世の中にあるものって誰かのうんち
僕の好きな、坂口恭平と横尾忠則が言ってた話です。表現行為って排泄行為と同じなんだということ。
要するにうんちって事。
そしてそれを拡大解釈して、世の中にあるもの全て誰かのうんちと考えるといろんなことへのハードルが下がって、自分のやりたいことがたくさん出てくる気がした。
ちょっと前までうつ状態どん底で思考力ゼロ、行動力ゼロだったせいもあるから強く感じるだけなのかもしれないけど。
自分の言いたいこと、思っていること、表現したいということが有る状態と言うのは当たり前ではない。
普通に生きていれば、
言葉でも、行動でも、表現行為に対して、思っていてもできない。恥ずかしくてできない。これやってどうするんだとか。自分のやることじゃないとか。色々考えてしまってできないとか。
そう思うのは、当たり前だし仕方ないことだと思います。
大人になってゆく間に、そんな事を繰り返していくうちに、結果として何も出さないまま考えるばかりで、頭の中に蓄積し便秘状態になり、やっと何かやりたいと思ったときに、自分がやりたいこと自体わからなくなったり。
そういうときは、自分のうんちを思い出す。
誰もいちいち自分のうんちに対して評価なんかしないと思いますし出しているとすら思ってない。それと同じことをしていると思えれば何でもできる気がします。
この文章も途中から禅問答のように感じてきて、だから何なんだとつっこみたくなったんですが、うんちですので出しときます。
まあ言いたいのは、表現行為のハードルを下げて、どんどん出していうこという自分への言葉です。