創作意欲note memo-01 自然を表現したい
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創作意欲が湧いたときにここで考えながら文章化、言語化しておこうと思います。
何でわざわざnoteに書くかといえば、人に分かるようにしなければならなくなるので、ちゃんと考えることができると思ったからです。
そうすると、自分の中で思いついた概念やキーワードの矛盾点などが見えてくるし、記録としても残しやすい。
でも文章として整えすぎると嘘つきはじめるし、カッコつけてしまいそうなので、考えている脳みその中をできるだけそのまま書いてみたいと思った。
一人ブレインストーミング。
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自然を表現したいという欲求
自然物と人工物ってやっぱり違う。人工物は見ていてどうしても疲れるときがある。人の意思を感じるからキツイ時がある。
そもそも感じる情報量が違う、自然物ってそもそも存在自体に疑問が浮かんでこない。理屈抜きに存在してるんだからしょうがないと。多分脳みそが自動的に納得してしまうんだと思う。
理屈を超えているから、それが美しいという感情を抱かせてくれていると信じている。
僕はどうにかして自然物を表現したいんだと思う。不可能なんだけれど。
でも取り入れることはできるかも知れないと思った。
人間も自然の一部であると考えるとなんか見えてくるかも?
シュルレアリストがやったオートマティスムもそんなことかもしれない。人間の深層心理、純粋な思い、野生的勘は自然の一部では?
自然に仕上げを任せるのはどうだろうか?
経年劣化、風化、浸食とか、、、
自然に模様を作ってもらうのはどうだろうか?
風が作る砂漠の模様、焼き物の釉薬なんかもそうか、科学反応もそうなのか?
そうなってくると自然が作用する割合も大事だな、どこまで人工を入れてどこから自然にお任せするのか。
そもそも、どこからが自然でどこからが人工なのかその辺の線引きも必要になってくるかも知れない。
この見方を意識して物を見てみようかと思います。そして気づいたことがあれば、書いていこうと思います。