【Hopeの空箱を並べていた】
思案してもしなくても、一日はやがて、終わる。あんまり暑くてぼうっとしてしまったのもあるが、そんなに考えないで、なんやかや、言葉にしたっていいような気がした。
※気がしただけだから後で消すかも知れない。でも自分は常に掃除が億劫な人間であるので、ただ、放っておくのかも知れない。
もうひとつにはまた、気持ちよく本が読めると思ったからだった。気持ちよさというのは恍惚とした…というような快感ではないけれど、水を飲んでああ美味しいな、ひんやりしたな というくらいの気持ちよさだろうか。いや、それこそ読む本によるんだろうが、内容が自然に入ってくるばかりではなく、その文章を信頼しながら、かつ、好意的に書き手の想いを受け止められさえする。ということは、浅くもない理解が成り立っているような、だなんて?こちらの誤解もあるかも知れないが、それはいつだってあり得る。何より、これなら重荷に感じることなく、様々な本が読めそうだと思った。
…シナケレバ、という義理のような圧迫感とは無縁のこの気分は希望と呼んでもいいのかもしれない。
繋がりが悪いかとおもうが、もし多くの本を自然に気持ちよく読めて、苦にならず、それでいてさらに先へ歩けそうな気がしたんだったら、自分で言葉を出すことも別にそんなに嫌なことばかりじゃない。
ということは長らくすっかり嫌になっていた、ということで、気楽さなんかも見事に消えていた。じゃあいま気楽なのかというと…何なのだろう。ボーっと決めつけずマインドフルネス…というより単に暑いだけなのだろうか。いや、希望の話だった。もちろん過去にだって希望はいっぱいあったというのに、それ以上に重たい、要素というんだか装飾というんだかに意識を向け過ぎていた。あれやこれやに欠けていると思うようになった。そうなると全部がだめな気分になったし、しじゅう混乱しているか落ち着かない。
いや、そうじゃなかった。希望は、一つあるだけでよかった。いくつもあってもいいが、一度にひとつを見る。一つだけ見る方が分かりやすいから、安心もする。そのひとつについて集中することで広がっていくので、あれもこれもと決まらないまま抱え込んでいても、私自身は嫌になるばかりだった。
写真を撮る時も同じなんだが、ようは狙いが絞られていないとポイントのない画になる。でも、狙いが多過ぎて失敗することがよくあった。実現したい絵があったのだが到底そうならないということがよくあった。諦めて捨てる方がうまくいく基本、がある。わかっているんだけど、どっちを取るか決められなくて、決められないのであれば、写真じゃないかもということまで、考えないといけなかった。ちょっとそれた話だけど。
その時々で。希望だけ見たっていいし、自分は、なにを見るか見たいか。いまなにが見たいのかな。
[追記]
簡単にメモしておきたい
以上のように書いたけれども 本について書いていくその「つもり」に邪魔が入った
それはこの頃自分の見た夢のこともそうだし 書こうとする本自体について実のところ書きたくないと思った
夢なんてあてにならないと言えばそうかもしれない だけど時々印象深い夢はあり そういう夢は思いがけず直感を映し出す つまり変化した自分が見えるようになった情報もあるが、変わらない自分の感じ方もある
その自分の感じ方と離れてしまったらだめだよ
だからしばらくはただ 読むだけ読んでいこう そのうち 書いてみようとか書きたいとか思う本もあるのだろうと思う
たかが本の感想ではないか と言えばそうだけど
自分の中にごっちゃりとなにか日々考えたことと見聞きした事とが乱雑にうねってある それはできる時になにかしらで出してしまうことだ ずっと私の中にいても私の健康に良くもない 人は一般的に何事か心に抱え込んでいると太ると思う
それは流れが悪くなっているということだ 流れをよくすることが一番大事である 様々理屈ではなくそうだ
凝り固まらないということだ
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