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アンドレア・アーノルド『Bird』——現実と幻想の狭間で少女は羽ばたく

 12歳のベイリーは飛ぶことを夢見ている。狭い家、混沌とした街、予測不能な父親——彼女の世界は重く、地面に縛り付けられている。ところがある日、突然現れた謎めいた男「バード」との出会いによって、彼女の現実は不確かなものへと変わり始める。

 アンドレア・アーノルドの最新作『Bird』(2024年)は、これまでの彼女のフィルモグラフィーの延長線上にありながら一歩踏み出した作品だ。社会的リアリズムに幻想的な要素を重ねることで、現実の窮屈さと解放への欲望を描き出す。

 ベイリーを取り巻く二人の男性、父親のバグ(バリー・コーガン)と、どこからともなく現れたバード(フランツ・ロゴフスキ)。バグは無鉄砲で、幼稚で、衝動的だ。彼は娘を愛しているが、その愛は無責任に見える。バードは現実離れしている。言葉少なく、存在そのものがどこか夢のようだ。バードの登場によってベイリーの世界は重力を失っていく。

 アーノルドはこれまでも社会の片隅で生きる女性を描いてきた。『Red Road』(2006年)、『フィッシュ・タンク』(2009年)、『アメリカン・ハニー』(2016年)。彼女の映画の主人公は閉塞した現実の中であがきながら居場所を見つけようとする。『Bird』ではそこにもう一つの次元を加えている。ベイリー現実の中にある魔法を見つけようとした。これまでのアーノルド作品とは違う不思議な浮遊感を持つ映画だ。バードの存在はその象徴だ。彼はどこから来たのか、何者なのか、説明されることはない。それは子どもが持つ想像力の延長線上で、大人になるにつれて失われていく感覚かもしれない。

 バリー・コーガンは荒々しさと繊細さを併せ持つ。父としての自覚がありながら、突発的な行動を抑えられず、愛はあるが形にならない。フランツ・ロゴフスキは対照的に、静かな存在感でキャラクターを成立させている。彼は現実世界から半歩外れた場所にいるように見え、観客は彼が実在するのか、それともベイリーの幻想なのかを疑いながら追うことになる。

 撮影は今作もロビー・ライアン・ヨルゴス・ランティモスと組んで2度アカデミー賞にノミネートされたが、ロビー・ライアンといえばやはりアンドレア・アーノルドだ。アーノルド自身が育った英国南東部ケント州の町並みがイリーの育つ世界として映し出される。カメラはベイリーの内面の揺らぎを映し出すかのように動き、彼女の目線で世界を捉え続ける。

 鳥は自由の象徴であり、同時に脆さの象徴でもある。ベイリーが求めるものは飛ぶことではなく、飛べるかもという感覚なのかもしれない。鳥の羽が風に乗るように、彼女は重力から解放される瞬間を求めている。飛ぶことは彼女が生きる世界の重さと対峙するための手段であり、一瞬でも自由を感じるための行為だ。ベイリーは、飛びたかったのではなく、飛べると信じたかったのかもしれない。


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