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ポジティブとネガティブ(わるいことなんて、もしかしたら、ひとつもないのかもしれない)
ポジティブな人は、ポジティブな人とつるみ、ポジティブな場を形成する。
ポジティブな人は、ネガティブな人を避ける傾向にある。ネガティブに引っ張られて、場がネガティブに染まることを恐れるからじゃないだろか?
ネガティブな人も、ポジティブな人を避ける傾向にあるように思われる。ポジティブなパワーについてゆけない自分を自覚することで、ネガティブさんはさらにネガティブになり、そのことで場の雰囲気もネガティブになっちゃうだろうから、まあ気持ちがわからないでもない。
ネガティブな人は、ネガティブな人と関わり、互いに愚痴りあい、慰めあい、「つらいのは自分だけじゃない」ことを意識化して、つまりはいくらか癒されて、ポジティブな気分に向かうことができる。つまり、ネガティブはネガティブと交わることでポジティブを生み出しうるのかもしれない。
かくして、類は友を呼ぶ。
楽天的な人種は楽天的な人と集い、悲観的な人は悲観的な人と睦み合う。
これって数学とおんなじじゃないか、とか僕は思うのである。
・+と+を掛け合わせると、+が生じる。
・+と-を(-と+を)掛け合わせると、-が生じる。
・-と-を掛け合わせると、+が生じる。
要は、ポジティブな人も、ネガティブな人も、ネガティブを生み出したくはなく、できたらポジティブを生み出したいから、類友の法則に則った対人関係を選択するのではないだろうか?
――しかし、である。
では、ポジティブは益で、ネガティブは害なのか、というと、必ずしもそうとは言いきれない。
例えば、戦争、あるいは、疫病、はたまた、自然災害、そのようなネガティブな事態を、ポジティブに昇華させるためには、それらに対してネガティブをぶつけなくてはならない。
ネガティブに対してポジティブを放ってしまっては、事態はよりネガティブに転じてしまうだけだからだ。
ネガはネガによってしかポジ転できないのである!
だから、マイナス思考にも益がある。
ネガティブさんは、ネガティブさんを、さらにはネガティブな事態を救う大切な存在なのである。
ポジティブさんが活動やさんなら、ネガティブさんは癒しやさんである。
ポジティブさんは逞しいけど、ネガティブさんは優しい。
かくして自然界は+と-を内包し、その掛け合わせによりバランスを維持している。
+が頑張り、-が癒すのである。
高度経済成長期の日本はプラス思考でインフレ化していた。バブルの時代は24時間リゲインしていた。右肩上がりで儲かって、右肩上がりで散財していた。ネアカという人種がネクラという人種を、ネアカ、ネクラ、というレッテルをこしらえることそのことによりても圧倒していた。
しかし時代は変わって、長期のデフレが日本を覆った。少子高齢化の波にも人は気が付き、けれども気が付いたところですでに身動きがとれなくなっていた。国内ではサリン事件が、海外では911が、国内では阪神淡路大震災が、海外ではリーマンショックが、国内では311が、海外ではウクライナ侵攻が、と、ネガティブな事態が続き、全世界を前代未聞の感染症が苛んでいる。
時代はポジからネガにシフトしたのである。
出番ですよ、ということなんじゃないだろか。
ネガティブさんたちの時代が到来したんじゃないだろか?
ネガティブな火を、ポジティブなパワーじゃ鎮火できない。
今こそネガティブさんの、ネガティブな癒しが求められているのかもしれない。
世界は、もう、癒されてよい――のかもしれない。
頑張らなくていい――のかもしれない。
闘わなくていい――のかもしれない。
盛り上がらなくていい――のかもしれない。
破滅的なマイナスを迎えたくないならば、抗わず、静かに祈るべきなのかもしれない。
ネガティブこそが、ネガティブに対峙して、ポジティブを産み出す母胎であるのだから。
男性原理を振りかざし、拳を固めるのではなくて、女性原理に根差した慈しみで世界を、僕らは愛してやるべきなんじゃないだろか?
包み込み、癒す――どちらかというと、湿った、明度の低いパワー、これが僕ら全体を救ってくれるんじゃないだろか?
だなんて、ずいぶんと抽象的な書き方をしてしまったけれど、直観的に以上を記してみた。
吉兆、禍福、あざなえる縄のごとく、変転、流転してゆくものであろう。
+と-も、共存しながら、ダンスし続けるのだと思う、いいことでもわるいことでもなく。
浅くて明るいポジもいいけれど(熱帯魚の鮮やかさを太陽光が輝かせてくれる浅瀬だ)、深くて暗いネガもわるくない(太陽光が届かない深度のディープブルー)。
浅瀬は僕らの(地球の)顕在意識で、深海は僕らの(地球の)潜在意識かもしれない。
浅瀬も深海もどちらも海だってこと。
わるいことなんて、もしかしたら、ひとつもないのかもしれない。
バブルの時代を浅く生きちまった僕だけど、令和に対しては、深く構えて向かい合いたい、かな。
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