郷土紙という超ローカル新聞(連載20)原稿用紙健在
令和でも原稿用紙
いまだに紙の原稿用紙が残っているのが新聞社です。しかも紙名入り!
仕事や大学のレポート提出のような場面でも手書き提出が減った21世紀の話です。
今でも原稿用紙を目にすることがあるのは、新聞社以外なら、小学校の作文の授業と昔ながらの文豪先生がいらっしゃる出版社くらいではないでしょうか。
私がそんなクラシカルな新聞社をやめてから10年ほど経ちました。
さすがにこのネタは、お蔵入りになるかなと思っていました。令和になりましたからね。と思いつつ、「もしや今でも?」と、本原稿を書く前に昔の若い同僚、千駄木美浦さん(仮名)に訊いてみました。
なんと、今でも本郷日報(仮称)には原稿用紙がありました。一部界隈で使われているそうです。
ちなみに後輩同僚だった千駄木さんは、出世してデスクになっていました。ええええっ!
新聞名が印刷された原稿用紙を使っているのは、元記者で非常勤顧問の仁瀬芝老太郎氏(仮名)。傘寿より卒寿のほうが近くなった大ベテラン。月に2、3本ほど郷土の歴史や遺跡についての署名記事を書いています。
私が所属していたとき、すでに司馬遼太郎のような白髪でしたっけ。お元気で何よりです。
見た目わずかに司馬御大のベテラン名物記者ですが、中身の脳は…遼󠄁に及ばざるな気がいたしました。
千駄木デスク(笑)によれば、仁瀬芝さんはまだまだご健在とのこと。すでにご自身の訃報、評伝記事も日付と享年、死因以外書き終えて出稿済みだとか。
そういうとこですよ。「遼󠄁に及ばざる」なのは。
残念ながらいくら元名物記者でも評伝が載る可能性は、2020年代の間にすべての車が自動運転になるよりも低いと思われます。
過去、本郷日報の身内で評伝が載っているのは、歴代社長とのちに市議会議員に転身した記者くらいなので。
ちなみに評伝とは、著名人に対する訃報記事の一種です。故人を偲び、生前の活躍を上手にまとめたものを指します。あまり知られていなかったエピソードをコソッと挟み込むのがお約束。いわば供花代わりです。
評伝の掲載基準は、各紙で違います。
全国紙ですと、複数回にわたる大臣経験者や経団連役員クラスの経営者、作品がフェラーリよりも高い値段で取引される文化勲章クラスの芸術家、国民栄誉賞受賞者などが挙げられます。ほかに紅白出場を何度もしていたような歌手、世界的な映画賞を受賞したことある監督や俳優、話題になった判例を作った裁判官などもそうでしょうか…。
まだまだいろいろありますが、ふつうの大人なら誰もが知ってるような人が対象と考えればいいです。
郷土紙とはいえ、間違っても自社の名物記者クラスで評伝が載ることはありません。10行程度の訃報は載せますが。
2010年代初頭までワープロ愛好家がいた
だいぶ脱線してしまいました。
DTPで紙面制作する2020年代の今でも、弱小零細新聞社には、新聞名入りの原稿用紙が残っています。裏を返せば、それを使って記事を書いている人がいるということです。※決してパソコンの普及を読みきれず余分に発注しすぎて余っているわけではありません。
そしてもうひとつの昭和後期•平成の遺物、ワープロの使い手も、ついこの前まで本郷日報にはいました。
文豪を駆使し、パイプ燻らすブンゴー
その方は、喫煙室に当時のベストセラー機種「文豪」を持ち込んでいました。タバコではなくパイプを燻らせながら記事を打ち込んでいます。
その様子から、本人の前以外ではブンゴーいうあだ名で呼ばれていました。あまりにもそのまんまの描写ですが、ずいぶんワープロとパイプがお似合いでした。
実際のブンゴーさんは、文芸担当でも文化担当でもありませんでした。そもそも郷土紙のような零細新聞社で文芸部なんてありませんけどね。※新聞社により違います
あだ名とは裏腹に、ブンゴーさんは地域のアマチュアスポーツを担当していました。
ブンゴーさんのワープロでは、社内のネットワークにアクセスできませんでした。できあがった原稿は、フロッピーディスクに保存し、プリントアウトして出稿です。
昔のパソコンのアイコンに使われていたフロッピーディスクのマークを地でいっていたのです。そして、紙にプリントして出稿していました。
打ち子さんがいた… でもパチンコではない
原稿用紙やワープロで出稿された原稿はどのように紙面掲載されるのか?
ご想像の通りです。
紙の原稿をパソコンで打ち込む人がいました。おそらくどこの新聞社や出版社でも活版印刷からDTPに切り替わる時期は何人もの原稿入力担当がいたのだと思います。
今でも手書き原稿以外に読者投稿や紙にプリントアウトされた寄稿を入力担当が打ち込んでいます。
原稿入力が仕事ですが、「打ち屋さん」と言ってしまうと花火師か狙撃手のようですし「打ち子さん」ではパチンコ攻略を生業としている集団の下っ端みたいなのでこれもマズイです。
この打ち子さん…本郷日報では、ご本人の下の名前で寿美ちゃん(仮名)と呼ばれていました。
古い体質の会社です。当時の新聞社ならあるあるですね。
寿美ちゃんは、すでに惑わないお年頃。当時30代であった私は、さすがに苗字+さん付けで呼んでいました。
彼女は、原稿打ちがものすごく早かったです。キーボードを打つ音も静かでなめらか。
あまりにも締め切りギリギリのときは、パソコンをふつうに使える記者もデスクから「自分で入力しないで、しゃべって寿美ちゃんに打ってもらえ」と言われることもあるくらいでした。
大昔、メールがない時代には、実際に電話入稿もあったみたいです。遠くに取材に行った記者が電話越しに原稿調で話したのをそのままタイピングしていたこともあったようです。このくだりは、映画「クライマーズ•ハイ」の一場面にもありました。※当然ながら仮称•本郷日報は、クライマーズ•ハイの舞台の新聞社ではありません。もっと規模の小さいところです。
記事は、アウトプットする中身が大事なわけです。手書きかパソコンかといった打ち出し方が問題ではありません。
とはいえもう、手書きはねえ…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?