違和感という言葉から感じること

こんにちは、はじめまして。
まんじゅうとの交換日記の相手をしようと思っています釈迦です。フリーターで、フリーの釈迦をやってます。

いきなりですが、自分の個人的な悩みをさらけ出そうと思います。
結構長い間、定期的にうつ状態になるので、悩んでます。
性格なので付き合ってゆくしかないと半分はあきらめてますが・・・

うつ状態って自分がなんもできなくなるので、世の中の「違和感」しか見えてこない感じになります。そして極限まで自分のことを卑下した状態になります、多分。

それはつまり超客観状態で、自分の主観がまったくなくなってしまった状態なのではないかと最近気がつきました。
健康的な状態は、自分の主観的な考えや気持ちがしっかり在る状態なのですが、うつ状態は、自分を客観的に見すぎ超自意識過剰な状態になります。

そうなると、頭の中が自分を批判する声でいっぱいになって何もできなくなり結果として自分自体が違和感の塊と化します。

で結局、何が言いたいかというと。

うつ状態の思考回路では違和感は、ただ不快で、見たくも感じたくもないものになっています。このような「違和感」だと、悪いイメージをはらんだ状態のまま終わってしまいます。

でも、それは見方によるんですよね。いいようにとらえればヒントになる。

違和感は疑問が生まれる前の生理現象で、感情が変な感じを察知している段階なんだと思います。よく先生や親から言われる「余計なこと考えなくていいの」は違和感を遮断させ、疑問を持たせなくする言葉だと思います。

世の中でうまくやって行くためのスキルですが、下手すると感性というアンテナをもぎ取られているのかもしれないですね。

違和感を感じるまではいいが、それを悪くとらえてしまう。それを悪いイメージでアウトプットする人もいる。それでは面白くない。

だから「いい違和感」にフォーカスしてゆきたい。
そして違和感をいいものにアウトプットしたいと思いました。

まんじゅうが書いていたように、
たとえば千利休やマルセルデュシャン。
千利休やマルセル・デュシャンの物事の本質を問うような逆転思考で、結果として人々に「美しい」という感情を抱かせるアウトプットをしている。
このような「いい違和感」を書いてゆけたら面白いんではないか思ってます。

そもそも文章を書くということ自体、避けて生きてきた人間なので、ここをトレーニングの場として始めている感じです。
読みづらいこともあると思いますが、その辺は多めに見といてください。
ということで、まんじゅうよろしく。

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