安倍氏襲撃事件でまず思ったこと
私は、篤い安倍晋三ファンではありませんでした。しかし、歴代の日本の首相型に比べ、国際的な問題、他国との関わりに深く重きを置き、国防と20年以上もダラダラな経済を立て直しに着手した政治家だったということは理解しています。
肌身に感じないと国民は不満を言いますが、日本より国土や人口が多いのに、発展がいまいち、人々が明らかに貧乏を何十年も背負っている国は山ほどある中で、日本は国民の学力、能力の高さと忍耐優れる底力の貯金を持って私たちは生きながらえてきたと実感します。
私たちは自分達の祖父母、父母が培ってきたその貯金を食い潰そうとしています。その結果が、政治に不平不満をぶつけることとなっているわけです。
政治、政治家なんて、私たちが子供の頃から今よりもっともっとドロドロした裏側があったわけで、それが当たり前の世の中だったのです。それでも社会が発展を続けていたのは、正義を見続ける政治家の存在と不便から進展を築くために真摯に働く国民がいたからです。
歴代一長い政権運営を果たした安倍元首相が一番優れていたとは私も言いません。功罪、という言葉があるように、彼もいろんな取引や試みの上で失敗と言っても良いことをしでかしたのは事実です。
ただ、行動の上では、人の嫌われ役をすんなり引き受けた、逃げ隠れもしない首相だったな、とは思います。前政権の負の遺産である増税の実施や、北朝鮮拉致事件、モリカケの件、病気の悪化で首相を退く、とか、もう日本人が大嫌いな要素を丸抱えししかし冷静に自分の言葉で答弁を続けていたのは、国会中継にはっきり映し出されています。
彼を糾弾、批判する人がいますが、国会中継見てないな、って思いますw。
さて、私が個人的に安倍氏が亡くなったという報道から真っ先に感じたのは、
伴侶の死にどう立ち向かうべきか
ということでした。
私は一生子供を持たない、結婚もせず一人で死ぬ、ということを30代で決めました。孤独は嫌いじゃなかったし、一人でいることは苦ではありませんでした。ですので、一人でいることにはなんら問題もありませんでした。
現在結婚して相棒と暮らすことは、私の人生を変えました。しかし、これまでどちらかが先に死んで、、、などと考えたことがありませんでした。ずっといっしょ、と自動的に感じてました。
ところが、安倍昭恵夫人が病院で臨終に立ち会ったという報道に寄せて、私の心にざわざわっと感じる何かがありました。
二人から一人になること。。。
そんなことを考えると、自然に病気で亡くなる、ベッドの脇で臨終を見届けられることは、これから家に帰っても一人になるパートナーにとってわずかながらにも安堵につながるか。。。
昭恵夫人が到着するまで、安倍氏の生命を止めないよう輸血を続けたそうです。
ポンプの役目を果たさない体に輸血を続けると、少しづつあちこちから血液が漏れ出すようになります。
そんな不自然な方法で生命を維持している安倍氏が昭恵夫人の手を握り返してくれたと夫人は感じたそうで、それを聞いて他人ながらなんかホッとしました。
私はこの一つに関しても、世間で山上容疑者を礼賛する存在の無秩序を疑います。
誰一人として、人間として生まれてきたならば、人間の命は奪ってはいけないのです。そして、誰かにとっては大切な人を奪った存在はきちんと罪を償う責任があります。罪を礼賛することは許されないのです。
こんなことを言うと、じゃあ死刑はどうなんだよ?という人が出てきます。
それについては次回お話しします。
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