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♪コンテスト参加記事 【我が人生1度限り・黒髪に染めた理由】

推定60年前のモノクロならぬ白黒生写真が、おそらく生涯一番の、
「これぞ奇跡のワンカット!?」
服装からの推定年齢1歳数ヵ月、黒々とした前髪が印象的と映りますが、実はかなり以上の、いわゆる赤毛。
 

月日は人間を変えすぎる?


算数を駆使して逆算から、1962年秋もしくは冬季に違いない撮影時期。
英国の甲虫四人組エレキ楽団が、当時としては画期的な男性の長髪(※といっても単なるマッシュルーム・カット)をお披露目する、ほんの少し前。
 
 
 
若い読者各位には想像しづらい回顧録になりますが、当時の世の中は、今日であれば大問題の宝庫。
1960~70年代にかけての我が義務教育期間、この赤毛を格好のターゲットとしたのは、他ならぬ大人たち(=教師陣)でした。
 
「髪を黒くしろ!」
人種差別的用語のオプション特盛で繰り返されるも、なぜか「染めて来い!」と言われた記憶は見当たらず。
我が幼心は意味不明から、次第に被害妄想に覆われていきました。
 
これが当時の生活指導だったのだろうと、今では酒席の苦笑い話も、当時は厄介なことこの上なく。
 

生まれ持った髪の色を許さなかった、当時の大人たち。
「あか しろ きいろ きれいだね」
チューリップなら構わないのか!?


幸か不幸か、保護者呼び出しに応じるような両親でなかったこともあり、中学入学後の私は、いわゆる校則違反のトップランナーに。
教師に背後から不意打ちされ、ハサミで髪を切り落されたのも、1度や2度ではなく。
繰り返しますが、これが昭和40年代の、日本の教育現場でした。
 
「あーあ……油断したぜ!またヤラれたよ。あはははは」
これで済ませられていたのですから、そこには確かな信頼関係が存在していたのかも?

今日であれば傷害罪確定ですが、私的には『微笑ましい素敵な時代』でしたね。
 
 
 
就職が決まって髪を切ってきたとき、「もう若くないさ」と君に言い訳したね ♪
 

1960年代のちょっと不良っぽいとされた、アイビーファッション。
どうしてあの頃の若者たち、老けているんだろうね?


1970年代の大ヒット曲の歌詞よろしく、当時の男子大学生は、この歩みが勝ち組の堅実な王道とされていました。
 
「耳と襟足を晒した姿で、負け犬から社会人を始めるつもりはないぜ!」
これぞ意味不明ながら、数々の幸運と周囲の呆れに助けられ、有言実行へのチャレンジをスタート。

あの頃は高身長でした。
残しておいて大正解(笑)。


多感な時期に人格否定的に髪の色を揶揄され続けた反動だったのでしょう。
『髪を染める』
オシャレに目覚めた若者が憧れる、この自分磨きには、まったく意識が向きませんでした。
 
 
 
月日は流れて2019年。
地球全体が未曽有の禍に飲み込まれる、ほんの少し前のことでした。
「親父に頼みがあります。1回だけ、髪を整えて黒く染め、髭を剃り落してください」
「気持ち悪い丁寧語はやめてくれ!オモチャ買ってやるから」

 

当時同棲中だった若い二人が、両家顔合わせに際して手づくりした栞(しおり)。
これは上手いっ(拍手)。


結婚を誓った彼女のご両親との顔合わせに、私の自然体が『そぐわない』と、彼なりにリスクを感じたらしく?
九州の古風な土地柄と家柄を考慮から、世間では少数派と映る実父の個性を、少しでも消しておきたかったのでしょう。
 
「いいよ」
二つ返事に拍子抜けの息子。
 
街を歩けば忘れる手前で職質(職務質問)の繰り返しの私。
風貌だけの先入観からの職務遂行、あまりに失礼な話ですが、私の父も祖父も当局勤務でした(ホント)。
息子の判断は、間違ってはいなかったでしょう。
 
善は急げと、数十年来世話になっている理容店へ出向き、
「黒く染めて短く揃えて、昭和の調髪ポスターみたいにしてくれよ」
ところがマスターが腰を退いてしまい、
「これで勘弁してください」
 

黒い黒い。


妙なやりとりで着地したのが、扉画像のこの髪型でした。
 
「数十センチ切ったから、ドネーション(寄付)できるかな?」
「髪質がボロボロで使い物にならないでしょうから、無理ですよ」

中学時代の先輩にあたるマスター、歯に物を着せずに、こちらも一刀両断でした。
 
 
#髪を染めた日
 
還暦カウントダウン、私は人生初の黒髪を手に入れました。
「煤(すす)けた鉄兜を被っている感じだな」
束ねて後ろで括っておけば重力で自然と落ち着く長髪とは違い、慣れない寝癖対策にも戸惑いました。 
 

調髪経験者なら納得いただけるかと。
「こっちの方がずっと楽」

 
賛否両論が避けられぬなか、若き二人の判断で、2020年秋に福岡市内のホテルで、挙式披露宴を強行。
招待するも勤務先から出席をストップされてしまい、二人のキューピット役を果たした友人が出席できないなど、やはり可哀想でしたね。
 
・出席者は披露宴中もマスク着用。
・出し物はスピーチのみで、歌などの出し物はNG。
・席を移動しての酌み交わしもNG。
 
がんじがらめの制約だらけのなか、知恵を絞った式場側の提案で、スライドショーを多用。
双方の家族の懐かしい写真と音楽を編集して、楽しんでいただくことに。
 
これで大笑いを集めたのが、若き日の双方の父親の姿。
 
私より3歳上の新婦のお父様は、筋金入りの日本屈指のスーパー・ロックスター命!
「彼の音楽以外は一切聴かない!」
還暦を過ぎても大型バイクを駆って、全国各地の彼のコンサートを追いかける信者。
これ以上のヒントは不要でしょう。
 

下書きなし・油性ペンで一発描き。
画力は問わず、雰囲気を察していただきたく。
新郎新婦の父親それぞれにも、若き日がありました。


愛を奏でる美しいBGMの鮮烈をバックに、こんな画像が次々と映し出されれば……
 
主役が霞む、爆笑テンコ盛りの出し物でした。
 
 
 
数年前の黒の染料が、私の遺伝子に変異を招いたのでしょうか?
あれから2年以上、今現在も黒髪化が止まらない私。

2022年撮影の近影。
汚い点はさて置き、不思議と髪が黒いままです。


対して髭は真っ白ですから、頭蓋骨の表面でオセロやってるみたい?
 
「お爺ちゃんは白髪がいいな」
赤毛が白髪と混ざり合う、絶妙の紅茶色の髪を期待していたのですが、そうはいかず。
「世の中も老いが現在進行形の己が肉体も、思い通りにはならないな。まっ、地毛があるだけ感謝しなきゃな」
 
ここで小さく噴き出した初孫のお婆ちゃんが、こんなふうに続けました。
「結婚式当日の後頭部、並べきれてなかったよ」
 

挙式直前、控室で撮影。
おおっ!? クレーターがああああっ!?

 
話が前後しますが、初対面時のお嫁さんのお父さまは、年齢相応のゴマ塩スポーツ刈り姿でした。
やっぱり年齢相応に落ち着かなきゃ、世間さまが許してくれないのかな?
 
いえいえ。
愛娘に懇願されて、床屋さんに足を運ばれたとか?
 
式当日以降直接お目にかかれていませんが、元の姿を取り戻していらっしゃるかな?
 
現時点でお孫さんが4名(※長女のお子さまが三姉妹+当方)、いずれも女の子の御仁。
それぞれが成長されるにつれ、お爺ちゃんへのファッションチェック、厳しさを増していくことでしょう。
 

直近(2023年2月)の筆者。
白髪が進むも、やはり黒が勝ったまま。
不思議です。


どうですか?
そろそろ我々『ザ・爺ちゃんズ』、愛しい家族の未来を彩る髪色で、揃えてみませんか?

 

一応白髪?


まだあるうちに。
 
 
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