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◤閑話◢不健全な言葉の戦争を眺めながら、コロナ禍に伝えたいこと


新型コロナウイルスの感染拡大に伴って
列島に発令されていた緊急事態宣言が一部解除となりました。

この間、現場現場で懸命な活動にあたる医療従事者をはじめ、福祉関係者、行政の最先端で市民との窓口として働く方々、輸送関係者……、コロナ禍を乗り越えようと脇目も振らずに汗水流されるすべての皆様に、改めて敬意を表するばかりです。

この有事下において、
大変でない業種・職種なんてありません。

まるっきし専門外の感染症や危機管理について賢しらに語ることはできませんが。
この数ヶ月でほんの少しばかし覚えた、不確実性の連続に晒された現代における心模様について、情報との向き合い方について、綴っていければと思います。


蔓延するヘイト

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う鬱屈した空気の広がりを目の前にして、心救われる時間がある。

毎週日曜日の昼下がり、
TOKYO FMをキーステーションに放送されている山下達郎さんの「サンデー・ソングブック」だ。

小学生の頃から、達郎さんの音楽/言葉をバイブルに生きてきた人間として、近年のいわゆる「シティポップ」の流行は、勝手ながら誉れ高いものがある。

ここ最近は、自分と同じ20代の達郎ファンと会うことも多くなり、改めて音楽というものが一つの世代の専有物ではないことを知る、そんな幸せな瞬間を贅沢にも味わっている。


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緊急事態宣言が解除となった多くの地域では、いわゆるアベノマスクが届く前に、コンビニやスーパーで次第に定価でマスクが陳列するようになり、人々も「日常」へ戻りたがろうと浮き立っている。


他方で、ウイルスの感染拡大とともに全国規模で汚く蔓延が続くのが、罵詈雑言やデマの類いだ。


この数か月、「若者が――」「高齢者が――」「都会が――」みたいな言説を見るたび、世代間対立や人種や特定の国への罵り、都市と地方生活者の互いへの責任のなすりつけ……。

そんな不健康な言葉の戦争に煽られて、
モヤモヤと膨らんでいく綺麗でない感情論で亀裂が広がっていく、そんな世の中が淋しい。


感染者が出るたびに
飛散していく憂さ晴らしのためだけのヘイト。

自分の都合が悪くなるたび、
外的要因や仮想敵を作って、
文脈も読まずに乱暴な言葉で心の健康を蹂躙。


未知なる感染症という不可抗力を前に、
とにかく糾弾する相手が欲しいだけの貧しい心が、社会全体で彷徨う現実がしんどい。

いっときの汚い満足感を得るためだけに
ぶちまけられる正義ハラスメントや言われなきヘイト。

そうしたウイルスよりもギスギスとした鬱屈した空気が蔓延する現代社会の通弊に疲れる数か月だった。

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もちろん、自粛を心掛けた人間にとって、自粛もせずにのうのうと不要不急の外出を繰り返し、しまいにはウイルスを巻き散らしてしまった人がいる事実に対して、人々が怒りや失望を覚えるのは当然だろう。

その証拠に、一部では中世の火炙りの刑の如く、汚い言葉で論って〝私刑〟で盛り上がる陰湿なネット社会が広がっている。

そんなときにすがるようにしてつけたのが、
達郎さんの「サンソン」だった。

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達郎さんの言葉

4月12日放送分の達郎さんのメッセージを紹介したい。

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普通に社会生活を送ってる人にとって、
家に篭って外へ出るなという。

また中小の経営者にとって
店舗の営業を自粛せよという、
今の状況に対して不安のない人なんて
一人もおりません。

怒りのない方だって
一人もおられないと思います。


みんなジリジリした気持ちです。
それを口にしたい衝動をみんな抱えています。

政治の不甲斐なさ不明確さ、
いつもの如く官僚の責任意識の曖昧さ、
行政の拙速さ、企業の保身、
メディアの的外れ……エトセトラエトセトラ。

私のような年齢になりますと、
いったい裏で何が蠢いているのかと
いろいろと想像が膨らんでしまいます。

こういう現状の中で生まれる
数々の不条理への戸惑いとか
鬱憤、苛立ちを抑えきれずに、
ある人はそれをネットに噴出させ、
ある人はメディアを使って打ちまけています。

気持ちは痛いほど分かります。

私だって思い切り怒鳴りまくりたい衝動があります。

でも、そんなことをしても、
ウイルスがなくなるわけではありません。

毎日メディアに登場する
細部を突いては批判と罵倒に明け暮れている、
そういうものが人々の不安をどれだけ煽っているか。


なぜ、もっと寛容な建設的な言動・行動が取れないのか不思議でなりません。
私は政治的な言説にあまり深く立ち入らないよう努めているのですんけれども、いま一番必要なのは政治的利害を乗り越えた団結ではないかと思います。

いま、政治的対立を一時休戦して、
いかにこのウイルスと戦うかを
この国のみんなで、
また世界中のみんなで
助け合って考えなければならないときです。

なんでも反対、なんでも批判の
政治プロパガンダはお休みにしませんか。

責任追及とか糾弾は、
このウイルスが収束してからでも、
いくらでもすればいいと思います。

再三再四申し上げているように、
こういうときは冷静さと寛容さが何よりも大事です。

静かに落ち着いて、物事を語りましょう。


正確な判断は冷静さからしか生まれません。

過酷な現場で働く医療スタッフは、
それぞれの思いを持ちつつも
黙々と戦っていらっしゃいます。

スタンドプレーのメディアピープルではなく、
そういう医療従事者の皆さん、
見えないところで人知れず働く方々に
思いを馳せましょう。

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僕が救われたメッセージだ。

無論、この達郎さんの言葉も都合良く切り取られ、賛否両論の中で様々な加工をされて扱われていった事実がある。

イデオロギーに沈殿して、都合良くしか文脈を解釈できなくなってしまうのは、識字率100%に近い我が国の現代病なのかもしれない。

💐


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自分の考えはあるか


先に述べたような、現場で汗水流して懸命に自分の時間を削り続ける医療従事者や行政の最前線で働く人々への感謝や称揚が、そうしたヘイトにかき消されていく現実を見るたび、僕にとって達郎さんの言葉は一服の清涼剤として働く。

メディアとの距離、リテラシーの育成、
情報の閉じ方や咀嚼方法、
一次情報と二次・三次情報との見極め、
情報を覆う感情と理性の整理、
情報や意見の「主語」に振り回されていないか、
自分の考えは誰かのカーボンコピー止まりでないか……。

改めて自分の言動が誰かの人生を崩してしまう可能性があると再認識しながら、皆で辛抱するしかないと心を落ち着かせるばかりだ。


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今年初め、僕らは対岸の火事でしかない「他人事」という認識だった。


あれから数ヶ月。

日本を代表するコメディアン、
誰からも愛されたはなまる太陽のよう「ママ」、
冷静な眼差しで国際政治を語った評論家も
既にこの世の人ではない。


外出の自粛、マスクの品薄、
相次ぐイベントの中止・延期、
レジに設置された間仕切り、
「ソーシャルディスタンス」に
「新しい生活様式」といった新語の台頭……

生活が一変した今、
多くの人がこの有事を「我が事」だと慄いている。


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と同時に、世界での感染が広がるたびに、
改めてこの世界は繋がっていることを知る皮肉は、忘れかけていたグローバリズムとナショナリズムとの概念で揺れる世界の課題を浮き彫りにしているのがもしれない。

他方で、現代の最先端の医療や情報網が仕上がっている今だからこそ、感染者数の広がりは抑えられているのかもしれない。


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次第に「他人事」と切り替えて、
緩みつつあるように思ってしまう今現在。

一日でも早く日常に戻りたいのが本音ではあるが、だからこそ、今はまだ日常が当たり前に戻ってくるのが怖くもある。


明日の暮らしも見通せない金銭的貧困、
関係性の貧困、情報の貧困に苦しんでいる方がたくさんいる。

キレイゴトでは、
生活/日常/暮らしは生きていけない。

でも、罵り合いは答えじゃないということを、僕は達郎さんの言葉から学んだつもりだ。

とはいえ、宗教のように達郎さんの存在を押し付けるつもりは毛頭ない。


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こんなときだからこそ、自分の機嫌は自分で取ろうね、自分の身体は自分で守ろうねと思いながら、「かくも不安な時代に、心を少しでも前向きに」と作られた達郎さんの『ミューズ』を耳に注入する。


これからも、僕らの〝静かな叫び〟を拾い続けて、歌にして出力してくださる達郎さんは、僕のかけがえのないアイドルだ。

ポストコロナのこれから。何を学び、何を身につけ、何をこなしていきながら、僕らの未来を描いていくのか。

「新しい生活様式」という言葉があるように、非日常が日常へと変わっていく今の心模様を、しっかりと冷静に記録していきたい。

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