郷土紙という超ローカル新聞(連載4) ツケのきく店をおぼえましょう
朝はさほど早くない
初出社の日は、特に仕事らしい仕事はありませんでした。
「定時はない」と聞いていましたが、念のため空気を読んで9時少し前に着きました。
今考えると定時がないということは終わりもいつなのかわからないということです。
ちょっと… どころかかなりブラックな雰囲気ですよね。
新聞記者の中にはなかなか休みが取れないという人もいますし、担当する分野や新聞によっては24時間365日があたりまえという人もいるかもしれません。
私は、退職するまでそれなりに休みは取れました。勤務時間もさほど長くなかったように思います。
それほど重要なポジションではなかったからだというツッコミは禁止です。
伯父が格安で用意してくれた、なんとか動く国産のコンパクトカーを駐車場に停めます。入口のガラス扉で少し笑顔を作ってから、受付であいさつしました。「ああ」という冷めた感じの反応で「編集局の人は多分まだ誰も来ていませんよ」「あ、そうですか」と少し固まる私。
記者が出勤してきたのは10時ごろからでした。
朝があまり強くない私にとってありがたい会社です。
そうだ、新聞社って夜が遅い会社だった。
気づくのが遅すぎました。
新聞社によって違いますが、取材がなければ朝は、それほどほど早くない仕事です。
そもそも出社する人ばかりでなく、取材先に直行する記者のほうが多いです。
夕方までおおむねヒマな編集局長が、午前中いっぱいかけて社内を案内してくれます。たくさんの人を紹介されても一度におぼえられないのは、いつものことです。ダメなんですけどね。でも、多くの人が同意してくれる部分ではないかと思います。
高そうな雰囲気にドキドキ
12時少し前になると「じゃあ、メシにいこうか」と会社近くのうなぎ屋さんへ。
店構えは、戦後すぐ建てられたような趣きのあるたたずまいです。
宝くじやtotoで億単位の当たりを引かない限り、絶対行かない高そうな雰囲気です。この歳になるまで、本郷市(架空都市名)にそのような店があるなんて知りませんでした。
「蒲焼きのタレの香りでごはんが食べられる」を地でいくようなおいしそうなにおいが外まで漂ってきたのを今でもおぼえています。
のれんをくぐると店の女将らしき人が、慣れた感じでなじみ客への対応のように2階へ案内してくれます。
私は「いくらするんだろう(どうせ、上司に誘われたし初日だからおごりだろうけど… ドキドキ)」という気持ちで編集局長に続いて個室に入りました。
畳、座卓、座布団、床の間の掛け軸、欄間…
すべてが違います。
平安時代までさかのぼっても農民か職人くらいしかやったことがない庶民・オブ・ザ・庶民の家系で育った私にとっては、おじいちゃんの法事でも使ったことがない立派なお店です。
うなぎがゴム草履じゃない!
うな重(推定特上)を食べながら、編集局長からいろいろレクチャーを受けつつ、私のこれまでの仕事の経歴などを話したはずでした。しかし、店の印象があまりに強く残ってしまい、くわしいやり取りはあまり記憶にありません。
このときおぼえたことは2つ。
ひとつは、うなぎってやわらかくてジューシーで脂がのっている食べ物だということ。ゴム草履のような食感だと思っていた私には衝撃的な体験でした。
これまでの人生で食べたうなぎといえばビジネス街のチェーン店「F」で1000円ちょっとのうな重がMAXです。今なら牛丼チェーンの「Y」や「S」でもっと安く食べられますけどね。
もうひとつは「ツケのきく店をおぼえるように」という教えです。
情報提供者に食事をごちそうする際、財布の中身や経費で落ちるかどうか気にしながらでは、取材がおろそかになります。サインすれば後日、会社が支払ってくれる店をおぼえておくようにとのことでした。
実際にはお店をおぼえるのは簡単なので、お店の人におぼえてもらうようにということなんですけどね。
今もこの制度が続いているのかどうかわかりませんが、取材活動(など)の一助になりました。
その日の夜も含めて2週間くらいは、取材に行くこともなく昼夜ずっと編集局長に何店か連れて行ってもらいました。
よく考えてみるとものすごい貴重な体験でした。
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