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◤平和◢童貞が考える戦後75年。8月15日は「平和な日」なんかじゃない。


75年目の平和な8月15日

ドウッ! テイッ! の新井さんです。

今年も平和な形で8月15日の日を迎えました。

今回YouTubeでは
🍒片島魚雷発射試験場跡(川棚町)
🍒防空壕・無窮洞(佐世保市)
🍒佐世保要塞・丸出山堡塁観測所跡

 といった、長崎県は佐世保や川棚の戦争遺跡に触れながら、戦争体験者の方々の証言を生に伺える最後の世代として、童貞ながら「戦後75年」について考えていきます。


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8月15日。終戦記念日。

玉音放送が世の中を流れ、
長かった戦争が終わりを迎えました。
 👉🏻厳密には、8月15日以降も戦闘や被害は続いた地域がいくつもありましたが


75年ものの間
戦後」と「平和」とが
今日まで続いてきました。

僕がこの暑い日を迎えるたびに思うのは、
8月6日も8月9日も8月15日も
別に「平和な日」なんかじゃないということです。

あくまでも自分たちが自主的に
平和を考える日」「平和を祈る日」としなければ、
この75年ものの戦後という時代は虚しくなってしまいます。

この「戦後」、そして「平和」に
終わりが来ることがないよう祈りながら、
当時の名残や命の煌めきを感じる証言に触れて、
暑い夏の日、平和と向き合ってみました。


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青い空さえ、悲しみの色


まず初めに童貞が訪れたのは、
長崎県は川棚町「片島魚雷発射試験場跡」。

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佐世保の海軍工廠で作られた魚雷の性能試験を行うために作られた施設だ。



冬には毎年「竹灯籠まつり」が開催。

「愛おしさ」「祈り」「願い」「幸せ」……

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それぞれの感情と
小さくて静かな炎を持ち寄って、
暑い日が繰り広げられた75年前の舞台を、
イルミネーションとは違った暖かい光が彩る。


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海辺に突き出すようにして、
潮風と時代の中を立ち続ける監視塔から、
染み込まれた歴史の香りを感じる。

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と同時に、この青々とした空と海から思い出すのは、被爆者合唱の一節だ。

〝青い空さえ、
 悲しみの色——〟


長い年月を経ての「戦後75年」だが、
消化しきれない悲しみを、
この青空から浮かべる人もいる。

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巨大防空壕の生活の名残


今年も長いサイレンが、
75年目の平和な8月15日を知らせた。

終戦を迎えるその日まで、
宮村国民学校の教師や生徒たちが掘り続けたのが
佐世保の巨大防空壕「無窮洞」だ。

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避難しても生活や授業がままなるようにと、
壕内には教壇やかまどといった、
当時の生活の名残が今なお残されている。

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ときには500〜600人が避難することもあったこの壕内は、酸欠を避けるためにと空気の流れを確保するなど、当時の工夫が施されているのがよく分かる。

暑い炎天下、少しずつ掘り続けた
当時僕らよりも歳の若かった先人たちの
努力の蓄積の結晶だと思うたび、
少しひんやりとした壕内に体温を感じる。

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戦時中まで平和な世の中を迎えるまでの時の移ろいの長さを物語るように、出入口には苔が生い茂っていた。


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特攻隊員の手紙を胸に刻んで



最後に童貞が足を運んだのは、
佐世保要塞・丸出山堡塁観測所跡」。

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軍港として栄えた佐世保の安全確保のために設けられた佐世保要塞。

港を囲むようにして造られた陸軍の砲台群だ。


装甲付きの観測所が今も残るのは珍しく
ここと和歌山の由良要塞・友ヶ島のみ。


観測所の装甲をフレームに、雄大な九十九島の風色を眺めながら、先人たちの証言をいかにして未来へと届けるか考える。

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先述したように、今を生きる僕らは、
戦争体験者の方々の証言を生で聞くことのできる
最後の世代だろう。

時代というものを地層にたとえたとき、
「過去」という堆積物のうえに「現在」が宿り、
「将来」を受け入れる容器となる。

しかし、ややもすれば地層の出来立て部分は
ヒビが入りやすく、崩れやすい。

過去を未来へと受け継ぐ世代として、
イデオロギーや勢い任せの感情論ばかりで
証言を加工してしまっていては、
色のついた歴史として出来上がってしまう。

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かつて、靖国神社は遊就館で、
戦時中の手紙の一つひとつを、
ゆっくりと読んだときのお話。


特攻隊員の古川正宗が
母に宛てた手紙の一節は、
当時の日本社会を克明に表していた。


「私も神と呼ばれる日がくるのなら、
 お母さんは神の親となるのです」


「戦争反対」や「戦況悪化」などという言葉を吐くことは許されないどころか、日本人一人ひとりが戦争に勝つことを盲信し、あの戦火を正義とした教育で育てられてきた時代。

彼は、24歳でこの世を去る。


僕らとそう変わらない年齢で、その一生を遂げたことを知ると、普段「何気無い」で運転してしまっている毎日を、恥じずにはいられなくなる。

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精神的に研ぎ澄まされた人間がしたためる言葉は、そのまま命の煌きが凝縮されている。



「妻と呼ぶ 月日は遂になけれども
 君がいのちぞ 我につながる」


大森富士夫が自身の婚約者に宛てた遺書。


命の尊さは、
御国のために捨てることにあった時代。

ただ、表層的にそうした暗い時代であっても、
こうして当時を生きて、華々しく散っていった人間の言葉を探ってみると、この時代の手紙たちにも、忘れずに人間愛が眠っていることに気づく。


戦時中、それぞれが思案した結果、
ギリギリの表現で、編み出した愛情表現だ。

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幸福であれ、真に他人を愛し得た人間ほど幸福なものはない


「幸福であれ、
 真に他人を愛し得た人間ほど
 幸福なものはない」



僕らはどれだけ歴史と、平和と、戦後と、先人たちの記憶と向き合っているのだろうか。

23歳でこの世を去った穴澤利夫大尉の手紙の一節が虚しく響く時代にしてはならないと、今年の熱い夏も胸に深く刻み込む。


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花火が夜空に色とりどりに咲き誇るのも、
夏を感じるあの積乱雲が寝転がるのも、
素敵な虹が架かるキャンバスも、
あの日のキノコ雲の惨劇も、
優しい雨が音とともに降りゆくのも、
月が形を変えたり、星が鏤められたりするのも、
同じ空なんだ。

と思い、数年前の夏の空を引っ張り出す。

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少しでも、涼しくも潤いもある、
過ごしやすい夏でありますように。








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