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コロナ隔離病棟で泣き叫びそうになった話

いつもは占いや開運法の話を書いていますが、今回はコロナの話をさせてください。自分が5月15日に発熱し、陽性と診断され、5月25日に退院するまでの闘病記です。

恐怖の発熱がやってきた

馬主で大家で占い師、大久保占い研究室のあらいちゅーこと田中です!

(親族の話が絡むため)細かな経緯はすっ飛ばしますが、濃厚接触者になってから数日が経過し、とうとう自分にも体調の変化がやってきました。

息苦しさは感じないものの37℃台の発熱があり、風邪のひき始めのような感じです。

麻黄湯を飲んで安静にすると少し軽快したので、マツキヨで買ってあった抗原検査キットで調べると陰性。単なる風邪かと思って一晩寝たところ、朝になると熱が38℃台まで上がっていました。

ファストドクターで往診を呼ぶ

これはもう陽性だろうと観念し、早朝にファストドクター(往診アプリ)でお医者さんに来てもらい、自宅でPCR検査を受けました。

玄関先に防護衣のお医者さんが立っている光景はかなりビビるものがありましたし、近所の目が少し怖かったのですが、もう四の五の言っている場合ではありません。

早く検査結果を出してもらって、陽性なら一刻も早く医療なり食料品なりのサポートを受けたいと思ったのですが、PCR検査のラボが土日は営業していないようで、結果が来るのは3日後(4日目)とのこと。

ファストドクターさんには懇切丁寧にサポートしてもらえたのですが、さすがにこの3日間は身を削られるようなストレスまみれの日々でした。コロナにかかるなら月曜日に限ると思います。

検査したら4日目に陽性

そして検査から4日目の朝。SMSで陽性の検査結果が届きました。半ば覚悟していたので驚きはなかったのですが、これからのことを考えると憂鬱になります。家族や取引先に感染と休養の連絡を入れるだけで、肉体的にも精神的にもかなり消耗してしまいました。

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SMSから30分ほどするとファストドクターさんからサポートの連絡があり、新宿保健所からも速攻で電話が来ました。

コロナ患者発生の情報は病院→病院所在の区の保健所→患者在住の区の保健所というルートで行政に届くので、陽性判明からこんなに早く連絡が来るとは思っておらず驚きました。

保健所の人との話は手続き的なものが主で、基本的にはホテル療養になること、今から療養先を探すので数日待ってほしいということ、その間の諸注意や体調が崩れた際の相談先の案内でした。

これくらいなら乗り切れるかな…?

ホテル療養の準備をしながら、自宅で不安な日々を送ります。風邪のような症状とストレスで食欲はまったくないのですが、コロナは体力勝負だと聞いていたので、レトルト食品を無理して流し込みます。この頃から白米や熱いものを食べるのが苦痛になってきました。

とはいえSpO2は97、体温は37℃台前半と安定しています。これくらいの苦しさならホテル療養で2週間乗り切れるかな…と思ったのですが、悪いことに少しずつ胸に痛みを感じるようになっていました。

恐れていた胸の痛み

胸の痛みがなぜ怖いか。厚労省が自宅療養の際の注意事項のようなものを配っているのですが(下図参照)、緊急性の高い症状という欄に「胸の痛み」というのがあるのです。

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東京都が出している救急車を呼ぶかどうかのセルフチェックリストにも、胸の痛みを感じたらすぐにギブアップしろとあります。どうやら胸の痛みがある人は、かなりの高確率で肺炎や他の病気を併発しているという理屈のようです。

とはいえ「まさか自分がそんな重症なわけが…」という謎の自信と、肋間神経痛かなにかの可能性もあるという謎の自己分析で、救急車を呼ぶのを躊躇していました。

痛みがひどくなりギブアップ

そしてホテル収容の前日。歩くと着地の衝撃が胸に伝わって痛むようになり、横になっても痛みが収まらないというレベルにまで状態が悪化します。セキも我慢できる水準を超え、大きく息を吸い込むとガホガホ出るようになりました。

同時期にホテル療養していた友人から「ホテルでの医療サポートはあまり期待しないほうがいい」「流れ作業で体温とか聞かれるだけ」という助言を受けていたこともあり、自由のあるうちに自力で行動するべきだと決意し、保健所から案内を受けていた都と区の相談センターに電話することにしました。

救急車を呼んだほうがよいのかアドバイスが欲しかったのですが、どれだけ辛さを訴えても「医者じゃないからなんとも言えない」「もうだめだと思ったら自分で救急車を」の繰り返しで、都から区、区から都へと相談センターをたらい回しされるだけ。何らの情報も得られません。

相談員の人も心から心配してくれているのですが、自分たちには何も出来ないんですという様子で、無力感がすごいです。

そうこうしているうちに胸の痛みも強くなってきたので、このままでは倒れてしまうと感じ、自分で#7119経由で119番通報することにしました。

出発できない救急車

#7119に電話したらもう安心…というわけではなく、まず口頭で延々と症状確認をされます。鏡を見て顔色をチェックし、熱を測り、SpO2を調べてと、リモート診察のような形です。

#7119をクリアすると消防につないでもらえたのですが、そこでも口頭で延々と症状確認をされました。

胸の痛みがどんどん広がっているのが決定打になったのか、とりあえず救急車をそちらに派遣するが、収容するかは救急隊の現地判断に任せるし、大丈夫そうなら救急隊は引き上げさせて保健所の人に迎えに行ってもらう、というゴテゴテした条件付きでの出動となりました。

救急車自体は10分ほどで到着し、救急隊の人が手際よく診察をしてくれます。聴診の結果、左肺の呼吸音にすでに雑音が混じっているということで、「100%入院です」と言ってもらえました(お医者さんと電話で相談しながら診察を進めていたようです)。

入院できるということでひと安心したのですが、よくよく考えるとマジで病状がやばいということでもあるので、安堵とショックが入り混じって「ふああぁあァ~!」と変な声が出てしまいました。

早くも人工呼吸器とECMOの話が出てくる

入院が決まればあとは病院探しなのですが、これがビックリするほど見つかりません。かなり遠い病院になる可能性もあるので了承してくださいと言われます。救急隊と保健所の人が東京全域を一生懸命探しくれてはいるのですが、それでも見つかりません。

結局1時間程かけて見つかったのは、うちから徒歩10分くらいのところにある総合病院でした。

「すぐそこやん。真っ先に電話してちょうだいよ」と思ったのですが、その病院は中等症以上の治療ができない病院で、人工呼吸器やECMOが必要な場合は改めて転院になるそうで、患者(自分)の状態から考えると、優先順位が低い候補ということのようでした。そうか、そんなに俺はやばいんだな…。

しかし病院をチェンジする気力も残っておらず、なにより自宅の窓から見えるド近所の病院なので謎の安心感もあり、そこへの搬送(と重症化時の再搬送)で同意しました。

病院での診察と検査

そんなこんなで7119通報から2時間ほどかけて、近所の病院に搬送されました。ストレッチャーに乗って陰圧の診察室に入ると、完全防護のお医者さんがすぐに登場し、テキパキと診察を進めてくれます。

私が感染したのは2021年5月で、当時の(都内)感染者数は1日500人程度でした。2021年8月現在では1日5000人くらいになっていので、2時間で入院できたらスーパーラッキーな部類だと思います。

採血もされたのですが、意外なことに鼠径部の大動脈?からグイグイと血を抜かれました。針が入ってくる時の異物感と、止血でガーゼを抑える際の痛みがものすごかったです。これを麻酔なしでやるんだな、というのが率直な感想でした。

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その後はCTとレントゲンを撮影し、1時間ほどかけてようやく病室のベッドに倒れ込むことができました…疲れた…しんどい…。

深夜のレムデシビル

この時点でもう夜中だったのですが、インターコムで主治医の先生から連絡があり、やはり肺炎を併発していたのですぐにレムデシビル(商品名ベクルリー)の投与をはじめます、ということでした。

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薬の到着まで1時間ほど待って、一発目の点滴が始まります。レムデシビルは無色透明の小さな点滴でした。2時間かけてゆっくりと落とすようで、気がついたら朝の3時近くになっていました。

身体には血中酸素濃度計と心電図検査用のケーブルが常時繋がれ(外れると看護師さんがすっ飛んできます)、スパゲッティのようになっています。またこれが安眠を妨げてくれるんです。苦しいし、疲れているけど眠れない…。

体験したことのない発熱

予想外にメチャメチャ忙しいスタートを切ったコロナ隔離病棟の生活ですが、カロナールでは発熱がまったく収まらず、満足にうたた寝をすることもできません。体験したことのない大量の寝汗にも襲われて、ベッドがビショビショになり不快極まりないです。これが夜も昼もなく続きます。

(あとで知ったのですがコロナ病棟は退院まで寝具の交換がなく、寝汗をベッドに移さないようタオルを敷いて寝るべきでした)

身体が熱くて熱くて仕方なく、上半身裸で過ごすのですが、まったく涼しくなりません。病室には巨大な換気扇があり、冷たい風がガーガー吹いていて、本来はメチャメチャ寒いと思うのですが、体の表面は冷えているのに内側に熱気がこもっており、真夏のような暑さを感じます。

発熱したら寒気がするものだと思っていたので、自分の体がアンコントローラブルになっている恐怖にメンタルをやられそうになります。

また横になっていると内臓が震えるかのような痙攣に何回も襲われ、地震が来たと勘違いして何度も飛び起きそうになりました。

せん妄

そしてせん妄と呼ばれる混乱もあったようで、まだ受けていない心電図検査をもうやったと言い張ったり、書いていない書類をもう書きましたよと話していたようです。

特に書類に関しては「住所欄に都道府県は書かなかった」「職業は自営業にした」と記憶が細部までハッキリあったので、まだ書いてないと言われたときには心底ゾッとしました。

頭が混乱しているのではなく、存在しない架空の記憶が脳に挿入されている感じです。

私は全身麻酔で手術(扁桃腺)を受けたことがあり、せん妄の存在を知っていたので、「ああ、これだな」と気がつけたのですが、初めてせん妄に陥った人はかなり混乱するだろうなと思いました。

入院二日目も地獄の苦しみ

入院二日目も症状は大差なく、発熱と寝汗と痙攣、おまけに猛烈な下痢に襲われ続けます。レムデシビルを入れても特に変化はありません。便の臭いも今まで嗅いだことのないような臭さで、内臓ごと腐ったのかと思うくらいです。

SpO2も安全域を下回る94を示すようになり(深呼吸すると95~96までは回復する)、このまま人工呼吸器やECMOになるのではという恐怖が頭から離れなくなります。強烈なストレスとあいまって、体力も激しく消耗していきます。

スマホでコロナの情報を調べるたびに(当たり前ですが明るい話なんか全然出てこないので)メンタルが削られ続け、しまいには死を意識するようになりました。生き地獄というのはこういうことなのでしょう。

どうして俺がこんな目に…と泣き叫びそうになるのを我慢して闘病していたのですが、3回めのレムデシビルを受けたあたりから、驚くほど症状が軽快します。

3回めのレムデシビルで回復

入院三日目。3回めのレムデシビルを受けながらうたた寝をしたのですが、起きるとベッドが寝汗でビショビショになっていました。

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コロナ発症以来、間違いなく最大量の寝汗です。しかし、身体が少しだけ楽になっているような気がします。急いで体温を測ると、あれだけしつこかった発熱が37℃台前半にまで下がっていました。

SpO2も96で正常です。やっと峠を超えて、コロナと五分の勝負ができているという実感を得ることができました。

「レムデシビルが効くかどうかは人による」と看護師さんに言われていたのですが、幸いにして私は効く方の人だったようです。

肺炎は過去にも患ったことがあるのですが、これだけ劇的に改善した記憶はないので、やはりレムデシビルのおかげなのだろうと思います。

落ち着いてきた病院暮らし

この頃から食事も完食できるようになりました。

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ここの病院食はよくよく味わうと非常に美味で、そのへんの定食屋さんより明らかに美味しいのです。味覚・嗅覚の症状があまりなかったこともあり、毎回の食事が楽しみになりはじめました。

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肺炎は栄養をつけないと治らない(と自分は思っている)ので、ここの美味しい食事は心強い味方になってくれました。

ここは本当に良い病院

精神的な余裕が出てきたので、ぼちぼち周りを観察できるようにもなったのですが、医療従事者のみなさんを見て、ここはしみじみ良い病院なのだと気が付きました。

担当の先生は親切で優しく、処置もテキパキしていて見るからに有能です。看護師さんたちは極限世界であるコロナ病棟でも明るく仕事をしています。先述のように飯はメチャうまいので、栄養部の皆さんも凄腕なのでしょう。元気に働く皆さんの姿が勇気を与えてくれます。

まだまだ自分の運も捨てたものではありません。神様と救急隊と保健所の皆さん、そして病院の皆さんに心から感謝しました。

隔離病棟のトイレがくっさい!

人間というのは贅沢なもので、身体が立ち直り始めるとしょうもないことが気になり始めます。一番困ったのがトイレです。

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コロナ病棟に収容されている患者は部屋から一歩も出ることができず、トイレはベッド脇に備え付けられている電動おまるで済ませることになります。

便器にポリマーの凝固剤を入れて用を足し、スイッチを押すと便をビニールでくるんでくれるので、それをトイレ脇のポリ容器に入れておくというスタイルです。

ところがこのビニールが破れたり漏れたりするので、悪臭がベッドにまで漂ってきて堪りません。このときばかりは「嗅覚症状があったほうがよかったな」と思ってしまいました。

ポリマーは指定の2倍入れる、便器の奥の方に腰掛ける、袋はそっと扱うというのが排便のコツです。みなさんも覚えておいてくださいね。

ちなみに私の病室には1人1台の電動おまるがあったのですが、3人に1台という部屋もあったらしく、その場合は「今から使います」と同室のみなさんに宣言してからブリブリ出すシステムなのだそうです。

そして退院の日

レムデシビルの投与(5日1クール)が終わり、発症から10日+軽快して3日という退院基準を満たしたため、熱発がなければ明日退院できますよと先生に言われます。

しかし正直なところ、家に帰れるという喜びが半分、もうちょっと入院したほうがいいんじゃないかという心配が半分でした。それほどまでにコロナは精神的ダメージが大きいのです。

最後の夜は何事もなく過ごし、いよいよ退院の朝を迎えることができました。コロナの入院療養費は国家負担のため、特に精算をすることもなく、ナースセンターのみなさんに深々と御礼をして、そのままエレベーターに乗り込みます。

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病院から自宅は徒歩10分ほどなので(マジで家の窓から見える)、タクシーでなく歩いて帰ることにしました。途中で買ったローソンのカフェラテがひっくり返るくらい美味しくて、一生の記憶に残る味となりました。

後遺症とリハビリ

退院の翌日。後遺症と言えるのかはわかりませんが、息苦しさや疲れやすさがまだ残っているので、体力測定を兼ねて近くの戸山公園を散歩することにしました。

東京で一番低い(らしい)ことで有名な箱根山に登ってみましたが、階段を少しあがるだけでも想像以上に疲れてしまい、驚きました。以前の体に戻るまで少し時間がかかりそうです。

とはいえコロナ病棟での苦しみと恐怖を考えれば、生きているだけで丸儲けです。先生、看護師さん、スタッフさん、栄養部の皆さん、保健所のみなさん、ファストドクターのみなさん、救急隊の皆さん、ほんとにありがとうございました。おかげで、また歩けるようになりました。

※後遺症やその後の話については別の日記にしましたので、興味のある方はどうぞ。

コロナ患者は精神的に支え合うべき

コロナにかかると未知の症状が次から次へと起こるので、肉体的にかなりキツイのですが、同じくらい精神的な負担もすごいのです。

このまま治らないのでは、周りの人に移してしまったのでは、後遺症があるのでは、仕事を失うことになるのでは。そんな恐怖と一人で戦うことになります。

私が入院中に(さみしくて)作ったTwitterの「#コロナ闘病中のみんなで話そう」というタグがあるのですが、同じような思いをしている人が多いらしく、たくさんの投稿があります。今でも読んでいるだけで涙が出そうになります。

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https://twitter.com/hashtag/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E9%97%98%E7%97%85%E4%B8%AD%E3%81%AE%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%A7%E8%A9%B1%E3%81%9D%E3%81%86?src=hashtag_click

偉そうなことを言うようで本当に恐縮なのですが、コロナにかかっている人や、コロナから生還した人がいたら、大変だね、大変だったねえ、コロナが終わったら飲みに行こうね、と声をかけてやってください。それがものすごく助けになるんです。

というわけで、いつも脳天気なnoteなのですが、ちょっと真面目な話をさせていただきました。明日からまた明るく楽しく過ごして、自分の人生を取り戻していこうと思います。体も仕事もメチャメチャになり、これまでと同じ暮らしができるかはわからないのですが、今は不思議なヤル気に満ちています。

サポートいただいたお金はセコく貯金したりせず、世のため人のためにぱーっと使おうと思います。馬券とか…。