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書評『今日の芸術 時代を創造するものは誰か』(岡本太郎)

 埼玉県立近代美術館で2024年5月12日まで開催されていた「アブソリュート・チェアーズ」展は、現代アートにおける椅子の表現に焦点を当てた意欲的かつ画期的な展覧会であった。約80点の椅子に関する作品が展示されたが、その中で実際に来場者が座ることのできる数少ない作品が、岡本太郎の「坐ることを拒否する椅子」である。この作品は日本全国に存在し、本展の出品作も美術館ではなく「甲賀市信楽伝統産業会館」から来ており、出品リストの中で異彩を放っていた。

 岡本の思想の中で特に注目すべきは、この「坐ることを拒否する椅子」のコンセプトである。この奇抜な作品は岡本の芸術哲学を象徴しており、彼が芸術に求める本質を垣間見ることができる。

 通常の椅子に期待される快適さや安定感を意図的に取り除き、不安定で座りにくい形状をしているが、その名前とは裏腹に「坐る」ことが最初から想定されている。この椅子の目的は、日常の無意識に対して新たな感覚を呼び起こすことである。この作品を通じて、岡本は我々の持つ既成概念を揺さぶり、物事の本質を再考させようとしている。

 岡本の著書『今日の芸術』は、芸術に対する挑発的な見解を示し、芸術の役割や意味についての新たな視点を提供する一冊である。彼は芸術を単なる装飾や娯楽としてではなく、人間の存在そのものに関わる重要な要素として捉えている。本書は、芸術が持つ力と、それが日常生活や社会に与える影響についての洞察を通じて、刊行から70年経ってもなお読者に強烈な印象を与える。

 岡本の芸術に対する姿勢は、この「坐ることを拒否する椅子」によって明確に表現されている。彼は一貫して、芸術とは挑戦であり、既存の枠組みを壊すことだと主張してきた。芸術は安定や安心を提供するものではなく、むしろ人々に不安や疑問を投げかけ、新たな視点や考え方を促すものであるべきだという信念がここにある。

 本書全体を通じて、岡本は芸術の民主化を強く訴えている。芸術は特定のエリートや専門家のためだけのものではなく、全ての人が享受し、創造する権利を持つべきだという考えである。この視点からも「坐ることを拒否する椅子」は重要な意味を持つ。

 美術館に収蔵される芸術作品とは異なり、この椅子はいたるところにあり、誰でも座ってみようと挑戦することができる。そこにこそ全ての人が持つ創造力を刺激する狙いがある。岡本はこの椅子を通じて、誰もが新たな視点を発見し、体験できることを目指しているのである。

 岡本は芸術の社会的役割についても鋭い洞察を示している。彼は、芸術が社会の変革や発展を促す力を持つと考えており、「坐ることを拒否する椅子」はその具体例の一つである。

 この椅子は、日常生活の中で当たり前とされていることに対して疑問を投げかけ、社会の現状を批判し、新たな価値観やビジョンを提案するものと捉えることができる。彼はこのような芸術が社会において重要な役割を果たすと信じており、その実践が『今日の芸術』全体に流れる主題となっている。

 しかし、太陽の塔のお膝元である万博記念公園のEXPO’70 パビリオンにある椅子は、鎖で仕切られ、触ることすらできないようになっている。なんとも皮肉なことであるが、彼の芸術観は時代を超えてもなお普遍的であることが逆説的に示されているといえる。

 岡本の『今日の芸術』は、芸術に対する新しい視点と深い洞察を提供する一冊であり、「坐ることを拒否する椅子」はその象徴的な作品である。この椅子を通じて、岡本は我々に既成概念を打ち破り、常に新しい視点を探求することの重要性を教えている。

今回紹介した本
 『今日の芸術 時代を創造するものは誰か』(岡本太郎、光文社、1954年)

新井悠真 /ARAI Yuma
1990年長野市生まれ。弁護士、美術批評家。東京大学法学部卒業。日本経済新聞記者、映画プロデューサーを経て現職。Web別冊文藝春秋で国内外の美術展・映画レビューを連載中。非英語圏の芸術や1980年代以降の国内の文化政策に関心がある。世界の若手写真家を紹介するブログ「500 Contemporary Photographers」を運営。著作権に関する裁判例を紹介するブログ「著作権判例紹介」を執筆。



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