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私のタロットカード『女帝』に込められた物語り:寂しくない独りぼっち

私のカードは、基本私の人生や経験、学びが反映されているわけで、そこを絵という形にして表現した際に多くのエネルギーが注がれています。基本的なカードの意味は同じですが、所々『より強いもの』が入っています。

基本的にカードに込められた私のエネルギーは『自己認識』からなる『自己内包』そして『自己統合』が大きなテーマとして込められています。
それはカード絵が生まれた過程にある学びや気づき、そして内包にあるのですが、カード自体が『自分の幸せの為の自立』を促すものなので、相手の気持ちを占おうとしたりすればするほど、カード絵のわりにモヤモヤとするものを指摘もしてきます。

例えば『女帝』

恋愛でこのカードが出たなら「嬉しい」と感じるかもしれません。
けれど私のカードの場合ちょっと含みが強いので、感じるものがあればそれを受取った方が良かったりします。

女帝の絵にある少年、これは愚者なのですが、愛されようと自分の大事なものを差し出している様子を描いています。けれど相手の女帝はその『渡そうとしているもの』にそこまで関心を示してないですよね。

女帝が『愚者の大事なもの』そのものを受取る事はありません。それを渡そうとする気持ちを受けとりますが、彼の大事なものを受けとることはません。

愚者の大事なものは、彼の命そのもの、そんなふうに考えてもらえれば判りやすいです。自分の命は人にあげられないし、あげるものではないですよね。
それぐらいその人にとって大事なものは、他人に渡すものではなく、自分で大事に持っておくものだから、愛される為に差し出すものではないのです。

自分が大事なものを大事にすること、それは自分を大事にすること他なりません。女帝は愛される象徴でもありますが、私のカードの女帝は『自分を愛する事の大切さ』を教える存在でもあります。

もし、恋愛に限らず人間関係、会社関係などで女帝のカードを引いたときに、何となくモヤモヤしたのなら。

あなたを大切にしてくれる人や場所に今あなたは居ますか。

そう問われているのかもしれません。

その環境から抜け出すことが出来るのは、あなただけです。
大切にしてくれない人や場所、会社もそうですが、そういった場所に居続けると、その感覚は麻痺していき「そういう扱いを受けるのが当たり前」になります。

そうなると、やがて自己肯定感を失い、狭い価値観に囚われた世界でしか生きていけなくなります。それで人は満足して生きていければいいですが、魂はそうはさせてくれません。忘れようとしたり飲み込もうとした悲しみを心に留ませつづけ、気付いて欲しくて体験として辛い出来事ばかりが起きるようになります。これは逆説的にいえば、何もなければ何も感じない事に苦しさを感じるということでもあります。

「他者のために自分を犠牲にすること」は無意味です。自分自身を大切にすることが最も重要であり、生きていく指針ではないでしょうか。

彼に好かれる為に自分を曲げてまでいる必要があるでしょうか
努力を評価もされない会社で頑張る意味は少しあります。それは自分のスキルアップの為に繋がって居るかどうかです。もうそこのスキルが育ったなら、次へ羽ばたいてもいいのではないでしょうか。スキルが育ち切ったあとそこに留まり続けることは、あなたを腐らせていくだけにもなります。

私は生まれてからこの年になるまで、自分は要らない子だと思い込んでいました。それは幼少期、父に忘れ去られ置いていかれたせいで深いトラウマになったからです。その経験が私の深い場所で価値観となり、ずっと『私は誰も要らない子だから』と思いこむようになりました。
その結果、私を必要としてくれる人に過度につくし、ボロボロになるまですがって生きてきた経験があります。

カードの絵を描く事で、そういった心の傷に気付き、あの時どうして欲しかったのか、何を感じていたのかを思い出す事が出来、癒す事ができました。

癖というものは恐ろしいもので、抜けたとしても残っていたりします。
何度も何度も気づく出来事が訪れては、悪癖を浄化する事に繋がっていきます。

私のカード絵は、私が反映されています。深い共感力を元に、使用者の真の幸福を願い、気付きを知らせてくれるはずです。
女帝でモヤモヤしたものがあるのなら、そのモヤモヤをもっと掘り下げていくといいかもしれません。

あなたを大切にしてくれる人や場所に今あなたは居ますか。

そうじゃないなら抜け出してください。その結果1人になっても大丈夫。あなたが大事なものを守り続けていれば、きっと共感してくれる人や会社がやってきます。私もそうして生きています。

寂しくない独りぼっちってあるんですよ。

2024年9月3日 
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