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海と空(1143文字)

徹夜した。
星を見ていた。
昨夜は「すばる食」の夜だった(双子座流星群の夜でもあった)。
すばる(プレアデス星団)を、満月まぢかの月がパックマンみたいに食べてゆくのであった。
すばるの左に視線を移すと、宝石箱をひっくり返したみたいなヒアデス星団(オレンジのアルデバランの周りにたくさんの星が集中している)。
その上方には、いくつかの衛星を従えて木星。
双眼鏡を、さらに左に向けるとオリオン座。
つづみぼし(オリオン座)の帯となる3つ星から、少し下ったあたりにオリオン星雲。
月明かりに近いすばるより、ヒアデス星団はくっきりと、月からさらに隔たったオリオン星雲はもっとくっきりと見えて、この日のシーイングのよさを確信。
そんな星見は――、極めて感覚的な楽しみだ。観念的ではなく。
肉体を使っている感じがする。
海で潜るのに似ている。
そのときになると無になれる。無になることで、かえって剥き出しになってもくる自分という存在。身体性、みたいな。
至るまでには緊張もある。
前の夜から天候を気にする。何度も天気予報を確かめる。
風向きを調べる。凪いでくれるのか、荒れてしまうのか。
いちばん気になるのは透明度。どのくらいの深さまで見通せるのか。
空も同じ。晴れますように、と祈りながら夜を待つ――。
天文イベントは一期一会。
いや特別なイベントでなくても、空はいつだって一期一会。これも海と同じ。
同じ天候、同じ風向き、同じ透明度の海なんてないように、空もまた同じ空はない。
晴れていて、風もなく、大気の揺らぎもなく、星は瞬かず、月明かりが邪魔にならないような夜ならサイコー。
天文イベントの夜に、サイコーの夜空にありつけたらとてもラッキー。
――冬銀河はしんとしている。でも、音楽が聴こえてきそうでもある。思わず耳をすませる。
いろんな色の、いろんな明るさの、いろんな配置の、いろんな密度の星たちを、星図を頼りにたどってゆくと、銀河鉄道に乗車しているような気分にもなるけれど、海に潜っているような気分にもなる。
潮風の香りや、お日さまの匂いや、水の冷たさや温かさを感じながら、水族館の魚たちとはまるで違う野性的な目付きでこちらを一瞥する魚たちに混ざって泳ぐあの皮膚感覚、肌感覚――。
似た感覚を、なぜだろうか、極めてダイナミックに、星をたどっていると僕は感じる。
空は、海と同じく「自然」だからだと思う。
人間がこさえたものじゃない。
リアルなのだ。息遣いみたいに。
宇宙の広さや奥行きを、感じることで感じられる存在のリアリティ。
神さまとの対話。
そんな観望に、朝までひたって、満足し、薄明(はくめい)してくる空を閉じるみたいにカーテンを引き、布団に潜り、眼を閉じて、いい夢しか見ないことを確信しながら眠った――。
色とりどりの熱帯魚たちと泳ぐ夢を見た。

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あひろ
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