![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173633877/rectangle_large_type_2_553a1e214702c367191a105029b22816.jpeg?width=1200)
ホワイトペッパーとブラックペッパーの違い
はじめに
世界は残酷なまでに等価性を装う。同じ木の枝に生まれ、同じ太陽を浴びた果実が、人間の手にかかれば「ホワイトペッパー」と「ブラックペッパー」という異なる名を与えられる。その差異は、色や香りではなく、「死に方」の違いにこそ宿る。一方は未熟なまま干され、他方は完熟後に皮を剥がれる。この小さなスパイスの物語は、人間の欲望が自然に刻む無情な爪痕を、あまりにも鮮やかに映し出す。
# 1. 同じ運命、異なる死に方
ブラックペッパーは、まだ緑色の未熟な胡椒の実を収穫し、そのまま乾燥させて作られる。熱と風に晒され、皺くちゃになり、黒い外皮は**「早すぎる死」の証として硬く閉じる。一方、ホワイトペッパーは赤く熟した実を水に数日漬け、発酵させて柔らかくなった外皮を剥ぎ取る。核心部だけが残り、白い芯は「完熟後の解剖」**という名の儀式を経て生まれる。
皮肉なのは、どちらも「完成」を許されないことだ。未熟か、過熟か――人間はその「中間」を決して受け入れない。まるで人生の「最適解」を求める我々自身のように。
# 2. 香りの喪失と、孤独な輝き
ブラックペッパーの香りは荒々しく、土や煙を思わせる。外皮に残されたクロロゲン酸が、焦げたような苦みを生む。対してホワイトペッパーは、剥がされた外皮と共に精油成分の80%を失う。残るのは鈍い辛さと、湿った地下室のような後味だ。
「清潔」「高級」と称賛される白さは、実の剥奪の歴史である。ニヒルなことに、人間は「失ったもの」を「洗練」と呼ぶ習性を持つ。剥ぎ取られた皮は堆肥となり、誰もその行方を追わない。
# 3. 歴史が刻んだ偽りの階級
中世ヨーロッパで、ホワイトペッパーは「貴族のスパイス」として珍重された。色のない辛さが、白いテーブルクロスを汚さないからだ。一方、ブラックペッパーは庶民のものとされ、その黒い粒は「穢れ」の象徴ですらあった。
しかし考えてみよ。水に漬けて腐敗臭を纏わせ、手間をかけて皮を剥ぐ――その工程こそ、権力者の自己満足ではないか。白さとはつまり、自然への侮辱であり、人工的な純潔の幻想に過ぎない。
# 4. 現代に続く無意味な優劣
食品メーカーは「ホワイトペッパーはマイルド」と宣伝する。だが科学は冷徹だ。辛味成分ピペリンの含有量は、実は大差ない。違いは香りの分子が破壊されたか否かだけである。
我々はスープに浮かぶ白い粒を「上品」と讃え、黒い粒を見れば「粗野」と笑う。まるで外見で人間の価値を決める愚かさそのままに。**「ペッパー差別」**などと戯れ言を言えば、笑いが起きる。しかしその笑いこそ、最も辛辣なスパイスではないか。
# 5. 終焉において等しい二人
冷蔵庫の奥で、両者の瓶が並んでいた。ホワイトペッパーは湿気で塊になり、ブラックペッパーは香りを失っていた。最終的にどちらも「陳腐」という同じ味に収斂する。
料理人の間で「ホワイトは魚、ブラックは肉」と使い分けるが、それは単なる自己救済の儀式だ。差異を捏造しなければ、自らの選択の無意味さに耐えられないから。人間とは、そういう生き物である。
# 終わりに
ホワイトペッパーとブラックペッパーは、決して和解しない。できぬままに。なぜなら差異こそが人間に必要だからだ。我々は「同じもの」を怖れる。胡椒の運命は、異質な者を分断し、優劣をつける我々の性(さが)を、無言で嘲笑している。
テーブルの上で、白と黒の粒が並ぶ。どちらも粉々に挽かれる運命だと知りながら。その時、ふと気付く――我々の人生も、所詮は挽かれ、振りかけられ、消える香料ではないかと。