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自己紹介:アラビアラボの中の人はどんな人?


きっかけ

2025年年始にこんなハッシュタグが話題になった。

大学院生は孤独になりやすく、上下左右との繋がりに飢えている。私もハッシュタグに便乗しツイートしたところ、フォロワーが50人ほど増えた。このハッシュタグのおかげで、新年から分野を超えて様々な院生と繋がれたのはとてもうれしい。改めて良いネットの使い方だなと思う。

せっかくなので、私が研究分野も含めてツイートしたのがこちら。

改めて見ると、あまりピンとこないワードが並んでいる。中東も医学史も日本ではメジャーな分野ではないし、DHは一般には野球のワードだろうし、翻訳者推定は分かるような分からないような。

流石に不親切だ。フォローしてくれた人には、せっかくなので自分の研究を知ってほしいし、相手のことも詳しく知りたい。その口火を切ろうというのがこの記事のきっかけだ。

そういうわけで、改めて自己紹介をしてみようと思う。今更感もあるが、「なんだ、このラクダのアカウントは」と思った人にはぜひ覗いていってほしい。

どういう経歴?

私は東京の大学で博士課程に在籍する大学院生だ。簡単な経歴としては、大阪で学部を卒業した後、東京で修士課程を修了した。その後、2年間会社勤めをして、再び大学院に戻った。なお、学部入学前には浪人、在学中には留学もしている。そのため、周囲よりやや年齢が高い。

このような経歴の人は実は一定数はいるのだが、それでもかなり少ない。そう滅多にいないので、経歴を話すときに少々面倒で、自己紹介が長くなりがちだ。時と場合によって、一部(主に企業時代)を省略する。

研究に関しては、学部時代はアラビア語を専攻していた(これだけでほぼ特定できる)。学部2年の時に今の研究分野に出会って以来、基本的には分野を変えずに研究を続けている。現在はアラビア語の医学書を読みながら、中世の医学知識がどのように伝播したかを明らかにしようとしている。研究の話は少し後でまた話そう。

何と呼べばいい?

私を知るきっかけとしては、Twitter(現X)が多い。そこでは「アラビアラボ」というハンドルネームを使っている。当然、本名ではない。Twitter上で絡む場合は、「アラビアラボさん」と呼ばれる。

また時折、「伊本西那(いもとせな)」を名乗ることがある。これは学術バーQという場所でイベンターをする時の名前だ。調べれば分かるので言ってしまうと、これは中世イスラーム医学の大家、イブン・スィーナーの中国語表記だ。研究分野に関わる、かつ日本人の名前っぽく、男か女かも微妙に判断しにくい名前なので、気に入って使っている。

つまり、どこで私を知ったかで、「アラビアラボ」か「伊本西那」で呼び方が分かれる。どちらも自分の名前には変わらないが、ハンドルネームを使うことに慣れていないので、画面の向こうではむずがゆい思いをしている。でも気にせず気軽に呼んでください。

ただ、あくまでこれは「ネットに迂闊に本名を出さない」という考えに基づいているので、直接知り合った人には本名で呼んでほしい。バーでも、知り合った人には本名で呼んでもらうようにしている。けれど、うっかりネットでも本名を呼びそうな人は、引き続きどちらかのハンドルネームを使ってください。

何の研究をしているの?

中東の医学史、専門的には中世イスラーム医学と呼ばれるものを研究している。その傍ら、デジタル人文学(DH)の研究にも取り組んでいる。

中世イスラーム医学史

専門を話す前に前提となる話をしておこう。現代の医学は、19世紀以降のヨーロッパで生まれた近代医学が発達した先に位置づけられる。一方、19世紀以前のヨーロッパ医学は、古代ギリシアで生まれたギリシア医学がその根底にあった。

様々な学問の基礎を築いた古代ギリシアでは、医学も非常に発達していた。ギリシア語圏では各地で「学派」とも言えるほどの集団が形成されていた。中でも、地中海に浮かぶコス島は、後代の医学に多大な影響を与えたヒポクラテスを輩出した。

ヒポクラテスが与えた影響というのが、彼の唱えた「四体液説」だ。人間が「血液」「粘液」「黄胆汁」「黒胆汁」という四つの体液から成り、そのバランスによって体調が左右され、何かのきっかけでどれかの体液が増減すると、それに伴って何かしらの不調が身体に生じるというものだ。

彼の理論は、ローマ時代の医師ガレノスに受け継がれた。彼はヒポクラテスの学説を信奉し、その理論を学びつつ、内容に関する注釈を数多く著した。ローマ皇帝の侍医を務めるほど著名な医師であったガレノスの理論は、生前から研究の対象となり、その死後も数多くの医師が彼の作品を基に人体を論じた。中でも、現在のエジプトにあるアレクサンドリアはその中心として機能し、ガレノス医学を教育するためのカリキュラムが成立するほどだった。

イスラーム成立以後

7世紀に入りしばらくすると、アラビア半島で新たな宗教が生まれた。それはイスラームと呼ばれ、半島内で急速に勢力を拡大したばかりか、100年以内に東は中央アジアから西はイベリア半島(現在のスペイン・ポルトガル)に及ぶ巨大な帝国を築いた。ムスリムたちは、当時の学問的中心にあった現在のシリアやイランを治めた。そこで主にキリスト教徒らが引き継いできた古代ギリシアの学問に関心を持った。

8世紀後半、それまでのウマイヤ朝に代わり、イスラーム世界を手中に収めたアッバース朝は、新都としてバグダードを建設し、新たな帝国秩序を築いた。王朝の有力な権力者たちは、ギリシア語(やシリア語)の文献に書かれた知識を得ようと、翻訳者たちに自分たちが操るアラビア語に翻訳させていった。そして、それらの作品には、ギリシア医学を支配したガレノスの作品が多分に含まれていた。こうして、イスラーム世界の医師たちはガレノスの医学理論を継承し、そこに注釈や新たな知見を加えていくことになる。

このようにした成立したのが中世イスラーム医学と呼ばれるものだ。上記の翻訳活動の後にも、医師たちは研究を続けており、10~11世紀に現在のイラン周辺で活躍したイブン・スィーナーという人物が著した『医学典範』が中世イスラーム医学の一つの集大成に位置づけられる。『医学典範』はその後、イスラーム世界で規範的な医学書として読まれ続けるだけでなく、ラテン語への翻訳を通じてヨーロッパでも大学のテキストとして用いられた。

本当はもっと書きたいが、あまりに長いので、いったんここで終わりにしたい。ここまでの話やこの先の話を詳しく知りたい方は、日本語なら伊東俊太郎『近代科学の源流』や『十二世紀ルネサンス』を読んでください。この二つの本で私は人生を狂わされました。

さて、肝心の私の研究はと言えば、不自然に太字になっている「ガレノス医学を教育するためのカリキュラム」が対象だ。具体的な作品名を言うと、それについて書いている人が日本には実質的に私しかおらず、これ以上言うと、匿名にしている意味がない(元々それほど隠し切れていないが)。

デジタル人文学(DH)

デジタル人文学は、以前の記事で少し触れているのと、語るには研究が十分にできていないので、ここでは省略させてほしい(もしかしたら今後加筆するかも)。

ただ、具体的な話がないのも変だから、ごく簡単に自分の取り組みを紹介しておく。

さきほど触れた「ガレノス医学を教育するためのカリキュラム」は、元々ギリシア語で書かれ、アッバース朝期の翻訳活動でアラビア語に翻訳されたと考えられている。しかし、原典のギリシア語版は現在では失われていて、アラビア語を含むいくつかの言語での翻訳でしか参照できない。問題になるのは、アラビア語の翻訳は、とある著名な翻訳者が行ったと伝えられているが、歴史学的な観点から本当かどうかが疑わしい。

そこで、私が取り組んでいるのが、当時の翻訳者が訳した文章をAIに学習させ、ある文章を誰が翻訳したのかを判断させようというものだ。すでに実験的にいくつかの判断モデルは作成していて、ある程度はうまくいっている。今後まとまった成果として発表する予定なので、続報をお待ちください。

さいごに(本音)

最後になりますが、Twitterでフォローいただいている方々、ありがとうございます!

普段は中東や宗教などに関する情報を発信するようにしていますが、当方オタクのため、しばしばアニメ情報なども含まれます💦

ですが、上記のように実は真面目に研究に取り組んでいる大学院生ですので、今後ともどうぞよろしくお願いします!

東京にいる/いらっしゃる方はエンカも楽しみにしていますので、仲良くしていきましょう!!

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