20200815 ライブとライブハウス
わたしのような、人付き合いが苦手で、というよりかはめんどくさがりで、そして人と話すのが苦手で、というよりかは気にしいな臆病者は、
ライブハウスに随分と助けられてきた。
ライブをやる側としてはもちろん、ライブを観る側としてももちろん、そして打ち上げやその他もう沢山。沢山の日々の中で。
今日は久しぶりにお客さんをいれてのライブだった。
お客さんが高円寺ウーハの扉を開き、カウンターでお金を払う、誰を見に来ましたか。答える。
その一連のやりとりを観ていて、ライブがこんなにも限られたものになる前、当たり前とは思っていなかったけど当たり前だと思っていたんだなと思う、その意識よりも先に、突き抜けるほどの何かを感じた。
パーティーをしよう、と思った。
なんの話かは、ライブの配信映像で話したのでみて下さい。
(後半がわたしです、無料です)
とにかく、パーティーをしよう、と思ったんだ。
歌うことが好きだ、ということは、ライブで1番気付かされる。
それはもう歌という形を持った、歌の中に、外に、撒き散らすような記憶、それを包み込むのは歌。歌でしかない。
歌うことを何故だか飽きずに続けていて、続ける理由よりは辞める理由の方が多いかもしれないし、誰にも止められもしないのに、続けている。10年以上も!なんでなんだろう!
どんな理由も事足りない、だから続けるのでしょうか。わかりません。
こんなに1つのことを続けたことはないな。
続ける、というのはなかなかに山道で、その崖も、川も、透き通る風も、遠くで鳴く鳥の声も、沢山ライブハウスに在った。
思えば遠くまで来たものだ、と、10年前と同じような場所にて思う。
活動費や制作費やコーヒー代にします。