20. 審判. JUDGEMENT/オリジナルタロットカード絵解説
こちらの記事は過去の制作時に書いていたものを再公開しています。
一部リンクが外れていたり、今と考えが変わったりしていますが、そのまま掲載します。
20審判. JUDGEMENT/オリジナルタロットカード絵解説
記:2023年11月6日
オリジナルタロット絵を描く中で、私が描いているのは『愚者の旅』
絵本のページをめくるように物語を紡ぎ、愚者と一緒に歩んでいる感じ。
タロットカードを描くと決めたことに関して
タロット絵を描こうと決めたのは、デザフェス58に出るって決めて大分たってからだった。それまでは既存の絵や、その絵をモチーフにしたもので何かしようとぼんやり考えてた。
けど、あったかくなり始めた頃に、妙にタロット絵を描きたいな、描けるかな、描こうかな、描こうって心が変化していった。
4年前ぐらいから自己内省し続けてここまできて、なんだか心の中にある『自分のやりたいこと』を明確に見つけられるようになってきたのが大きい。
私はWeb系の学校を出たりはしたけれど、絵に関しては美大を出たわけでも、何かを学んだわけでもない。
だけど、絵を描くのは好きだったのと、中高と美術の先生に教わったことが切っ掛けとなって、20の頃に『絵本作家になりたい』と目指した時期もある。そんな絵を会社の仕事で使ったりしているうちに、段々元々もってた自分に再び出逢った感じがある。
今は会社でマーケティグしたりしながら普通の会社員やってるけれど『絵描きとしてやりたいことをやっていくのも良いかもしれないな』と思えるようになって、会社の仕事も好きだからどっちもやってる。
「どっちかに絞りなよ」と誰かがこの先言ってくるかもしれないけれど、私はやりたいことを全部やって幸せに生きて今世を楽しむことにした。
これまでは『優しさをもつのがよい』『他人に配慮しましょう』って言葉だけを真に受けて、自分を圧し殺してきた。所謂犠牲ある献身。けれど気づいた。自分を大事にしないで他人を大事に出来るわけがない。
だから誰かに配慮して誰かの意見に沿って生きるのももうやめた。
そして誰にも私の人生に自分の人生を重ねて欲しくない。理解も共感も要らない。あなたはあなたの人生を歩んで欲しいし、私も私の人生を歩みたい。
100人いれば100通りの人生があって、似たような経験や似たような考えがあるけれど、全部同じなんてありえない。共感いらないっていうと言葉尻を捉えられそうでやだけど、この意味がわかる人はわかると思う。
わかる人と私は関わっていきたい。
そうやって決めちゃったんだけど、もちろん一人の限界はある。
そんな一人で出来そうにない時とかは、私のパートナーが助けてくれる気がしてる。
幸い今のところは1人だし、これから先そういう人に出逢うと思うとわくわくする。
元旦那さんごめんとかはない。それも経験だし。そういう私にとって相応しい、お互いに相応しいと思える人と出逢った先の未来が待ってると思うと毎日わくわくする。
あと「やりたいことは全部やる」ってことに関しては、ネットフリックスの『lighthouse』で星野さんがそんな感じだったから。
「それでもいいんだな」って思っちゃった。
若林さんが言いそうなんだ「これぞ真の多様性」って。
前置き長くなってきたからこの辺で。
前回までの絵のストーリーまとめ
愛が欲しくて飛び込んだ愚者。
彼は愛を手に入れるために旅を続ける。
色んな人に出逢い価値観が作られていく中で、本当の幸せのために愚者の『運命の輪』が動き出す。
運命の輪が動き出した事によって、愚者は自分の心臓部みたいなところに行かざるを得なくなった。それはまるで深い暗闇にたった一人で落ちていくようなもの。
けれども本来の幸せのために、自分の人生を歩んでいくために、愚者は『自分の本当の大事なもの』や『自分の中の正義』を知る必要があった。
自分の人生を生きていくために必要だからだ。
本当の願いや正義を知る為には、自分と向き合うしかない。けれどこれまで信じてた物が違うと気付いたり、自分と向き合うのはしんどい。
そんな苦しみの中で吊るされている男に出逢う。
「こんな風に本気で向き合うのか」と感銘を受けた愚者はさらに先に進む。
すすむ道は暗闇のまま。灯りなど無い真っ暗な中を不安でいくしかない。
行きたくなくても運命の輪には逆らえない。
そんな暗闇の中で愚者は死神に出逢う。
少しだけ進む道が判った愚者は安堵する。
死神のたてた道しるべに従ってさらに先に進んでいく。
そんな暗闇の中で自分と向き合いながら進み続けると、今度はシーソーをしている子どもたちに出逢った。
そこでバランスを知る。自己と他者のバランス、自分の中におけるバランス。バランスを取る為には軸が必要になる。
そうやって自分の中に軸に気付く。その軸がぶれない様にバランスをとりながらも進んで行くしかないのだけれど『これで良いのかな』と不安になる。
時にこれまでの感覚が良いものに思える時も沢山あって、バランスを崩したりする。バランスが崩れた時は苦しいのだけれど、時に過去の慣れ親しんだ感覚が安心感をもたらす事もある。そんな時に愚者は悪魔に出逢う。
「楽になりたい」と悪魔の誘惑に負けてしまった愚者。
過去という名の地獄に戻る。
私は『過去が地獄』としたわけではない。過去は経験の宝が詰まっていて、代えがたいかけがえのないものだと思う。其の過去の経験が自分を作り支えてきている。
ここで地獄としたのは『成長から逃げる事』『自分と逃げて向き合わず逃げ続ける事』が地獄だとしてるだけ。過去の慣れ親しんだものに安堵し、先に進むことを拒絶していては何も生まれない。変化のない人生は楽しいか?私は楽しくない。地獄だろう。
自分が楽になる為には、その逃げているものと向き合い受け入れるしかない。逃げても逃げても自分はついてくる。だから逃げることは出来ない。
そうやって過去に地獄に戻されている事とも知らない愚者。
過去と言う名の安心出来る場所、癒す方法をいくつか知ってたからそれでいいとしているだけ。
そんな事を愚者の中の正義が許すだろうか?
許す訳がない。彼の中の正義は、彼本来の幸せを望んでいる。
愚者が悪魔にもらった風船に引っ張られ、過去に戻っている途中、突如それまでみえていた甘美な灯りの道が消える。
愚者の中の正義が風船を破壊し、愚者が作り上げてしまった他人から受けて育ててしまった不要な価値観それを壊してしまった。
そうして愚者の『これまで』がすべてが崩壊してしまう。
その様子を『塔』として描いた。
崩壊した塔の底で、愚者は全てを失った気持ちになり、先に進む気力がなくなってしまった。
「もういいや」と投げやりになり、絶望と悲しみで放心状態になっている。
そこにやってきたのが彼が最初からともに旅をしていた女の子。
この女の子こそ、魔術師が解き放ったこの旅における『希望』
希望がやってきたことで、愚者は自分の本来の願いに気付き、再び進む希望を見つける。
そうして自分の希望をしっかりと手に入れた愚者は、進むべき道が判り、自分の力だけで突き進んでいく。
その様子を描いたのが『月』
https://note.com/araimiharu386/n/na7cab505661d
新月の月明かりのない夜を、自分の希望を頼りに進んでいく様を描いた。
せっかく見つけた希望があっても、たった一人自分を信じていくのは苦しさがともにある。
それでも進んだ先に『太陽』がある。
太陽は自分自身だと思った。
好きなもの、嫌いなものをみとめることは、自分を全て受入れていく事に繋がる。
ネガティブな感情も、ポジティブな感情もどちらも自分が生み出した大事な感情であって、どちらかだけという事はあり得ない。
バランスを取る為にはどちらも必要だし、ネガティブな事を避けててはバランスが悪くて先に進まない。
本筋から少し離れるけど、ある程度親しくなると「自分ネガティブなんだよね」と自己紹介みたいに告白してくれる人に多く出逢ってきた。
言葉の真意はわからないけれど、よくない部分もあるよと言われてるように感じた。
私は『ネガティブ=悪い事』みたいなのがどうにも嫌だ。
ネガティブだろうとポジティブだろうと貴方は貴方だし、どちらもあるからこそ人としてのバランスがあり魅力だと思う。
何をもってネガティブとしているのかを考えた時に、その考えが他者の考えだったりするなら、そんな他者の考えは捨てて欲しい。
自分の中にネガティブな感情があることを嫌に感じるなら、そのネガティブな感情を産み出すものから離れる為の『知らせ』だと思うし、一件ネガティブに思えても案外大事なものに気づくきっかけだったりもする。
感情は体温計みたいなもんだと思う。心を測るものというか。だから感じきる事が大事だ思う。感情を感じられるのは自分しかいないわけだし。そんな大事な感情を一般論とか、他者の判断で『良い』も『悪い』もないと思ってしまう。
折角なにかに対する気付きのために沸き上がってる感情を、ネガティブだからと否定してしまう事は、自分自身を否定してしまう事になる。
よく言う何でも話せる相手っていうのは、どちらの自分を受け入れてくれるという事になるし、そこから信頼関係が生まれるのではないか。
ネガティブな話題もポジティブな話題も穏やかに話を聴いてくれて、そんな自分を受けれ入れてくれる相手が居たとしたら。
その人こそ、自分にとって大事な人だと思う。
そして、それを自分にしてあげることこそが『自分を大事にする事』だと思う。
自分を受け入れて、自分の希望をもって進んだ先には太陽となった自分の世界が拡がるの景色を描いたのはそんな心情があった。
https://note.com/araimiharu386/n/ne466f883e397
審判のせつめいはここから
審判のカード本来の意味はこちら
自分で自分を受け入れて、自分の望みを見つけて自分らしく生きられるようになった世界が太陽だとしたら、次のステージに進む時が訪れると思う。
そのステージの扉の前みたいなところにやってきた時。
「それでいいんだな?」
覚悟を問われるような感じが審判だと思った。
勿論そのまま自分らしく生きる今の人生を生き続ける選択もあると思うし、もっと幸福になる為に新しい道に進む選択もあると思う。
どちらも幸せは幸せだけど、どちらを望むのか自分で決めることが出来る。
この扉の前に来るまでに様々な困難を乗り越えやってきたのだから、どちらに進む選択をしても後悔はないと思う。
そもそも後悔なんて人生には存在してないんじゃないかと正直想う。
どの選択も幸福に繋がっていて、道を選択してるにしかすぎなくて、常に幸せの上を歩いている感覚というか。
とはいえ、苦しくて辛い経験をしている最中の人にこんなことを言うことはしない。私は私自身に対してそう感じているだけだから。
「それでいいんだな?」と問う存在を描くのは正直難しくあった。
扉の前に立っている愚者の姿は容易に想像できたけれど、それを問う存在は難しくて、このカードの意味を理解すればするほど「あぁぁ~」ってなってしまう。
誰が問うんだろうか。
「それでいいの?」って。
判んない、結局わかんないまま。
だって自分で自分を受け入れて、自分の望みをみつけて、自分の世界を生きていく事に、誰に許可がいって、誰に問われる必要があるんだろうか。
誰なんだよ。
そんな風に考えていきついた先、問うのは過去の私かもしれない。
そして私は答えると思う。
「良いんだよこれで」って。
どう転んだって幸せは続いてるんだから、辛い事も悲しい事も、全部布石みたいなもんで、どこかでつじつまが合って理解するかしないかだけの事みたいな感じがあって、なんとかなるしどうにでもなるとしか思えなくって。
そんな自分しか判らない人生を他人にジャッジされるのは違和感があるし、結局自分で選んで最終的に自分で納得して生きてきてるんだから、問うのも自分であって欲しい気がしてきた。
これは私の解釈だけどね。
例えば他人に「いいのね?」みたいに訊かれると揺らぐこともあるじゃない。
「え、あかんの?」って。
まるで正解があるみたいにさ。
全部私にとっては正解なんだよ。どれもこれもどの選択もその人にとって正解なんだよ。だから愚者にとっての正解は正解でしかない。
ともすると「それで良いの?」って問いは『その自信を問われる為の問い』なのかもしれないなぁ。
私は絵が先に浮かんで、後から理解がやってくる場合が多くて、こうやって解説描きながら「あ~、そういう意味で描いてたのか~」ってなることが多い。
結局のところ、自分に問う存在は自分。
愚者に問う存在は愚者。
愚者は私そのものを描いてから、問う存在は私だ。
なるほど、私は未だこの絵を描いている段階では不安というか自分軸に対して漠然とした何かがあったから、迷いの中から生まれた自分の姿が絵になってるのかもしれない。
だからこちらをみることもせず、ただ怠惰にたちはだかって「ここいくの?」ってぼぅっとしながら問うてるのかもしれない。
自分自身に自信が持てない私がここにというのは驚きだけど、なんか納得した。納得って大事。
過去の弱弱しい自分や、自分をしらない自分、それらを受け入れて先に進む時「それで良いの?」と訊くのは自分の中の自分かもしれない。
愚者の姿で扉の前に立ちはだかると、それはちょっと違うから、より彼の幸せや希望を纏った光輝く存在みたいなのが門番として描いたのかもしれない。
けどこの説明もちょっと納得してない部分があるから。
この時描いた門番はwikiにならって『天使は最後の審判に基づき、大天使ガブリエル』をモチーフに私も描いているから。
ガブリエルは「天の声を伝える存在」とされてる存在。
天の声は自分の人生において幸せな道へ導く自分の声だとしたら
私が言ってた「これは自分」とするのはあながち間違っていないかもしれない。
そうやって完成した絵がこちら。
愛にそまった赤いマントを纏い、自分の星を持った愚者が扉の前に立つ。
もう扉は開いているし、門番も決して邪魔をしているわけじゃない。
「いくの?どうぞ~」位の感じで、通る際にはラッパを吹き鳴らそうと今か今かと待ち構えている。
ラッパは愛のラッパとしたから、赤い帯をつけた。
後ろに黒いもじゃもじゃを描いたのは、おどろおどろしさを出したかったからだけど、説明しててわかった。
これは塔の時に壊した暗い世界だ。
外へ外へと意識が行き、自分をみうしなって、愛を求め彷徨う亡霊になってしまっていた愚者。
その愚者は塔の中にいながら彷徨い、色のない世界にいた。
https://note.com/araimiharu386/n/n763fb8095c3d
その世界がこの扉の背後にはある。背後ってか周りかな。
これまで生きてきた人生の中に、更なる幸せに続く道に続く扉がある。
その扉の前にはだかる愚者は、見つけた自分本来の希望をもって、さらに望むものを掴むために先に進む。
愚者が欲しいのは愛。今手に入れてるのは自己愛。
次に手に入れる愛は、パートナーと出逢い紡ぐ愛あろう。
絵が先に浮かぶから解説することで理解が追い付くんだけど、そういう意味で私描いてたのかも。
過去は絶望や苦しみではなく、希望が詰まった場所だったってことかな。
確かにカード本来の意味では「これまでの行いに結果が出る」ってあるから、意味としてもあってる。
最高の絵だなぁ。
もっかいのせとこ。
タロット絵を解説するにあたって、やっぱり絵を描いてる時と同じぐらい内省することもあって。
最近想ってたのは正負の感情どちらも受入れてくれる存在。
ポジティブであろうとネガティブであろうと私は私なのに、どちらかしかの私を受け入れない人とは関係性が作れないんだなって判ったんだ。
愚痴ばっかり溢し合う関係も、ポジティブな事ばっかり言い合う関係も、どちらも疲れちゃうし、どちらも私らしく居られない。
一面しか見て貰えてない感覚があって、私も別面をみせることも、相手の別面を知る事もない。
そんな関係は欲しいとは思わないし、一時的に盛り上がれたとしても結局疎遠になってしまうと思う。
だからこそどちらの面も表現することが出来て、そのままを受け入れ合う事ができて。
そんな相手の都合にあわせたりしない、本来の自分の純粋な想いで傍にいられる関係を目指すようになった。
自分の空間が心地よくなって、その空間を守れるようになったし、私を無償で受け入れて、存在そのものを愛してくれている家族のありがたみがよく判るようになった。
今度はそれを血のつながらない他人と創り上げていきたい。
ネガティブな状態になった私がいたとして、それを否定せず励ましもせず、ただそこに居続けてくれる感じというか、私もそういう人が出来たなら、否定もせず励ましもせず居続けたいと想う。それが愛だと思う。
元気だしてって、元気を出して欲しい理由を考えたら、本気でその人を想ってるかどうか判らなくなったし、自分を知る為に必要なネガティブな状態かもしれない。
勿論疾病したりして元気がない状態ならば、回復するためにあれこれできることをする。
けれどネガティブな状態は疾病とは違う。何かに気付く為に感情が沸いている時もあるし、それを安易に励ますのも、否定するのも違うきがしてて、その人が望む状態が判るまで離れず傍にいることが愛なんじゃないか。
上手くいえないけど。
自分の愛を知った今、次は他人と紡ぐ愛の世界に私はいきたいし、愚者もきっとそうだろう。
そして愚者が進んだ扉の先はタロットカード最後の絵
『世界』
この絵は3回ぐらい描きなおした。
2023年11月6日タロットカード絵解説