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能登半島地震・奥能登豪雨犠牲者追悼式(2025年1月1日)を観ながら

2025年になりました。
ちょうど1年前、2024年元旦に起きた「令和6年(2024年)能登半島地震」、そして2024年9月に発生した「令和6年(2024年)奥能登豪雨」の追悼式を、新宿駅構内にあるカフェで観ながら、このnoteを書いてます。

ちょうど発生した時間に私は、埼玉県所沢市にある角川武蔵野ミュージアムにいました。YOASOBIが2020年の紅白歌合戦で歌唱した「夜に駆ける」の会場である「本棚劇場」を見学していました。

(角川武蔵野ミュージアムに館長であり、編集工学を提唱した松岡正剛も2024年8月没)

私の母は能登空港(のと里山空港)から車で30分のところにある石川県能登町(旧柳田村)の出身。小学生の頃はよく遊びに行った場所です。

もちろんその当時は空港なんてなかったから、ちょっとした冒険のような帰省。父の実家は東京の練馬だったので、小さい頃の私にとってふるさととは能登半島の柳田村だった。

そんな柳田村の近くにあるのとっこの乾燥しいたけを、J-Waveのインスパイアトーキョーのイベントで買いました。

能登半島地震について1年後の1月1日の元旦に書くのにふさわしいかはわからないけれど、いままでのnoteに書いてある1月1日の投稿を見直してみると、まあ悪くはないかなと。

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