猫と違和感
僕は、小さな山の間にある谷戸と呼ばれる地形に囲まれた集落みたいな場所に住んでいます。
その谷間に車も通れないほどの狭い坂道が一本続いていて、その両わきに民家が並んでいるような場所です。
そこに野良猫なんだか飼い猫なんだか、よく分からない猫たちが、自由に行きかっています。
そんな場所ゆえ、猫たちと道すがら顔見知りになります。
あの白黒は、ここから先には行かないんだ、とか。
あの三毛は、いつもこの塀の上から道を監視してるな、とか。
あのもこもこは、飼い猫だけどあの野良と仲良くしてるな、とか。
あの二匹はいつもセットで見かけるな、とか。
そんな猫同士の関係性を見ているとゆるい社会というものが垣間見える時があります。
こう書いていると、なんだか平和な感じがしますが。
細い坂道のそこかしこで「シャーッ」と威嚇しあう声、「ヴォウゥゥー」と睨みあう声、最終的に取っ組み合いをする「ニャギャーョブグュボフ」とか、なかなか物騒な声が聞こえてくるようなときもあります。
僕がそんな社会で暮らしていたらと想像すると、猫も大変だなぁと思ってしまいます。
でも人間だってそんな物騒さをうまく隠しながら暮らしているだけで、本来そんなに変わらないじゃんと思ったのです。
嫌いな人とであった時に、彼らみたく「シャーッ」とか、「ヴォウゥゥー」とか声に出したい気持ちは分からなくはない。むしろ出せたらいいよなぁとか思ってしまう。
何ならそんな場面、世の中にいっぱいあるし。
酔っ払いの喧嘩、あおり運転、、、とかって猫の世界のそれと同じじゃん。
当たり前なことだけど、人間は猫みたいな野生の部分も持っていて、むしろそれが感動だったり、生きがいだったりを与えてくれる源なんだよなと、しみじみ考えてしまった。
そして僕が、「違和感」を感じる瞬間は、ここにあるんだと妙に納得してしまった。
それは、僕の中にある「野生の部分」と「社会性の部分」の間で生じる「矛盾」が違和感を察知してしまう原因のひとつだと。
野生の部分 → 根源的感情
社会性の部分 → 人間的感情
と言い換えることもできるかも知れない。
この二つはうまくかみ合わない、かみ合うわけないんだな。
なんだかその「矛盾」という概念で「違和感」を見ていくのも面白いかも知れないと思った。
そして、そんな事考えてたら、ますます社会不適合が酷くなりそうで怖くなっている。
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