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好きなものについては自分がわかっていればいいのです

他人の趣味や好きなこと、推し活等々について意地悪く尋ねる人、というのが昔から一定数いらっしゃるような気がします。学生の頃がピークだったように思いますが、大人になってからも時折お会いする。
もちろん本当に興味をもって聞いていただくのでしたらまったく構いません。こちらだってその魅力についてお伝えしたいし、説明を聞いて気に入ってもらえたらすごく嬉しい。もし一緒に語り合える仲にまでなれたら、なかなか無いだけにとてもラッキーなことです。ですからそうした場合は頑張ってアピールしちゃいます。

しかし、世の中にはどうしてだか、他人の気分を害したいがために「それのどこが良いの?」と尋ねる人がいるのですね。
で、そういう方は理解することが目的ではないので、へ〜全然わからないわと嘲笑ってみたり、そんなものより○○のほうが良い!とばっさり切り捨てたりします。さらに押しの強い人だと、そんなくだらないものに時間やお金を使って!とお説教が始まっちゃったりもします。なんだかな。

これが仕事絡みならわからんでもない。
仕事だったら求める結果に向けて意見を出し合い、お互いに思う長所短所をぶつけることでより良くしていこうという話し合いは必要。時間も人もお金も公の視点で見なければならないし、その時に自分の思う部分が通らなくても、まあプレゼンが弱かったんだろうとか、総合的にベターな判断とはいえなかったんだろうとか納得のしようはあります。

しかしプライベートな趣味の話だよ?
僕が何を好きでも誰を好きでも貴方にとってはどうでもよろしかろう。
心の中で「あの人が夢中になってるアレってちょっとね」とあきれる。これはわかる。しかし、それをわざわざ話題に引っ張り出して本人にチクリと言う。これがちょっと不可解。老婆心とは違うのですよね、なにか心配して言ってくださる場合はさすがに文脈から汲み取れますから。

まあ大方は、わたくし自身の何かが気に入らんのだろうな、とは予想が付きます。しかしその場合は、なんの罪もない「好きなもの」を落として悦に入るのはやめて頂きたく。そうではなくて、その気に入らん部分についての苦情を言っていただきたい。でないと対処のしようもないし、従ってなにも解決せず、お互いに微妙な空気になるだけでひたすら不毛なことになります。
なんとも哀しい。

とはいえ、人の気持ちはままならないもの。相手にああしろこうしろとは言えません。
ですので、これは絡みたいだけなのかな〜という匂いのする「それのどこが良いの?」に対しては、私はこう返すことにしています。
「それはですねぇ……私だけがわかっていればいいことなんです。えへへ😊」
いや、実際そうだしね!
にこやかに、が良いですよ。笑顔大事。喧嘩ではないので。
必要を感じなければ多くは語らなくてもよろしいかと。
好きなものについては、自分がわかっていればそれでいいのです。