郷土紙という超ローカル新聞(連載5) まるで虚構新聞
虚構新聞のようなイメージ
新聞をお読みになる方、サイトで新聞記事を読む方はご存知だと思いますが、新聞には独特の文体があります。
例えば
東京都は○日、▲△□○と発表した。
事件があったのは
○○○○の容疑がかけられ
▲▲によれば○■だという。
などですね。
わかりにくいなと思ったらまるで虚構新聞のような感じだとイメージしてくれればいいのではと思います。
ちょっと古めかしい文章で、新聞以外ではあまり見かけません。
昔の新聞は、誰が書いた記事でも同じ文体になるようにわざとそうしていたと聞いています。
コラム以外は、書き手の個性を出さないようにしているのです。
なぜだ? と聞くと100人100通りの答えが帰ってきそうですが、基本としては伝えなければならないことを「わかりやすく」「簡潔に」ということです。
各地の地方紙や、産経新聞ほか一部全国紙、テレビ、ラジオなどに記事を配信している共同通信社が発行している「記者ハンドブック」という本があるのですが、共同通信の記事は、この本に書かれている表記の原則どおりの基準で書かれています。
読売新聞や朝日新聞など全国紙をはじめ大手は、独自の基準がありますが、私がいたような小さな郷土紙は、共同通信の基準をそのまま流用しているケースのほうが多いです。
何しろ、新人記者に2000円ほどの本を1冊用意すればいいだけですから。
私も、編集局長から最初にこの本を手渡されました。
自社の過去の新聞と記者ハンドブックを読んで書き方を学ぶことになりました。
意外と難しい新聞調の文体
新聞調の文体での記事は、簡単に書けそうですが、慣れるまでは思ったよりも苦戦しました。わずか20行(280文字=当時)程度の記事、それも予告(イベントなどがいつどこで行われるかの案内)です。まちがえようがないようなものなのに何度か書き直しをさせられました。
パソコンで記事を書く時代でしたから、さすがに目の前で原稿用紙ををビリビリに破られたとか、元の文字が見えないくらい赤字訂正が入れてあったなんて前時代的なことはありませんでしたが、最初のころは、小さな記事を何度か書き直したことを思い出します。
同じ文体で書くことで、読者にわかりやすく情報がスッと入りやすいようにするほかにもう一つ理由がありました。
パソコンによる紙面編集(DTP)があたりまえの今と違い、昔の紙面制作は、1字ずつ活字を拾って版下を組んでいたのです。このため、できるだけ簡潔な表現、短い文章である必要がありました。
特に締め切りギリギリの記事は、重要なことが短い文章で的確にわかりやすく書かれていることが必須となります。
オリンピックを五輪と表現したのもその流れといえるでしょう。
当然、見出しも短くてインパクトがあるものが尊ばれました。
今の「なろう系ノベル」のような「〇〇だった市長が▲□したため、予算が予想外にに膨れて市債発行待ったなし」なんて見出しをつけて記事を出したら印刷部長が「てめえで活字を組みやがれ、バカ野郎!」と活字の束を持って怒鳴り込んでくることまちがいなしです。
ちなみにこの場合は「予算拡大、市債発行必死」「予算大幅増、市債発行か」などになります。
いくらなろう系が流行っていても、やはり短くてインパクトある見出しは強いもので、今でも東スポの見出しは秀逸です。
よく考えてみれば、私が入社した時点ですでにDTP化されていたので、無理に新聞調の文章にする必要性はなかったのかもしれません。
しかし、この短い文章で伝えるというのは妙なところで役に立つようになります。
入社後、3年くらい経ったときでした。おりからの読者高齢化には逆らえず、とうとう記事の文字を大きくしました。このため、記事の本数が減り、文字量も減りました。
結果的に短く簡潔に書く新聞調の文体が役に立ったわけです。
一方で、この文体が若い読者を引きつけることができなかった一因(当然ながら主要因からはるかに遠い)かもしれません。
新聞的な文体はちょっと時代がかった印象なのであまり好きではありません。ただ、そのおかげで短く簡潔にまとめることができるようになった気がします。