多様性とは
多様性という言葉がある。僕も学校で聞かされたことがある。
中学校の歴史教師によればそれは「これからくる言葉」で、以降は実際に広告などで毎日のように聞く言葉になったと思う。
アルバイトアプリの広告で粗品さんが「多様性の時代」と言うのが象徴するように、「多様性」は肯定的な意味で使われているらしい。
しかし、本当にそうだろうか?
僕が訝しいと思うのは、その使われ方だ。つまり「多様性」という言葉にも様々な含みがあって、それは肯定的な意味だけではなく、反対に、否定的な意味も持つはずなのだ。
もし肯定的な意味しか持たないと仮定すれば、それは使ったもの勝ちになってしまう。何を言われても「多様性だ」の一言で「勝ち」ということになってしまい、そんな奴の相手はしたくないので、結局は「社会の分断」に繋がるのではないか。
これは登場人物の直治が戦後、南方から帰還した時のノートに書かれていたものであるが、現代のインチキは当時のそれと変わらないように思われる。
「厳粛」=「阿呆感」この定式を敷衍すれば、
「戦争状態」=「多様性」とまで言えてしまう。
あくまで使われ方がおかしいという話である。
「多様性」が生じる原初を辿れば想像を絶する不幸があったかもしれないし、「多様性」自体が不幸とも言うことも出来る。
そして、それこそが真に「多様性」なのではないだろうか?
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