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自己紹介
初めまして、“デザイ“と申しますのだ。
デザインを大学で学んでいる、アライさん。
だから略して“デザイ“。
アライさん界隈ではお互いを呼ぶ際、
末尾は「イ」で終えるのが暗黙のルールなのだ。
しかし、結果的には「ン」しか消えてないのだ。
随分と移動したはずなのに、気がつくと元いた場所に戻っていた。
その場で踊っていただけで周りが見えずに疲れ果てていた。
何から手をつけても良いかわからなくなり、
徐々に死にたいと思っても死にたいと言えない日が増えたのだ。
嗚呼、鬱なのだ。
誰にも告げずに、三途の川の川縁に来たは良いものの。
渡し舟に乗る勇気がなかったのだ。
あまりにも優柔不断なので、
多分船頭さんにすら嫌な顔をされてしまったのだな。
自分によく似た叔父が霧の向こうで来るな、と叫んでいる気もするのだ。
簡単に死ねないことがわかった今、
川縁でできることをやってみることにしたのだ。
賽の河原の小石も積まねばただの砂利に過ぎないし、
硬い石を使えば、折れてしまった石でもきらりと鋭利な刃物になるかも知れないのだ。
二浪して大学に入った冬に発達障害と診断されて
加えて不定期で鬱になってしまう自分が情けない。
大学でデザインを選択したのも、古文も数Ⅲも出来なかったから。
その代わり現代文や英語は得意だったし、ある程度絵も描けたのだ。
趣味においては自分がラベリングされて個性が潰れるのが怖かったし、
自分の感覚が他人とズレていることがわかっていたから
自分の中の好奇心を純粋に肯定できずにいた。
結局オタクにも何者にもなれていないのだ。
今でも癖で自己肯定感が低くて、自分を褒めるのが下手なのが鬱になりやすい原因の一つなのだ。自分の感覚ではなく論理的に満遍なく知識を持って共感すれば、理解できなかった普通のコミュニケーションを再現し虐められずにモテると思い込んでいたのだ。
苦手な部分は薬の力を借りて、自分の得意を伸ばした方が生きやすいのだと気がついたのもつい最近のことなのだ。
当然フェネック(※異性のパートナーのこと)もいないので、
自分のみが、自分を嫌わずにいるしかないのだ。
第一今は恋愛とか考えられないし、自分の好きという気持ちと、好かれたいという気持ちを重ね合わせるあざとさは、相手に好かれなかった時必要以上に自分を苦しめるだけなのだ。
本名ではなくてデザイを名乗るのも、同情というあざとさをかなぐり捨てる良い機会なのだ。
情けない男の話なんて星の屑程数があるから、PV数も稼げないけどそんなことはどうでも良いのだ。いつか本当に三途の川の向こうに渡った時に、この文章が墓標になる。
しかしもしも、この文章が誰かの励みになればそれはそれで幸せなことなのだ。