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薄黄色のタケウマ

 訳あって父を憎んでいる。

 だなんてネガティブなことを書いてしまう。後で自己嫌悪に陥ったら削除してしまおう。

 とか考えながらも記してしまうのは、誰かに読んでもらいたいと思っているからかもしれない。

 おまえが嫌いだ、なんて当人にはいちいち言わない。なぜなら言う価値がないからである。彼が死ぬまでこの怒りはあからさまにしないつもりでいる。怒ってやるエネルギーさえ父のためには消費したくない。

 ――と、そんなにまで憎んでいる父が、その昔僕のためにタケウマを作ってくれたことを、どういうわけだろうか、突然思い出した。

 幼稚園の頃か、あるいは小学校に入学したばかりの頃だったか、カラータケウマというものが流行った。

(たんたんタケウマ♪ カラータケウマ♪)というCMソングが今でも耳に残っている。

 スチール製のタケウマだった。

 僕ら一家は郊外の団地に住んでいたのだが、各号棟に数人ずつくらい居る友人やそのまた友人、そのほぼすべてが青や赤のカラータケウマを持っていて、そこらでそれに乗っていた。

 僕も欲しい、と思ったが、もちろん口には出さなかった。

 足漕ぎの四輪車が流行ったときも、丸い頭のズックが流行ったときも、我が家はそれらを僕に与えてくれはしなかった。

「みんなと同じのが欲しい」

 と言うと、

「みんなと同じになんかならなくていい」

 などと指導を受けた。

 だからカラータケウマを買ってもらえるはずもなかった。

 カラフルなタケウマに乗って闊歩している仲間たちを僕は、団地前の花壇のふちに腰掛けて黙って見詰めていた。

「アラキちゃん、貸したげようか?」

 とか親切な女の子が声を掛けてくれたりしたけど、僕は首を横に振った。施しは受けない、みたいに言いたかったんじゃないかと思うのだけれど、そんな言葉は知らなかったので、花壇に居るダンゴムシをつついて丸くしてみたりして、タケウマになんて興味がない、というふうを装っていた。

 そんな僕の姿を父は、あるいは日曜日、住んでいた三階の窓から見下ろしていたのかもしれない。ノコギリを手に山に行くと、立派な竹を何本か調達してきた。

 父は地方の農家の次男坊で、だからかもしれないが、自然にある草木を材料に簡単な工作をすることが得意だった。

「これに乗りなさい」

 そう言って父が差し出してくれたのは、丈がゆうに二メートルはありそうな巨大なタケウマだった。二枚の小板が竹を挟むように極太の針金で固定してあり、そこが足を載せるところだった。

 カラータケウマに仲間たちは、地上十センチくらいの高さで乗っていた。

 しかるに父のタケウマは、足を載せるところが僕の腰くらいの高さにあった。

 太い竹は握るのも大変だった。

 緑色の、節だらけの竹タケウマは、どこからどう見てもかわいくなかった。

(これじゃあバカにされるぞ)

 と思ったが、憧れのタケウマはやっぱり嬉しくて、朝早くの登園だったか登校だったかの前に一人でこっそり練習をした。

 何度も転んで、膝小僧は擦りむけて、手のひらも傷だらけになったが、やがて乗りこなせるようになった。

 出勤前の父が言ったのである。

「爪先に力を入れて、体をうんと前に傾けて、腕に力を込めて竹を上に引くんだ」

 言われた通りにやってみると、あっという間にコツが掴めた。

 そしてデビューの日がやってきた。

 カラータケウマの群れの真っ只中に僕は、竹タケウマで突入したのである。

 みんな、たいそう驚いた。無理もない。見たこともない、二メートルはありそうな巨大タケウマのずいぶん上の方に、体の人一倍小さかった僕が乗っかって現れたのだ。

「変なタケウマだな」

 と案の定バカにしてくるやつがいたが、

「すげえ!」

 と驚嘆するやつもいて、

 とりわけ女子には、

「カッコいい!」

 と評価されてしまった。

 実際、なんというか、高いところから見下ろす仲間たちはずいぶんと幼く見えるのであった。

 そのとき、近所の荒田さんというおじいさんが現れて、僕らに近寄り、大きな声で僕に向かって言った。

「素晴らしいタケウマだね!」

 声の勢いに驚いた。

 降りてタケウマを見せると、荒田さんはそのあちこちをよくよく観察して、そして出来映えをさかんに誉めてくれた。

 父が誉められているのであって、僕が褒められているわけではない。そうわかってはいたんだけど、そんなのどっちでも同じことのように思えて嬉しかった。

 やがてブームは去り、誰もカラータケウマに乗らなくなったけど、僕は一人で、薄黄色に褪せた竹タケウマに乗って遊んでいた。

 父に頼んで、足を置くところを八十センチくらいの高さに改良してもらっていた。

 道脇の手摺りの上なんかに立ち、そこからライドオンするのであった。

 大人より高い目線から世界を睥睨し、王さまになったような気分だった。

 カラータケウマの何倍もカッコいいホンモノのタケウマが心底誇らしかった。

 ――だなんてことを、本当になんでだろう、出し抜けに思い出し当惑したままこれを書き付けた。

 もう十年以上も父に会っていない。電話もしていない。

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 ――あのタケウマ、あの後どうなったんだっけかな?


文庫本を買わせていただきます😀!