して、魂の全体性を肯定的に受容できる――ようにするための方便なんだと思うわけです。
ツールだと。
だから、星占いで煩っちゃう必要も、患っちゃう必要もないわけです。
客観的な真理じゃないんだから。
ホロスコープは、呪縛ではなく、ツール。
参考にするための羅針盤。
実利のためではなく、自己実現のための。
んー。たとえていうなら、万有引力みたいなもん?
ある範囲においては正しいですよね。ニュートン力学って。
でもその外は、アインシュタインの相対性理論でなくては説明できない。
そしてその相対性理論の外側は相対性理論ではもう説明できず――。
真理は逃げ水みたいに遠ざかってゆく。
わからないことだけがわかっているありさまなんですよね、常に。
あらゆる決定事項が、やがては書き換えられてゆく。天動説が地動説にとってかわられたみたいに。
だから、ホロスコープは――、主観的に捉えられるところの、ある種の傾向であって、真理ではなく、部分においては通用するけど、全体に対して適用できる定規ではまったくなく、それゆえに、これに縛られて不自由になったり、絶望したりする必要はない――って僕は思います。
常に「その外」があるのだから。
無限――。
そうです。僕らの可能性は無限で、僕らは、そして世界も、――なんにでもなれる!
そんな僕らや、世界を、認知認識するためのツールとして、ホロスコープを使えばいい。
真理に向かって旅するために、心理を見つめてみたらいい。
そして、けれども、真理には到達し得ない。真理は終着地点ではない。逃げ水にも似たなにか。方向性でしかない。いや、方向性ですらたぶんない。真理はいつでも途上。
なんで生まれてきたのかわからないけど、いつのまにか存在しちゃってる僕らが、僕らの主観世界や、それを包む客観世界を、定位するための手掛かり、というか、取っ掛かり――みたいに掴めばいいと思う、ホロスコープってツールを。
ホロスコープは、当たって見える。
その人は、そういう人であると確かに見える。
でも、客観的には、その人はそういう人である――だけではない。
見方を変えたらまた違って見えてくる。
円錐を横から見て三角に思っていたり、下から見て円に思っていたり――みたいなこと。
ホロスコープが真実だなんて思っちゃいけない。
星占いも、発展途上であるはずのあらゆる占いも、いや、現代科学による世界認識も、すべては、部分的な正しさでしかない。
常にその外がある。
可能性は無限。
そう思うと、宇宙遊泳してるみたいな頼りなさを感じると同時に、解き放たれた爽快感もまた僕は覚えます。
「夢中遊泳」している僕らだから、ホロスコープみたいなツールを、止まり木にしたがっているに過ぎない。
ホロスコープにつかまりながらも、顎を上げ、ほんとの宇宙を見上げて、広く、外を感じたい。
占いなんて、信じちゃいけない。
占いを、探求しもしないで、ものぐさに、「占いなんて馬鹿馬鹿しい」だなんて言い捨てちゃう「信じるべからず」と、占いの有益性を十分に探求したのちの「信じるべからず」では意味が違う。
主観的な心理を分析し尽くすことは、客観的な真理に向かい合ってゆくための礎となる。
大袈裟にいうなら――、愛にたどり着くためにも、そこは避けて通れないんだぜ?
*
――ってなわけで今回も、あひろ場に参加してくださった方の内的な景色を見つめさせていただきました。
許可を得られましたので以下に転載いたします。
Sさんの配置。
複合アスペクトが目白押しの、パワフルな景色。
ここまで読んでくださったモノズキさま、――天空図を眺めるだけでも眺めていってくださいな。美しい配置であると思いませんか?
Sさん、ご参加ありがとうございました!
――
11/26追記:Sさんからご感想をいただけました。
許可を得られましたのでこちらも転載させていただきます😃↓
Sさん、丁寧なご感想をありがとうございました😀!
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