♪創作大賞参加エッセイ 【来年は獲りにいきます宣言!】
結論ファースト。
初参加の今年は様子見で、来年は俺流で真正面から獲りに行きます!
何を指してのこの一言かなど、こちらの読者各位には説明不要でしょう。
今も記憶の引き出しに残る、遡ること40数年前のお話。
大晦日の日没後といえば、日本レコード大賞受賞式から紅白歌合戦の生中継。
午後9時前になると、各家庭のチャンネルが慌ただしく回されていた、一定年齢以上にとっては微笑ましい時代。
1979(昭和54)もしくは1980(昭和55)年だったかな?
時系列の前後を含めた細かい記憶が曖昧なので、明記は控えておきますね。
「この自作の新曲で、年末のレコード大賞を獲りにいきます!」
デビュー当時から天才少女と謳われ、この時点ですでに若き実力派歌手とされていた、長い黒髪が印象的だった女性が放った一言です。
今になって思えば、音楽業界全体の舞台裏が垣間見える台詞とも思えますが、レコード大賞は国民にとっても、大きなイベントでした。
直近のヒットチャートを紹介する歌番組が連日ゴールデンタイムで流れていた、当時の音楽シーンもまた、懐かしく感じられます。
若い世代にとって、年寄りの回顧語りと読めてしまったなら、ごめんなさいです。
結果的にこの楽曲は大賞受賞を逃し、無冠の名曲として今日に歌い継がれています。
対抗馬として躍り出た競合曲が手強かった不運も、コンテストという土俵では避けられません。
エーゲ海でその美しさを誇る白孔雀(くじゃく)のような舞台衣装と、それまでの邦楽歌謡曲とは一線を画す旋律。
ヒットチャートを一気に駆け上がり、彼女の有言実行を阻んだ同年の大賞受賞曲に、個人的異論はありませんでした。
対して有言実行ならずの楽曲の印象は、当時も今もこの一言に尽きます。
歌詞も旋律もアレンジも、すべて計算し尽くされた楽曲ながらも、それが少しだけ過ぎた感も否めなかったかな?
・荘厳なパイプオルガンを思わせるストリングスの前奏
・シンプルかつ基本的なマイナーキー(短調)のコード進行
・映画のワンシーンを連想させる、一人称と三人称から成る歌詞
・トラマティックな主旋律と抜群の歌唱力
一定の年月が流れた後も、
「これってレコード大賞受賞曲だよね?……ええっ!?違ったっけ?嘘っ!」
不特定多数の人たちから、このような声が上がるに相応しい楽曲。
当時未成年だった、そして現在還暦越えの私、今も歌詞カードを確かめることなく、フルコーラス歌えます。
私の歌唱力は横に置いておいてくださいね。
これはあくまで邪推ですが、あらゆる業界の『賞レース』の舞台裏に関しては、都市伝説的な怪しい囁きが切り離せないようです。
令和の義務教育の現場に関しては、憶測だけで軽率な発言はできませんが、自身が子どもの頃を振り返れば、あんなことやこんなことも?
たとえば全校児童参加の写生大会。
各学年代表作に選ばれるのは、総じて主席の秀才もしくは保護者の影が色濃い……
たとえば課題図書の読書感想文。
各学年代表作に選ばれるのは、総じて……以下同。
これらの慣例化に対し、素直な子どもたちのヒソヒソになっていない会話といえば、
「代表は学年一賢い◆◆君で当然だよ!だって一番勉強ができるんだから」
ところが高学年になると、
「◆◆さんのほうがずっと上手だけど、◆◆君のお父さんはP◆Aの会長……」
未成熟が形成する子ども社会を大人が見守り導く義務教育現場、その重要な役割をきちんと果たしていますね。
『これで入賞確実!アナタだけに特別にお教えするポイント◆つ!』
即興でひねり出したワンフレーズですが、こうしたアイキャッチコピーが数え切れないのは、ネット空間に限りません。
実際にこちらnoteでも、簡単サクサクと効率アップできることを期待させる諸々が、数多く紹介されているようです。
みなさん善人だな。
ホントにそんな秘策があるなら、俺だったら絶対誰にも教えないけどな。
これらの情報、確かに説得力十分の内容も少なくありません。
たとえば記事の表紙となる画像が、本文を読んでいただけるか否かに大きく影響することは、周知の事実です。
画像なし < 細かく淡く識別しづらい画像 < 原色で濃淡が明確でシンプル
だからと注意喚起目的の標識みたいな画像の連続では、効果も半減どころか、時にマイナスの印象を抱かせかねません。
試行錯誤は断じて無駄ではない、中長期的な自身のスキルアップにつながる、陰の努力といえるでしょう。
そして忘れてはならないのが、本文(=メインの作品)の品質(笑)。
蛇足に違いなくも、ここでは敢えて文字にさせていただきます。
「すべての記事の中で、今この瞬間は、私が書いた記事が一番最高!」
『一番最高』なる四文字は微妙も、視点を変えればこれまた新造語。
断じて過信ではない、この自信と自覚がなければ、公開ボタンは押せませんよね?
良い意味でのこの自己満足、大切だと考えます。
こちらでの公開は、全世界に向けての発信です。
自信作を越えた自画自賛作のお披露目こそが『礼儀』だと思うのですが、いかがでしょうか?
日々新たな更新記事が続々と発信される、こちらnoteなるネット空間。
2022年11月に登録から、ようやく半年経過の私は、まだまだ初心者マーク。
実年齢(62歳)を思えば、茶褐色の高齢者印も並列すべきかも?
そんな私が愛聴歴数年の、とあるラジオ番組のお話に、少しお付き合いください。
メインパーソナリティーの女性は、我が愚息と同世代(現在30代前半)。
抜群の頭の回転と美貌は、なるほど天に選ばれし者でいらっしゃるかと?
「長ったらしいメールはイヤだ!めんどくさいねん!うっとおしいねん!」
アイドルから女優経由でラジオDJと、長く多彩な芸歴をお持ちの彼女。
『高学歴のヤンキー崩れ』なるキャラを演じ切るべく、この日も関西弁の彫刻刀を絶妙の手加減で振り回されています。
お気づきですね?
これが現在から向こう10~20年、社会の中枢を担う世代の基本的価値基準。
彼女にとって拙作は『嫌』『面倒臭い』『鬱陶しい』の、これぞ三重苦ど真ん中。
さらにはこんな場面だけ漢字自動変換機能に丸投げですから、彫刻刀の本数も倍増必至でしょう。
入賞の確率アップを本気で重要視するのであれば、この部分が無視できません。
読者はもとより、審査員の心の琴線を『力強く・心地よく』弾くためには、筆加減すなわち『単位』を間違ってはなりません。
相手が『cm』を待っているところに『インチ・フィート』では、噛み合うはずもありません。
まして私が描く世界観は『尺』などと伝わりかねず……これ真面目な話です。
独り善がりだと自覚しつつも、自分なりに試行錯誤の連続だったりします。
コンテスト参加記事に限らず、現時点で総更新数5000超のブログ記事も、この点は一緒です。
いつものように起床から机上のパソコンを立ち上げたところ、寝ぼけと弱視で朧気な視界内に飛び込んできた、この四文字。
創作大賞
黒背景に白文字の画像で、瞬時に目が覚めました。
そこからは締切日を常に意識しつつ、空き時間を積極的に活用プラス、お蔵入りさせていた過去の書き下ろしなどを引っ張り出し、
・お仕事小説部門 × 2作
・恋愛小説部門 × 2作
2万~10万文字指定も、この短期間で新たな長編の書き下ろしなど、到底不可能。
スマホ読者の存在プラス上記の彼女の言葉も視野に、
・1作品を2万文字前半以内に納める形
小説に関しては、このスタイルで揃えてみました。
さらにこれは私個人が勝手に『うれしがっている=秘かに仕組んでいる』ことなのですが、異なる各作品の文中に、
・とある短いキーワード(=共通するひとこと)を記載
わずか数文字のこのワンセンテンスが、初チャレンジに際する、私の根っことなる姿勢だったりします。
お気づきいただけるレベルまで読み込んでいただけたなら、これ以上の喜びはありません。
おそらく来年(=2024)も、開催いただけるかと期待しています。
次回に向けて、約1年の準備期間を確保できるのは、大きな追い風です。
どのようなお題目指定があるのか現時点ではわかりませんが、今年に準じる形の募集であれば、
10万文字は手に負えずとも、1作品5万文字クラスの小説に挑んでみるかな?
物語という形で発表したいネタの種子は、記憶と記録が溢れ返っています。
珈琲専門店の頑固なマスターが、豆をひと粒ひと粒吟味から振り分ける作業のイメージで、すでに下準備作業を楽しみ始めています。
小細工は誓って一切用いません。
これだったら読んでみたいと、自分なら感じるだろう拙作を、お披露目するだけ。
不特定多数の読者の嗜好に寄り添うことも、はあとまあくの右隣の数値を競うつもりもありません。
これまたここまでのブログ本文中で、繰り返し文字に落とした内容の重複です。
若き日の自分を振り返るまでもなく、重々承知しています。
自身が20~40代だった頃、60代以上の言葉や文章は、
「時代錯誤で堅苦しくて苦手やねん!上から説教じみていて、耳障りも心障りも悪いねん!」
数十年前のあの頃よりも格段に速度を増して、世の中は変化を続けています。
そのつもりはありませんが、それらのすべてを進化だと認めたくない古参者側が、現在の私に与えられた居場所らしく?
もちろん隠居生活など夢の夢以前に、そのつもりなどありません。
資本主義経済社会を生きて喰っていくべく、対価なる報酬を稼ぎ続けねばならない私。
日々新たに挑み超えるべきハードルが、目の前から姿を消すことはありません。
伝わりづらいに違いない比喩表現ですが、
創作大賞は私にとって、たとえるなら空腹の競争馬の顔の前に吊るされたニンジン。
人生最終コーナーで、思わぬご褒美に出会えたこと、素直に感謝です。
総応募数が天文学数値であったとしても、関係ありません。
ピラミッドの裾がどれだけ長く広く大きくとも、頂点はひとつです。
そして選考基準や結果その他のすべてが、万人が納得するものでもありません。
発信者として責任と心ある投稿したその瞬間、誰もが受賞者だと考えます。
だからこそ挑み甲斐十分以上ですし、心躍る自分自身が、これまた楽しく・嬉しく・誇らしく感じられています。
note創作大賞2024、来年は獲りにいきます!
(※本文総文字数=4120)
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