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忘れっぽい私のための(適当な)短い読書 38

そして到達不可能なものだけが小説における現実の意義であり、そのアクテュアリティーの本質であり、又同時に、その古典性の保証であるのかもしれない。
 現代の謎から身をそむけるにせよ、それを全面的に受け入れるにせよ、返って作品の鞏固な存在条件をなすのである。
 今私はそれが同時に、古典性の保証であると云ったが、「ドン・キホーテ」以来、小説というジャンルの主題はおそらく一定不変であって、小説の永遠性とは、いつにかわらぬ小説家の永遠のなげきぶしにひそんでいるのかもしれない。何故なら小説家は、さまざまな仕方で現実に接触するが、「書く」という行為が介在する以上、小説家は永遠に現実そのものに化身することはできないからである。本当に「書く」という行為を、生き愛することと同じ意味にまで引っ張って行ったスタンダールやバルザックが、あいもかわらずわれわれの師表たる所以である。

「現代小説は古典たり得るか」 三島由紀夫

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