
私作のタロットカードの使い方
私が制作したタロットカードは、一般的な占い道具とは異なり、ひとつの物語として楽しみながら、深い洞察を得られるようにデザインされています。
愚者が愛を探す旅
このタロットカードの大アルカナ22枚は、愚者が「愛とは何か」を探し求め、旅をする物語を描いています。
それぞれのカードは、愚者が旅の途中で出会う出来事や学び、選択を象徴しています。この旅路は、単なる物語ではなく、私たち一人ひとりの人生の歩みを映し出すものです。
カードをめくるたびに、愚者の視点を通して、あなた自身の内面や今いる位置が見えてくるはずです。
特徴
物語としてつながるカード構成
物語が進むにつれて、愚者が愛の意味に近づいていく。そのプロセスがカードに込められています。
視覚的にも楽しめるデザイン
一枚一枚、色彩や象徴にこだわり抜いて制作。カードを見るだけで、まるで物語の中に引き込まれるような感覚が味わえます。
誰でも使いやすい
タロットカード初心者の方でも、自分自身と向き合うためのツールとして活用いただけます。絵本をめくるように物語が繋がって居ますので、ご自身の人生と照らし合わせて確認して頂くことが可能です。
おすすめの使い方
物語を読むように1枚ずつカードをめくる
ワンオラクル(1枚引き)で自分の状態やテーマを確認する
カードを使って、自分自身の物語を紡ぐヒントを得る
愚者の旅に共感し、自分の人生に新たな視点や発見をもたらしたい方におすすめのタロットカードです。
カードそのものについて
私のタロットカードは、私が本来望む人生を生きるために、心にある不要な価値観や癒すべき傷、押し込めてしまった感情を癒し、解放するための道しるべとして機能します。目に見える形で気づきを与えてくれるものです。
カードの絵は、私の人生と連動するように生まれました。ですので私の人生の学びと共に形成されています。
私は輪廻転生を信じています。魂がこの地球に来た目的は『体験を通じて魂の成長を果たすこと』だと思っています。この目的は誰もが持っており、自覚しているかどうかの違いはあれど、多くの人はそのことに気づいていません。
大アルカナはその魂の成長の流れそのものを示しています。これまでの人生で必要だった外的な価値観を取り払って、自分本来の姿を取り戻すための大きなプロセスを教えてくれます。そして、最終的に自分本来の姿を取り戻した後は、自己の力で人生を切り開いていきます。その過程を導いてくれるのが小アルカナです。

愚者の旅はまさに私の旅でもあるのです。
小アルカナは現在制作中です。
私の人生と連動しているため、まだまだ完成していないのです。
ワンドの理解があり、カップの理解とソードの理解が同時並行するかのようにありました。今はペンタクルの流れにはいっていて、自分の力で稼いでいくこと、その力を人々に分配していくことでまた得られる喜びを体験しています。

来年完成を目標にしていますが、こればっかりは何ともいえないのが現状です。カップも理解はすれど、私のパートナーは不在ですし、ワンドも仲間に出逢える予感はひしひしとしてるものの、現状単騎です。
もっとも、つるむような仲間ではないのだろうと判るので、そのうちどこかで出逢うだろうなと思って今は自分のことをコツコツ頑張る毎日です。
こうした、私のタロットカードや価値観に、深く共感する人に現状出逢っていませんが、私はこれを信じています。私にとってとても大切な価値観なんです。
スピリチュアル能力がどうであるとか、神々の力がどうであるとか、それは元々皆にあるもので、平安時代や鎌倉時代などなら普通の感覚だと思います。鎌倉時代にある御成敗式目にも神をまつり、力をつけようという法令もあるくらいで、全国各地にある神社仏閣を作ったのは多くの戦国武将だったりします。当たり前に信じ、委ね、自分の力をつかって切り開いていた時代です。なので力そのものを誇示することはエゴに溺れることでもあります。衰退した武将は自己の権力に溺れ、幸せの循環をしなかったからこそ、衰退しただけだと思います。だからその力や計らいを使って、この人生をどう生きるのか。『自分にとってどうか』それしかないと思います。『そもそも何のために生まれて何を目的に生きてるのか』その『軸』『目的』に気付いてこそだと思うのです。気付いたとき幸せの循環をすることの大事さが判るはずなんです。
信仰の一貫性を持つことも大事です。どの神を信じていくのか。敬意を持つことは大切です。特定の神社や神々に対して真剣に向き合わず、あちこちの神に渡り歩くことは、信仰の本質を軽視しているように私は感じてしまうのです。
もちろん参拝してもいいと思います。ご縁ですから。けれど、参拝したあとに氏神神社を訪れて初めて真の加護が受けられると思っています。これは出雲大社にて教わったことです。
信仰は、個人の心の中で深く根付くものであり、特定の神や神社に対する敬意を持つことが、より豊かな精神的な体験につながります。信仰のあり方について考えることは、個人の成長や理解を深めるためにも大切なことだったりするのです。
こうした教えや、私が共感することを唱えていた方は出雲大社福山分詞の前管長様でした。厳しい方でしたが、真っ直ぐに太い軸があり、何のために生きて何を届けようとしてらしたのか、体現をし伝え続けて下さった方です。ご縁があったこと深い感謝しかないのです。眠っておられる場所にあるそばの社の天井画。その絵を祖父が描き、そのうちの一枚の絵に私が途中まで描いてたものが使われていることも大変光栄なことです。(これは祖父しか知らなかったことですが、生前教えてくれました)
前管長様が月次祭や各祭の最後になさるお話は、わたしの魂に響くことばかりでした。元夫に家を追い出され、毎日すがる想いで通った出雲大社、そこから開けた私の人生。
毎回ではないですが祭に訪れては、今辛いことの答えを貰うような話があり、何度も何度も救われ続けました。
遷宮の際、参加したおくに帰り。祖父と前管長様と共にみた、出雲大社の天井絵、あの青い空をよく覚えています。
私のタロットカードは、そういった信仰の本質にある魂の流れを描いているのです。
使われる人が真の目的に気付き、愛と幸福がある道を進んでいけるよう、そんな手助けをしてくれます。
そしてその目的に気付かれて、自分の人生を歩まれた時、その事に寄与できたことに、私は深い喜びを感じるのです。
この感覚が現状誰にも共感されない寂しさは仕方ないことですが、そのうち真の共感をする人に逢えるだろうと日々生きています。
孤独から諦めそうになりますが、来世また同じことするのもなと思うのと、たぶんこれまで何度も諦めて来たんだろうなと思うので、今目の前のことを諦めずに頑張るのです。
2024年11月27日
2024年12月8日 加筆訂正