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【創業 天保十年】京の歴史と共に歩んできた料理旅宿「井筒安(いづやす)」のおせちを食べて思うこと

おせちを受け取りにいくのが、今回の京都に来た目的であると、前の記事で書きました。

前の記事≫京都の老舗料理旅宿「井筒安」のおせち

味と感想について素直にそのまま書こうかなと思っていたら、facebookのタイムラインにこんなTwitterまとめが目に飛び込んできました。

おせちも年賀状も本来は『楽をするためのもの』だったが今は苦行と化しているのは現代日本を象徴している件について

簡単に内容を説明すると

年賀状もわざわざ挨拶を行かないようにするためにはがきにしたのに、年始すぐに合う人にまで書いていて「手段の目的化」している、という指摘がされていました。

LINEやメールで済ますことのできる年賀状の意味については、そう思うところは多いけれど、**おせちもそうなの? **と疑問に思ったので、少し調べてみた。

おせち料理っていつからあるの?

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いろいろとググッてみると、おせちは決して「年始くらいは台所仕事を休む」ためだけに生み出されたものではないことがすぐわかります。

もともとは稲作が始まった弥生時代からという説もあるくらい。

ちなみにWikipediaでは、

御節料理(おせちりょうり)は、節会や節句に作られる料理。節日のうち最も重要なのが正月であることから、正月料理(しょうがつりょうり)を指すようになった。

漢字で「御節」と書くと、季節の分かれ目である"節句"と関係していることがよくわかります。

元々は五節句の祝儀料理全てを言ったが、後に最も重要とされる人日の節句の正月料理を指すようになった。

この人日の節句で食べられていた正月の料理が、「おせち」として正月三が日もしくは七日にかけての松の内の期間において食べるものにだんだん意味が移っていったということになります。

「井筒安」のおせちはここがスゴイ

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さて、井筒安さんのおせちの味についてです。

写真は1人前ですが、入っているのはこの24種類!

お料理の意味について、ここでは割愛させていただきます。(知りたい方はこちらをどうぞ)

では、井筒安のおせちの何がスゴイか?

それは「仕切りがない」ということです。

つまり仕切りがあるというのは、味が移らないようにするため。仕切りがないというのは一つ一つの食材に味がしっかりとついているから。

つまりひとつひとつ、そう、24種類すべて、それぞれ別々に味付け調理をしているということ。

しかも受け取りにくる日の前日に盛り付けるというから、その食材の管理やローテーションたるや半端ない、ということになります。

こんな手間暇かかるものを1人前からいただけるなんて、ほんと井筒安さん、ありがとうございます。

「井筒安」では、二十四節気をもとにした懐石コース料理が食べられます。

二十四節気とは、春夏秋冬を巡る一年をさらに細かく分けた暦です。井筒安ではこの自然本来のリズムに沿って、その時季その日に美味しい素材を厳選。それら旬の素材とそれらの持ち味を相談しながら、その日その日で献立が変わります。

自然のリズムを食事で味わう。

24もの細かな季節があることに驚きつつも(実際はさらに3つに割った七十二侯という季節の区分もあります)、こうして健やかに食べられる体でいたいなと、おせちを食べながら思いました。

こちらの記事もどうぞ>>

「料理旅宿 井筒安(いづやす)」と「細見美術館」で見る、若冲の白梅と花鳥図
https://note.com/arai0903/n/n53994c0b2ca8

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