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【試し読み】コラム あうんと出会う(上條菜美子)

東京都荒川区東日暮里。その一角に、企業組合あうん(以下、あうん)はある。
2021年春から、ここあうんが私の職場だ。

 私は2021年3月まで、都内の大学で心理学を教える教員であった。任期つきは当たり前、そんな職すらすぐに得られるかどうかわからない…雇用が不安定なアカデミックの世界で、任期つきとはいえ採用内定の通知をもらったときは安堵したものである。だからこそ、まさか自分が、しかも博士課程を修了してからたったの4年で、自分が思い描いていた「研究者としての正規ルート」から飛び出すとは思ってもいなかった。
 小さな偶然の積み重ねで、私はあうんと出会った。周りの人たちが「大学から離れるなんて」という反応をしても、自分が心理学につぎ込んできた13年という年月を振り返っても、それが些細なことになってしまうくらい(いや、13年という年月はやっぱり大きいものだと、それから何度も思わされているのだが)、「出会ってしまった」という当時の衝撃は強かった。

 スタッフは入社時に10000円の出資をし、企業組合あうんの組合員になる。なぜ10000円なのかというと、路上生活でも生活保護でもお金がなくても、あうんで働けば稼ぐことができる金額だからだ。要するに、望めば誰でも組合員(スタッフ)になることができるしくみになっている。
スタッフは出資者であると同時に、経営者でもある。スタッフの一部が会議に出席し、あうんの方針を決めるのではなく、スタッフ全員が会議に出席し、意見を述べ、決定をする権利を持つ。全員が参加する月1の全体会議では、毎月の詳細な会計報告がされるため、あうんがどのくらい利益を出せたのか、どこにどれだけの経費がかかったのか、今どれだけあうんに貯金があるのか、会議に参加したスタッフ全員が知ることになる。私が初めて全体会議に参加したときは、「トラックにつけているカーナビの種類を変えるか否か」ということを熱心に話し合っており、「あ、こういうこともみんなで決めるんだ」とびっくりしたのを覚えている。

 スタッフは出資者で、経営者で、そして労働者でもある。全員が、リサイクルショップ事業、便利屋事業、2020年から始まった食堂事業のいずれか、あるいは複数にかかわっている。経営者であり労働者でもあるから、新しい取り組みについて会議で提案ができるし、実働部隊として実際に現場で動くことにもなる。「経営側に言われたから」ではなく、「自分たちでこうしようと決めたから」、動く。全体会議では、年に一度、自分たちに支払われる時給の金額についても話し合う。10円上げるのか、30円上げるのか、それともこのままの金額を維持するのか。このとき、自分が単なる労働者であれば、時給が上がれば上がるほど嬉しいだろう。しかし、私たちは労働者であると同時に経営者でもあるから、「時給を10円、30円上げたら、あうんの運営はちゃんと立ち回るのか?」という視点でも考えなければならない。だから、会議の場には、「時給がXX円上がったら手取りがどれだけ増えるのか」という資料と、「時給がXX円上がったら、あうんの経費は毎月どれくらい上がるのか」という資料の2種類が準備される。給料が上がったら嬉しいけれど、あうんの経営が苦しくなったらどうしよう。その板挟みの中で、自分たちの時給について考え、議論する。昨年度末は、この話し合いの結果、2022年春から時給を30円上げる、という結論が出た。

 働き手が出資者になり、一人ひとりが経営も労働も担うというしくみを、協同労働という。あうんでは、週1出勤でも週5出勤でも、スタッフ全員を同一賃金・正規雇用としている。社会保険も完備し、「使い捨てではない労働」「生きがいと誇りある働きかた」の実践を常にこころがけている。この発想としくみは、行政や社会の都合で働かされ、そして突然仕事やくらしを奪われた路上生活者たちと、昨今溢れる非正規雇用や、成果主義・評価主義の現代社会で苦しい思いをしている労働者たちを守りたいという、あうんの初期メンバーたちの思いが受け継がれ、形になって、今も守られている。

 「大学」と「心理学」から離れ早1年と数ヶ月が過ぎた。いま私は、大げさな表現かもしれないが、「生きている」という実感を持てている。人と顔をつき合わせ、話し、聞き、考え、喜怒哀楽をぶつけ合う環境に身を置き働く日々の中で、私は、自分の、周りの人々の、そしてこの社会に生きる人々の「くらし」について思いを巡らせることが多くなった。ここでは、人々のくらしに馴染むあうんの姿と、あうんを通して見えてきたくらしについて話をしたい。

……(続きはRe:mind Vol.1にてお読みいただけます)


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