友愛と、人を誘うことのはなし
友愛について最初に書こうと思ったのはいつだったか。
軽音の合宿の後からだったか。
もう1ヶ月経った頃なのでおぼろげにしか覚えてないけど、友達ってアツーって気持ちになってたんだろう。
きっと半年くらい大勢で集まることをせずに異国で暮らしてたこともあって、数日間を気の許せる仲間と過ごせたのがよほど響いたのかもしれない。
それにしてもこれは自慢になるんだけど、GMCという軽音サークル、大学から出会った間柄にも関わらず、居心地が良すぎる。
結構恵まれてると思う。留学までは参加も時々で、運良く友達がいっぱいいただけだった。
それでも、帰ってきてみれば、安心できる場所でいてくれていた。
それは飲みの場だけじゃなくて、こころの距離というか、他にはない温かさを感じる。
留学という別れの存在によって居ない時間を意識するからこそ、諸行無常的なカンジでより結束が強くなったりもしてるのかもしれない。
ちょっと惚気を挟んじゃったけど、本当に書きたいのはそこではなくて、
人を誘う、という行為について。
嵐くんは人を誘うことがほぼない。
誘う習慣も経験もなさすぎて(何故か予定が埋まっていくのはありがたい話ですが、)いざ誘おうと思った時に恥ずかしくなるというか、どう誘えばいいか分からない。
例えば、ジンギスカンが食べたくなった時に、だれか特定の人を誘うということができない。
こういう場合はインスタのサブ垢のストーリーで募るみたいな、最終的な誘いは相手からしてもらうものが多かったりする。
それこそ自分の身の回りの仲良い人はすぐ人を誘ったりしていて、自分にはそのアプローチはできないな、とよく思う。
なんで自分は誘うことに恥ずかしさを覚えるんだろうか。
考えてみれば、自分の中で「誘う」=「好意を示している」という印象が他の人よりも強い気がする。
好意を持ってる人はたくさんいる。
でも、相手に好意を示すことに恥ずかしさを感じてる、のかもしれない。
好きな女の子に、とかならまだ分かる。悪手だけど。
でも、基本どんな人においても恥ずかしい気がする。
逆に好意を示してもいいと思える人、というか既に好意が十分に伝わってる数少ない人は誘えるけど、誘うとしてもなかなか稀な出来事。
「断られたらどうしよう」っていう不安もあるかも。誘い慣れてないので、断られ慣れてもない。
そもそもLINEが下手というところもある。だっていきなりLINEするのってなんか嫌じゃん。
理由がないと電話しないのも、たぶんこれらと同じ理由。元々暇電とか好きな部類ではないけど。
ただ、なにか予定が立ってる状態で誘うことは全然できるし、グループの言い出しっぺになることも余裕でできる。
正確にいえば、「個人間の新しい予定を自分から作りにいくことができない」かな。
個人だと、行く場所とかご飯のような「目的」じゃなくて、その人のために時間を割く提案をしてるようにも捉えられる。
自分は場所とかご飯よりも誰と行くかに重きを置く人間だから、その相手への意識が余計強いのかもしれない。その割には不特定多数にジンギスカンの誘いをしてますが。
一方で自分に立ち返ってみれば、誰かから誘われた時はとてもうれしい。そんなの誘った方がいいじゃん。でも、誘えない。
こう振り返ってみると、自分って勇気ないなって思う。来るもの拒まずな性格だし。
ありがたいことに慕われているおかげで今までやっていけてるので、誘ってくれる周りに感謝です。また誘ってください。
今後は勇気出して誘うようにしてみようかな。
逆に「君が好きだからご飯いこう」って言えた方が楽なんだけどな。恋愛にしても友愛にしても。
それはそれで厄介か。
よければハート、お願いします。かりそめの愛でも問題ないです。