
『塔』の意味
定期的に男女問わず私の事を「好きだ」と言ってくれる人が現れる。けれど私が想うような『好き』とは全然違っていて、私そのものを好きだといってる訳ではないのだと感じてしまう。
私を好きだと言ってくる人には共通点がある。
「優しい」
「あったかい」
「癒される」
「人として好き」
言葉や表現は違えど、私が想う『好き』以外の「好き」を伝えてくる人は、総じてそういう事を言う。「あったかい」って私は冬場のこたつではないし、「癒される」って表現もよく判らない。「人として好き」ってのもなんだかよくわからない。好きなら好きでいいし、べつに伝えずとも良いだろう。好きって気持ちは伝えずとも相手に伝わるものだと思うから、そういうものを感じない『好き』はどうにも違和感があるし、どちらかと言えば不快があり、依存的なものや支配的なものを感じる。好きってもっとこう、絞り出したものというか、溢れた感情の結果みたいなというか。
私は他人と関係を構築する時、自分で出来る努力をする。これが以前と今ではガラリと変わった。
以前は『相手が喜ぶだろうこと』を考えてすることが多かった。例えば誕生日を祝ったりする時に過度にプレゼントを贈ったり、メッセージを送り続けた。相手を喜ばせる事が主軸にあり、相手の態度に不快にさせられても我慢してのみこんだ。
頑張って誕生日を祝っても私の誕生日に私が喜ぶようなことをしてくれることなどないのに「見返りを求めてしまってはだめだ」とそう感じる自分を否定していた。プレゼントをしてもその後を知ることもなく「迷惑だったかな」と思い悩むこともしばしばあった。その人を想い贈ったのに、結果的に自分を責めてしまう。
相手が思い悩み苦しんでいる時には、それを払拭する手助けになればと、下手(したて)に出るように『これまでの私の事』を過度に話したりもした。だいたいがマウントとってきたり、不幸自慢とされたり、時には私を馬鹿して自分が優位にたったかのようにされたりもした。けれど、私はそれでその人が元気になればいいとして、苦しくても受け入れていた。
今は違う。
まずどんなに心地よさを感じる相手でも、自分が嫌な事は伝える努力をする様になった。
自分を尊重できないような相手に相手の尊重は出来ない。まずは自分からそうするようになった。そして相手が嫌に感じることはしない様に気を付けるようになった。知りたくて教えてくれと言ってもだいたい教えてくれないので、会話の中から知っていくしかない。
それがコミュニケーションだと判るようになった。
常に自分とその人の間にもやもやを作りないようにして、もやもやができた時は「何に嫌に感じるのか」と自分に問いかけるようになり、まず自分の気持ちを知る。やがてそれが二人の間にある問題だと判ったら、それを一人でどうこうするのは辞めた。それが間違いだと知ったのだ。
その感覚で他人と関係を構築するようになったので、私を「好きだ」と言い、「優しい」「人として好き」「あったかい」「癒される」等と言ってくる人にも、同じように努力する。された事で、私が嫌だと感じる事は、勇気をもって伝え続け、相手の心情も感じ続けた。
けれど、その人達は私が嫌に感じることを辞めてくれることはなかった。謝ってはくれるものの、同じことを何度も繰返す。
やがて悟った。
その人が好きなのは私じゃない。
私の中に『その人が求めるもの』があるだけで、それを持ってる私を好きだと思って居るにすぎない。人によっては奪いにくる。
それに言い方がキツイかもしれないけれど『どんなに失礼なことをしたとしても、優しいから無条件に自分を受け入れてくれる人』だと自然に私を下に見て居るんだと感じる。
過去の私はそういう相手の期待に応え続けてしまうところがあった。
『優しい』といわれたら優しくあろうとし続けるし『あったかい』といわれたら、あたたかくあろうと受入れ続けた。その人が求めるものを提供し続けて、自分像を作り上げていっていた。
勿論自分自身『こうありたい』と思ってつくった自分像もある。
『徳がある人』というのに憧れが強くあったので、そうなろうとしていた。
そうやって自分と向き合うことをせず作り上げた自分像や、他人の期待に応えるように作り上げた自分像は、自己の中にある魂が限界にきて崩壊してしまう時がくる。
それが私のタロットカードの『塔』だ。

私は2022年の夏に『塔』が崩壊する切っ掛けが訪れた。血が噴き出るのではないかと思うほどの痛みを伴って胸が裂けた。
現実的に裂けてる訳ではないから見た目には判らないだろうけれど、魂の領域で確実にそうやって作り上げた自分像が私から剥がれるように裂けていったのだ。そしてそれを切っ掛けに、1年以上かけて裂けた場所から膿が出続けて、作り上げてしまった価値観も剥がれ続けたのだ。
もし実際に塔が崩壊しそうになる時、多くの人はこれまでの価値観を守ろうとすると思う。
いくらその価値観の中にいることで苦しみが伴っていたとしても『築き上げた自分像』というのは生きて作り上げた大事なものであり、それまでの自分そのものでしかない。
それらを手放すことが出来ない気持ちはよく判るし、どこか「自分がもっと成長すればうまくいくのだろう」と考えてしまう気持ちもわかる。
けれど塔は『貴方のこれまでのステージでの学びが終わりました。次のステージに持っていくもので不要なものは削ぎますよ』としてくる。
より自分の魂に近く、自分に忠実になるから、他人から得たもので不要なものは全て壊れる。実際私はキレイさっぱり崩壊した。
初動の衝撃はものすごい痛みだったことだけはよく覚えている。脅かす訳じゃないけど、本当にそれが起きる時は絶対的に痛いはずだ。
それでもあれは私にとって必要な出来事だったと言えるようになれた。結果的に本質的に大事なものだけ残っている今の状態は自分らしく居られてとても心地よい。
だから『私にとっての過去の感覚』が『その人にとっての今の感覚』としてある人からの「好き」が不快に感じる。私に何か期待してたり、何かを奪おうとしたりと、自分に足りないものを私で補おうとする。
そう感じるのは、私はそれに気づく為のアンテナが強くなったからだろう。体験と内省を通じて苦しみ抜けてきた道だから、自分で何とかするしかないことを知っている。知った結果、これは自分を守る為に出来たもので、大事な私と他人の境界線だ。
塔は人生の転機だ。
他人からの期待に応え続けたり、自分本来とかけ離れた理想像を追い続けることが、どんなふうに自己像を歪め続けてしまっていたのか、それらを教えてくれる。そうやって歪めた自己像を壊す事で本来の自分に戻れた時、案外追いかけていた理想像に近かったりもするから不思議だ。
何か期待して寄ってくる人に応える事もやさしさではあるけれど、自分に何かリターンが無い関係は奪われ続け、自己を見失う切っ掛けになってしまったり、苦しみを生む関係になる。
一度そこからでてリセットする必要があるのだと思う。それがタロットカードの塔で、私の塔にある深い意味だ。
もし私のカードをひいて塔が出たなら。
いちどゆっくり自分と会話をしてみて欲しい。後か先か判らないけれど、これまでの価値観が崩れる出来事が訪れるだろうから、これまでの価値観は今の自分にとってどうなのか、どこで作った価値観なのか、対話しながら確認するといい。きっと衝撃が和らいで、本当の自分に気付きやすくなるはず。
ここから先は単なる私の想
いというか考えている事だから読み飛ばしてもらって構わない。
私は将来的に・・・と言っても何年先になるかわからないし、また考えが変わるかもしれないけれど、一つ考えている事がある。
そういう『リセットするタイミング』がやってきて、今の価値観で苦しんでいる人に、リセットする場を提供したい。実際可能かどうかはさておいて、場所はド田舎にある家だ。
そこで古くからある日本人の生活をしながら、都会とは違う、言い方が悪いけど『人間らしい暮らし』を出来る環境を提供したい。
心療内科にかかるほどでもないけれど、なんだか毎日モヤモヤとしんどい。これでいいのかどうだろうか、不安になるし、かといって現実に戻れば期待に応えるように頑張る事も出来る。そんな人たちが静かに自分と話せる場所を『丁寧な暮らしが出来る場所を提供する』と言えば伝わるだろうか。
山の中にある静かな場所で、飲料水として問題のないとても綺麗な冷たい井戸水で米を研ぎ、ガスの窯でご飯を炊く。その時食べたいと感じるものを一緒に作ってゆったりとした時を過ごす。野菜が取れる時期であれば、私が作った畑から収穫してもらってもいい。ハーブも植えるだろうから、ハーブティーを飲んだり、珈琲が好きなら豆を買っておくから自分で焙煎して飲んで貰ってもいい。
ファストが主流になった世の中から離れ、丁寧に時間を過ごしていく。
それは自然の中にある愛を感じるものであり、その愛が癒しを与え、やがて自分と向き合う様に他人の期待や自分がつくってしまった理想像から少しずつ離れる時をくれる。
そんな時間の中に居れば、自分と対話をする時間も出てくるだろう。
そうすることで自分を知り、自分で苦しみを浄化することが出来る。
自分で自分の苦しみは癒せるし、自分で解決出来ることを知ってもらう為の場だ。空っぽになった自分に、自分を取り戻してもらう。空っぽになった時、都会的な刺激で埋めがちだけど、そもそも自分の中に自分はいるから、何かで埋めては駄目なんだ。
そういう場所を提供する。もちろんちゃんと事業としてやる。こんな大事なことを無料ではやらないし、本気の人しか受け入れたくはない。
場所も家もめぼしがついてはいるけれど、資金や私のスキルの問題もあるから、これからどうなるか判らないけど、小さく私の中に芽生えた一つの夢だと言える。
それは塔が崩壊したから見えた本当の私の一つなのだ。
2024年9月9日
塔の崩壊は怖くない
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