カップの物語のすべて
カップの物語が完成した。
私の解釈では、カップの物語は『自立からなる真のパートナーシップの物語』である。
『10枚で完成する物語の1枚目』
エースのカードは絵柄が腑に落ちてないからいずれ描きなおすとは思うけれど、これは個々の誕生を描いている。まずは自分軸が整った状態でパートナーシップを築く必要があると思う。
人は男性性と女性性のどちらも兼ね備えているが、生物学上の性によって、出やすい特性がある。例えば私は女性なので女性性が強い傾向にある。なので女性性の開花を描いていて、感情豊かに感じている。
1人で自由に感じ、何物にも縛られていない状態だ。つぎからは物語として綴る。
2枚目は『パートナーとの出逢い』を描いた。
好きな人が出来た。
好きな人の想いをたくさん受取ることで、相手の愛に応えたい。『自分の好きなもの』を私に共有しようとしてくれている。
それが嬉しくて『特別』を感じ応えたくなる。
私が受取る事で相手が喜んでくれるなら、もっと受け取ろう。そこに『贈られた愛』を感じて嬉しくなる。
3枚目は『愛の共有が自分だけじゃなかったショック』を描いた。
パートナーは自分が好きなものを多数の人に共有することに喜びを感じる。自分に共有してくれたことが『特別』だと思って居たのに、別の人にも共有する姿を見て『私は彼の特別では無かったのか』と激しくショックを受けた。
その様子を彼は気づいていたのに、見ないふりをしている事も判ってしまった。『私は彼の期待に応え続けないといけないのか、そうでないと特別でいられないのか』と、更にショックを受けてしまった。
4枚目は『思いがけないショック』を描いた。
自分は良かれと思い好きなものを仲間で共有したに過ぎなかったのに、大事な彼女が「何故その事にショックを受けたのか」それが理解出来ずにいた。
これまで自分を受け入れ続けてくれていた彼女が突然ショックを受けていなくなってしまった事に、やり場のない想いがモヤモヤと自分の中に蠢いてしまう。自分の愛がどうだったのかと疑ってしまっていた。
5枚目は『ショックからの絶望』を描いた。
「私が求める愛を彼は注いでくれていない。私は彼の希望に応え続けたのに、彼は私の希望に応えてくれない。・・・私は彼の特別ではないんだ。」
そう感じながらも、彼が変化して『私が求める愛』を注いでくれるのを待ち続けてしまう。「自分はあんなに頑張って彼が望むように受取る事で愛を与えていたのに」と感じ怒りを感じながらも深い悲しみに落ちていってしまう。
6枚目は『自分が本当に求めている愛は何かに気付く』を描いた。
私が求めていた愛って、本当に私が心の底から幸せを感じ愛を感じていたのだろうか。悲しみの底にたどり着いた時『二人の間にあった愛の違和感』に気がついた。どこか誰かがつくった理想像にはまって、彼の望むことに応え続けることが愛だとしていた。その愛を飲み込み続けることが私の苦しみになってたのに、小さな違和感を我慢して、彼が好きだから応えることが愛だとしてた。
それで私は幸せだったの・・・?
私の幸せってなんだろう。愛されてるって感じていても、私が本当に求める愛じゃ無かったら、贈られててもこんなに苦しくなるんだ。
7枚目は『自分が外的な価値観で作ってしまった理想像と、本当の自分本来の理想に気付き受け入れる』を描いた。
幼い頃に『幸せに感じていること』をもっと育てようとしていたけれど、誰かに馬鹿にされ育てるのを辞めて隠してしまっていた。
けれどあれが私の本当の理想の愛で大事にしていたものだ。
私が見ないふりしたり、否定してしまっていたから「すっかり消えて無くなってしまった」と思って居たけれど、ずっと私の中にあり続けていたんだ。ずっと私が気づくのを待っててくれてたんだ。
それなのに気が付かないふりをして、ずっと抑え込んでいたんだ。
これが私の愛の苦しみだったんだ。
私が求める愛を無視して、誰かの作った愛を理想として受け容れてた。ずっと違う愛を自分の中に嵌めこもうとしてたから、私にとって本当に大事な愛は傷つき苦しかったんだ。だから気付いて欲しくて私にサインを送り続けてくれてたんだ。
もう誰かがつくった理想の愛は捨てよう。
8枚目は『相手の本質に気付き理解し受入れる』を描いた。
彼女がショックを受けてた意味がやっと判った。
そしてこれまで僕にしてくれていた行動も、彼女の深いやさしさゆえの自己犠牲を伴った愛だと判った。そうさせてたのは僕だ。
でも、その彼女も彼女でしかない。深い優しさゆえに他人の期待に応えてきたのだろうから、それを彼女が否定したとしても僕は否定できない。それも大事な彼女の一部だ。
僕の愛の形は何だろうか。僕が自分の価値観を大事にするように、同じように彼女の価値観を大事にしたい。
そうなると、僕の愛の形の一つは彼女の本当の理想に応えることだろうか。
それが出来た時、僕は幸せを感じられるだろうか。どうだろうか。
感じられるのなら、それを受け止められるぐらいの大きな器をもちたい。
9枚目は『一人でも幸せに生きていける自立』を描いた。
自分の本当の理想の愛を知る事が出来たら、何気ない毎日の中に、愛や幸せが沢山ある事に気が付けた。
あれも幸せ、これも幸せ。小さい幸せが私の周りに沢山ある。
それらを否定する人や環境とは離れて、もっと自分らしく楽に幸せに、愛に包まれている場所に行く。自分で愛を感じて生きていけることが、愛に包まれていく事なんだ。それは彼に満たしてもらう愛ではなく、私で満たせる愛。他人から求めるものではないんだ。
それに気が付けた時、私がいかに他人に依存した愛だったかよく判った。
彼はそれに気づかせてくれた存在だったんだ。
分の幸せは自分で作ることが自立であり、幸せだ。
10枚目は『自立した先にある二人のパートナーシップ』を描いた。
自立して幸せに充ち満ちて進んでいると、急に速度が上がった。
振り返ると彼が船を押していた。
「押してくれるの?しんどくない?」
「そうしたいから、しんどくないよ」
互いの存在を意識しながらも、必要以上に寄りかからない。
言葉は少ないが、空気は柔らかく、穏やかだった。
以前は一言一言に意味を見出そうとしていたけれど、今はただその瞬間を味わえる。彼が隣にいることが、言葉よりも深い安心感を与えてくれる。ふと彼が視線を投げかけ、私が微笑み返す。
お互いが自立した存在でありながら、その中に自然に寄り添う愛があることを感じた。
2024年9月11日
カップの物語
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